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100-100への軌跡

100名山、100名城、100名水・・。日本人はどうやら100という区切りが好きなようだ。確かに大変分かり易いし、目標とするにも丁度いいのかもしれない。2015年3月から走り始めた僕、どうせならウルトラ(100㌔以上)を100回完走してみたい。長男岳登(当時小学生)と100高山を目指したのも、そんな分かり易さに魅了されたからだった。この先年間4本を25年続ければ、充分達成は見込めると思う。それに何年か走ればさすがに慣れてくるだろうし、その頃には250㌔の練習程度にしか思っていないだろう。25年後、僕は67歳。初めて走った能登では70代のランナ-が何人かいたし、最高齢(ゼッケン1番)の男性は77歳だった。いっそのこと、日本最高齢完走、最多完走・・なんて目指してみようかな。


以下、100-100(100㌔-100回)達成までの軌跡を随時更新していきます。


1第4回能登半島すずウルトラマラソン 2015.10.18(42歳) 102㌔ 13時間42分完走    235位/403人 完走率68.9%  ※初めての100km挑戦で見事完走
2第26回チャレンジ富士五湖ウルトラマラソン 2016.4.24(43歳) 100㌔ 12時間21分完走       498位/1363人 完走率74.1%  ※目標の13時間切りを大幅にクリア
3第5回飛騨高山ウルトラマラソン 2016.6.12(43歳) 100㌔ 12時間39分完走       582位/1708人 完走率71.6%  ※第2組最前列に並んだ末に自滅
4第4回白山白川郷ウルトラマラソン 2016.9.11(43歳) 100㌔ 12時間44分完走       215位/711人 完走率78.1%  ※復路の上り返しに完敗、この借りはもう返せない
5第5回能登半島すずウルトラマラソン 2016.10.16(43歳) 102㌔ 12時間53分完走       109位/289人 完走率70.2%  ※目標11時間半、最低11時間台と挑むも撃沈


走り始めて2年目のシ-ズンが終わった。100㌔という距離にも少しは慣れ、年4本完走の当初目標はクリアした。しかし後味が悪過ぎる。100㌔くらい屁でもない・・。富士五湖の快走で僅かに感じたこの感覚は、今年最後の能登すずで見失ってしまった。この先100㌔程度なら間違いなく完走は出来るだろう。しかしそれでは次へと進めない。何せタイムが遅過ぎる。来年は最低6本と決めた。タイム狙いは4月の富士五湖のみ。後は連戦を重ね、『中何週間』というこの情けない表現を早く取り除きたい。走れば走る程、さくら道ランナ-の凄さが身に染みて分かってくる。

6第27回チャレンジ富士五湖ウルトラマラソン 2017.4.23(44歳) 100㌔ 11時間48分完走     408位/1508人 完走率72.4%  ※一応12時間は切ったけど何か物足りず
7第23回八ヶ岳野辺山高原ウルトラマラソン 2017.5.21(44歳) 100㌔ 13時間12分完走     532位/1953人 完走率50.6%  ※膝痛を抱えながらも猛暑の野辺山を走り切った
8第6回飛騨高山ウルトラマラソン 2017.6.11(44歳) 100㌔ 12時間9分完走        548位/1831人 完走率75.2%  ※風邪、膝痛とコンディションは最悪だった
9第12回佐渡島一周エコ・ジャ-ニ-ウルトラ遠足 2017.9.16(44歳) 208㌔ 38時間19分完走              42位/156人 完走率80.7%  ※超ウルトラ初挑戦、無事完走するも1週間病院送り
10第6回能登半島すずウルトラマラソン 2017.10.15(44歳) 102㌔  

| 100-100への軌跡 | 13:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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長女二十歳の振袖姿

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長女(第1子)二十歳

僕ら夫妻が24歳の時に授かった第1子(現在大学2年生)が、めでたく今年成人を迎えた。自由気ままに生きていた21、22年前(今でも自由だが)、当時同棲中の僕らは世界を旅していた。インタ-ネットもスマホも(今でも持っていないが)、勿論デジカメもない遠い昔のことである。その頃の僕らは、日本でお金を貯めては外国に行くという生活を2年ほど繰り返していた。しかし僕らも例外なく歳を重ね、『いつまでもこんなことをしていちゃイカン・・』と真剣に思い始めていた。これで最後の旅にしよう・・とユ-ラシア大陸横断の計画を練り、バイトに明け暮れる日々。朝から晩まで工場で機械のように働いていた。そんな時に判明したのが妻(当時未婚)の妊娠・・。この出来事を機に僕らは結婚し、僕の地元へと移った。そんなキュ-ピット的な運命の第1子。長女がこの世に生を受けていなかったら、僕らは未だに外国を彷徨っていたかもしれない。もう十分楽しんだだろ、そろそろ真面目に働けよ・・という、神のお告げなのだと感じた。それから20年以上もの歳月が流れ、気が付くと僕らは40代半ばになっていた。しかし昔と変わらないこともある。第7子が誕生したことで、一人子育てを終えた今でも、またゼロから子育て(振り出しに戻った)という、若しこの感覚。周りはこのことを、『±0(プラマイゼロ)』と簡単に言うが、とても一言で済ませれるものではない。我が家では毎年誰かしらの卒業と入学が必ず有り、子育て歴は全うすれば通算40年にも及ぶ。人生の半分を子育てに費やすということは、ある意味凄いことではないだろうか。
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成人式の前撮り撮影
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振袖を着て20ポ-ズ

成人式にどれくらいお金がかかるのか・・。これは実際に娘を成人させた親にしか分からない。何せ振袖が驚く程に高く、娘のもので45万円(そう言えば昔僕が借金を払わされていた妻の着物は一体何処へ)。勿論もっと高いものや、もっと安いものは当然あるが、いずれにせよバカ高い。妻はこの冬僕がスリランカに行っている際(それも帰国直前に慌てるように)、僕に一言も相談することなく無断購入という強行策に出た(買わせないと思ったのだろう)。当然後に大喧嘩となり、しばらく重い空気が流れていた。ただ、購入でまだ良かった。購入代の高さなら多少は納得出来るが、何故レンタルに20万円もするのかが僕には到底理解不能だ。長女の後に妹が4人控えていることを考えると、妻がした購入という選択は正しかった。振り袖姿での記念撮影は成人式当日ではなく、前撮りという形で事前に行われる。購入に際して僕は関われていないので、あの45万円に何が含まれているのかは知る由もない。しかしこの前撮り撮影(その際の着付け、ヘア-メイクも)は当然含まれているということで一安心。

・・そして迎えた8月12日。帰省した長女を筆頭に、家族(長男以外)全員で着物屋へと出かけた。家族の見守る中、慌ただしく撮影は進んでいき、20ポ-ズ(1ポ-ズ当り3枚~6枚)をもって撮影は終了。その後僕ら夫婦と長女が画面の前に座り、各ポ-ズの中からベストな写真を選んでいく。・・はいいが、驚くことにアルバム代は別料金らしい。その金額は更に驚きの、12万円(+税)。2枚までの台紙印刷なら無料らしいが、写真を増やしてアルバムにするとそれくらいの金額になるという。1ポ-ズ追加に1万円とあるので、単純に計算しても20ポ-ズでは20万円相当の撮影となる。そう考えると、折角撮影したポ-ズも商品化しないと勿体なく思えてしまう。半ば誘導的な、考える隙を与えないセコい商法に負け、10面15ポ-ズという上から二番目に高いプランに渋々決定。・・それから1ヶ月半、僕的にはアルバムの仕上がりに不満足。全画像(単独で購入だと2万円+税)の入ったCDが貰えるのは嬉しいが、写真容量が小さく2Lサイズまでしか対応出来ないのにはガックリした。次以降はもう少しアルバムの作製に吟味し、二度と同じ過ちを犯さないようにしたい。

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妹弟と  ※大泣き(五女)、靴下穴開き(四女)、裸足(三女)、欠席(長男)

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第12回佐渡島一周エコ・ジャ-ニ-208km(5)~第3エイド(約128km)迄


・・前回の続き


寝たくても、寝付けない・・。そして無情にもそのまま2時間が経過し、ついに僕は眠ることを諦めた。仰向けになったまま脚を胸元に引き寄せ、ストレッチをする。横になっていた2時間、常に起きているという意識はあった。しかしふわふわの布団の上で脚を休めたことで、脚は思いの外リセットされていた。布団を畳み部屋の外に出て、出発の準備をする。歯を磨き、ワセリンを塗りたくり、各種サプリ等を摂取。そして必要な地図を取り出し、ザックを整える。階下に下り、玄関前のロビ-で氏名を伝え、朝食用に500mlペットボトル2本(アクエリアスかお茶)とパックおにぎりを一つ頂く。当初の計画では、充分な睡眠をとり、23時の出発予定だった。しかしそもそも到着が1時間以上遅れ、一睡もしていない割にはダラダラと過ごしてしまったと反省。何とか日付の変わるまでには仮眠所を出れたから良しとし、いざ初めての夜間走へと向かう。
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仮眠所ロビ-  ※出発時に500mlペットボトル2本とパックおにぎりを一つ貰える
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入れ替わり到着したランナ-(23:45)

トレランザックの右胸ポケットには次のエイドまでの地図数枚を差し込み、左胸にはラジオを入れている。AM放送をスピ-カ-から流しながら、誰もいない暗闇の中、少しでも寂しさを紛らわそうと気を耳に委ねる。車はほとんど通らず、時折通過する集落の民家は大概が明かりを落としている。何と言う不思議な空間なんだろう・・。今回のこのマラソン大会のことは、佐渡の住民に告知されているのだろうか。大会のことを知らない人が、もし真夜中に一人道路を走るランナ-を見たら、きっと怪しく思うだろう。仮眠所での4時間が効いたのか、脚は振り出しに戻ったかのように動いてくれた。入浴や睡眠を取ることにより、一気に運動する気が失せて、その後の走りに悪影響を及ぼすのではないかと心配していたが、実際はその逆だった。何とかこのまま、次のエイドまでは行きたいところだ。
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真夜中の快走

ランナ-はほとんど見かけない。たまに前に赤色の点滅灯が見えると、やがて追い着き、一声かけて追い越していく。仮眠所で休まずぶっ通しで走っているランナ-は、やはりお疲れ気味のようだ。僕も結局一睡も出来ていないが、仮眠所で4時間脚を休めたことは大きかった。明らかに僕の方が走りは順調に見える。胸元のラジオからは台風情報ばかり流れている。『非常に勢力の大きな台風は、今福岡に上陸しています・・』、『その後四国へと移動し、明日夜には東海北陸地方を襲うでしょう・・』。先程から同じことばかりを、やや大袈裟に言っている。仮眠所以降ア-ムスリ-ブだけで足りていた防寒だが、台風の影響か峠辺りで風がかなり激しくなってきた。横殴りの強風は、容赦なく体温を奪っていく。防寒着を着たくても、風にあおられ、易々とザックを開けることすら出来ない。しばらくの間、寒さをこらえて走るしかなかった。幻覚らしき物も見えた。巨大うさぎに見えた物が実際は車だったり、電柱が人間に見えたり・・。しかし結局、単に暗くて見え難いだけだった。超ウルトラに付きものの幻覚幻聴に少しは興味を抱いていたが、体力的にも精神的にもその極致には至っていなかったようだ。安全圏な集落まで下り、ようやくここで防寒着を着用。寒さは直ぐに暑さへと変わり、腕の裾を捲り上げたり、胸元のジッパ-を下げたり、体温調整に忙しかった。夜空には満天の星が。海沿いの歩道に上がり、仰向けに寝転がっては、休憩がてら星空を眺めていた。
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夜は防寒着を着用
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暗くて寂しいが、ラジオの存在が心強い
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トンネル内は明るくてホッとする

仮眠所で仮眠しなかったランナ-達は、きっと今頃睡魔と闘っているのだろう。3時を過ぎ『多田』の文字が出てきた。次のエイドが確か『多田・・』と言ってたな。先程まで苦しめられた強風はいつしか消え、海岸沿いに出ると穏やかな空気が流れていた。防寒具を脱ぎ、いつでも着れるよう腰に巻きつけておく。AMラジオからは懐かしの歌謡曲が流れ、相変わらず台風情報がその間に入り込んでくる。いい加減同じことばかり繰り返し、次のフレ-ズが自ずと浮かんでくる程聞き慣れていた。ふと、僕にも睡魔らしきがやって来た。これが噂の『睡魔』とやらか・・。僕にとって睡魔は常連客だが、不思議とこれまで運動中には襲われたことはない。『ガ-ドレ-ルにぶつかってケガをした』、『縁石につまずき転倒』、超ウルトラではそんなこともよく聞く。早め早めの対策を施し、眠気覚ましに持参したチュ-インガム(BLACK BLACK)を噛む。そしてその後、自販機でコ-ヒ-ブレイクとした。休憩を終える頃、自転車でサポ-トをする悪代官とその仲間の女性ランナ-が数人到着。小さな折り畳み自転車も中々辛そうで、悪代官の男性は、お尻が痛い・・と嘆いていた。
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多田12km(3:08)  目指すは第3エイドの多田海浜公園
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眠くなってきたのでコ-ヒ-ブレイク

暗闇は尚も続いている。この辺り左手には常に海が見え、その上一本道なので迷いようがない。しかし僕は地名看板を見つけては、地図で現在地を確認しながら走っている。それはコ-スアウトを避ける為のル-トファンディングの為ではなく、まだかまだか・・という泣きの表れでもあった。仮眠所を出て以降、最初の1時間は調子が良かったが、やはり確実に疲れは蓄積されているようだ。次のエイドまでの35㌔くらいは何とか走れるだろう・・と俄に期待はしていたが、やはり脚力のない僕には無理だった。しかし時折歩きを入れさえすれば再び走り出すことは可能で、完全に脚が止まっていなかったことだけが救いだ。
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ここは東鵜島(4:32)  ※地名を頼りに地図で現在地を探りながら走っている
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小木港29.4km(4:41)  ※ようやく『小木』の文字が出てきた
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どこまでも暗い

5時を過ぎ、空が少しずつ青みを帯びてきた。この時期の日の出は5時半だが、その時刻を待たずしてヘッドライトを撤収。頭が軽くなった分、精神的にも楽になった。そして、待望の朝。爽やかな朝陽に包まれ清々しい気分に包まれた。これは夜通し走った者だけが味わえる、特別な感情なのだろう。実際4時間の仮眠所休憩はあるものの、この徹夜ランで迎えた朝は、それだけで何か大きなことを成し遂げたような、達成感に満ち溢れた気分だった。雲は出ているが、今日も天気は良さそうだ。未知なる領域を走ることになる、この二日目。どこまで脚が持つのか心配は多大にあるが、それ以上に台風の状態が一番気がかりだ。どこかで大雨に当たることは、最初から想定している。その為、100均のペラペラカッパから、急遽登山用のゴアテックスに替えた。しかし問題は、台風にいつ当たるかだ。出来ることなら、最終エイド(第4エイド)までは持ち堪えてほしい。そこまでは極力走り主体で行きたいので、雨具着用では走行に支障が出る。そして最終エイドさえクリアすれば、以降は歩き主体となり、雨が降ろうがペ-ス的には変わらないだろう。
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夜明け間近(5:08)
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待望の朝(5:17)  ※初めての徹夜ランは意外と楽しめた
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台風よ、何とか夜まで来ないで

そして5:24、ようやく第3エイドの多田海浜公園(127.6㌔)に到着。ここに着く前、一人の女性ランナ-が道に迷っていた。一本道なので迷いそうもないが、その女性は主催者に電話までしてかなり心配していた。この方は仮眠所で一睡もせず、夜通し歩いてきたらしく、その早い到達ぶりには驚いた。東屋を利用したこのエイドでは、提供物がすごく嬉しかった。弁当にはとっくに飽きているので、何か別物の、さらっと系が食べたかった。そんな時に登場したのが、このカップ麺。数種ある中から、迷わずカレ-味をチョイス。当然の如く最高に美味く頂け、主催者はランナ-の気持ちが分かっていると、その気遣いに感謝した。東屋のテ-ブルには、その他一口おにぎり、カステラ、梅干し、バナナ、パックおにぎり、リンゴ、菓子等が無造作に置かれている。基本食欲はないのでカップ麺とおにぎりしか食べれなかったが、今思うとリンゴを食べとけばよかった。主催者の方か誰かが『佐渡の特産物なんだ・・』と言っていたような気がする。僕は東屋に背を向け地べたに座り、先ずは食べること、その後サプリを飲むこと、そして直ぐに出発することしか考えていなかった。
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第3エイド 多田海浜公園(127.6㌔)  ※当初予定より1時間半遅い
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カップ麺最高!
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一口おにぎり、カステラ、梅干し、バナナ、パックおにぎり、リンゴ、菓子・・


つづく・・

| 2017 | 09:10 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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一歳の一升餅

一歳の一升餅。1歳までに歩くことが出来たなら一升餅を背負わせてお祝いをする、という風習がある。祝いの詳細は知らないが、15年前に第3子の穂乃花の際も、このお祝いをしていた。それ以来1歳前に歩いた子は何人かいたと思うが、このお祝いは我が家では長らくご無沙汰であった。しかしこの一花、さすがに歳の差43も離れれば孫のように可愛い・・。という訳で、今回に至った。つい先日までのハイハイが大変懐かしくさえ思う。僕が実家で死にかけていた頃(佐渡208㌔の代償)、久々(9/23)に会った一花は上手に歩けるようになっていた。その以前から2歩3歩ヨチヨチ歩きはしていたが、もうこんなに歩けるんだ・・と病状の僕は驚いた。そしてその出来事を機に、僕は地獄の底から這い上がった。

『一升餅(一生餅)』とは、一升分のお米(約1.8kg)を使って作る餅のこと。実際は蒸して餅をつく為、2kgくらいの重さになるようだ。 一升餅の一升(いっしょう)と、子供のこれからの一生(いっしょう)を掛け、一生食べ物に困らないようにと願いが込められている。 満1歳の誕生日に一升餅を背負わせてお祝いをする、というのが全国的な慣わしのようだが、呼び名や方法など地域によって異なっている。あまり早くに歩き始めると、大きくなってから親から離れた所に行ってしまうということで、わざと重い餅を背負わせて遠くに行かないでと願うものなのだ。
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一花(第7子、五女)1歳  ※平成29年10月1日撮影
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1歳前に歩いたので一升餅を担がせた

今頃になって”一升餅は何なのか・・”の詳細を知ると、我が家の一升餅はかなり適当だったのだと恥かしい気分になった。まず”一升餅”とは言いつつも、重さは800㌘(市販の丸型餅で代用)しかなかった。それに”誕生日に行う”ということは、全くの想定外。先程はパジャマ姿で撮っていたので、余所行きの服に着替え、テイク2。しかしいい加減飽きてきたようで、終始大泣きだった。子供にとってはただのいい迷惑で、『何をこんな重いものを背負わせているんだ・・』と親を不審に思っていたに違いない。しかし子供には申し訳ないが、大概こういう場面で親は笑っている。親から遠く離れた所に行ってしまわないように・・・。このテイク2の泣き様から、この子は大人になっても僕ら夫婦の近くに居てくれそうな気がした。
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先程はパジャマだったので、いい服に着替えたが
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終始大泣き
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おしるこで頂いた

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| 思い出 | 08:30 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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第12回佐渡島一周エコ・ジャ-ニ-208km(4)~仮眠所(約93km)迄


・・前回の続き


佐渡最北端の第2エイドで20分程休憩し、14:53にエイドを出た。ここからひたすら南下となるが、左手に海が見える光景は変わらない。アップダウンを超えると、『両津港24.4km』の看板が目に付いた。この先25㌔弱をもし2時間半で走れれば、日没にはぎりぎり間に合う計算になる。しかしこの段階で、㌔6分のペ-スは僕にはまずもって無理だ。そんな余力が残っている脚力があれば、とっくにサブテンランナ-になっている。内海府トンネル(全長1760m)は、長くて暗い。しかし幸いこの佐渡一周線、車の通行量は少ないので、通常は白線上を走っていても危なくはない。そして車の音が聞こえたら、歩道に上がればいい。車がトンネルに進入すると爆音が轟くので、その辺の駆け引きは実に容易い。  
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両津港24.4km(15:32)
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内海府トンネル  ※歩道は狭いので、車が来なければ白線沿いを走る
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全長1760m
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『佐渡一周線』の表示は街灯にも

両津港まで、後14km。普段なら1時間半もあれば充分に走り切れる距離だが、仮に死に物狂いで1時間半で走ったとしても、既に夜突入は確定している。先程から海の向こうに島のラインが見えているが、あのどこかがきっと両津なのだろう。問題は突き当たってから、どれだけ左へ進むかだ。両津港まで、後10km。いよいよ射程圏内に入った。だが日没の18時まで後数分しかない。早めにヘッドライトを頭に付け、反射材(家族のメッセ-ジ入り)を両足首に巻き、反射タスキもザック背面に付けておく。両津港まで、後5.6km。既に辺りは闇の中。点々と街灯はあるが存在は薄い。看板には『登山道入口』とある。一体どんな山なのだろう。
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両津港14km(17:15)
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あのどこかが両津だろう
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いよいよ射程圏内に入った(17:53)
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両津港5.6km(18:27)  ※日没には間に合わなかった
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およそ90㌔(19:02)

両津の商店街に入ってきた。佐渡の主要道である国道350号線は、この商店街を貫いている。商店街の店はほとんど閉まっているのか、全く活気がないように感じた。それに附随して人通りもほとんどなく、前後にランナ-もいない。夜になり視界も狭まってきたこともあり、ついに僕はザックから地図を取り出した。地図の凡例記号を頼りに現在地を探る。地図を見ながら走るなんて、何だかオリエンテ-リングをしている気分だ。この先には注意箇所がある為、慎重にならざるを得ない。無事、注意箇所を特定。90.4㌔地点の信号『両津支所前』は、斜め左方面へ本町通りへと進む。地図にはそう記してある。しかしこの箇所にはコ-ス誘導がなく、不安な状態で脇道へと入る。仮眠所は町外れにあるという事前情報は得ており、分かり難いということも念頭にあった。この道でまず間違いないのだろうが、100%確信が持てない以上、安心は出来ない。警戒しながらゆっくり進んでいると、後ろからランナ-がやって来た。その男性は佐渡エコの経験者らしく、一緒について走った。会話しながら走っていると、時間が経つのは早いものだ。既に限界に来ていた僕の脚も、何とか苦しまず動いてくれた。この男性、驚くことに先週白山白川郷(100㌔)を走ってきたそうだ。それは凄い!僕はその大会を止めて佐渡を選んだのに、この男性にはどちらかを削るという選択はなかったのだ。
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閑散とした商店街(19:18)  ※前後にランナ-もいない

仮眠所となる寿月館は、やはり遠かった。矢印が出てきてからが異様に長かった。まだかまだかと期待外れの連続の果ての、ようやくの到着であった。ここを見逃したら悲惨も悲惨、それは確実にリタイヤ街道に近付くことになる。『食事にしますか・・お風呂にしますか・・』。宿に入るなり、少年にそう訊かれた。まるで出来過ぎた女房みたいな、粋なセリフが初々しかった。じゃあ風呂にしようかな・・と偉そうに少年に告げ、風呂場へと案内してもらう。そこは脱衣場と小さな浴室があるだけの、至ってシンプルな風呂場だった。疲れた脚を目一杯伸ばし、体全体が楽になるのが分かった。しかし浴室を出て脱衣場でクラッときて、一瞬倒れそうになる。直ぐに持ち堪えて大事には至らなかったが、扇風機くらい欲しかった。
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住吉温泉寿月館(19:48)  ※かなり分かり難かったが、経験者のお蔭で無事到着
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先ずは入浴

次に夕食。食欲はないので、食べ物にはあまり興味がない。とにかく僕はビ-ルが早く飲みたかった。冷えたビ-ルの、なんと美味いこと。もう1缶飲みたいくらいだった。仮眠所まで一緒に走ってきた男性の横に座る。先程彼は『仮眠はしない・・』と言っていた。今日こそ天気は良かったものの、明日夜、台風は佐渡に上陸する。台風の直撃を免れる為にも少しでも進んでおきたい、というのが彼の狙いであった。僕もそのことはずっと心に引っ掛かっている。呑気に仮眠している場合か・・。しかし予報では明日未明(深夜)までは持つだろうとも言っており、目標とする18時ゴ-ルが無理でも、夜早いうちにゴ-ルすれば間一髪間に合うだろうと若干都合のいい方に捉えていた。
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夕食場所で横になる姿も  ※出発時撮影
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夕食弁当、豚汁、ビ-ル(仮眠者のみ)  ※食事は無理やり完食、が最高に美味かった

2階に上がり、仮眠部屋に入る。部屋は暗く、しばらく目が慣れない。布団を敷いたランナ-が2人、そのままゴロ寝するランナ-が2、3人いた。何故彼らはゴロ寝なのか・・と考えつつも、押入れを開けると敷布団と掛布団があった。敷いた布団の上に横たわり、思いっきり足を延ばす。この時点で仮眠所に到着して、既に1時間が経過している。このまま3時間眠り、日付が変わる前には出発する予定でいた。3時間も眠れば脳はリセットされると聞いたことがあるし、登山でも前夜それくらいの睡眠で翌日長い行動をしたこともある。しかしいつまで経っても、眠りには落ちなかった。夢の世界は途方もなく遠く、眠れない・・というプレッシャ-が余計に睡眠を遠ざけていった。
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仮眠部屋は男女別で布団で雑魚寝(要予約、事前に1500円)  ※出発時撮影


つづく・・

| 2017 | 09:30 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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