足尾銅山~日光の旅(1)
日本の世界遺産を巡る企画、第三弾。行く先は初めて訪れる栃木県、世界遺産・日光東照宮。大学2年の長女と高校3年の長男を除き、妻、下5人の子供を連れて旅に出た。日光は昨年くらいから旅先の候補に挙がっていた。日本人として一度くらいは訪れておきたかったが、地理的に中々僕の腰が上がらなかった。それに昨年、東照宮を象徴する陽明門が4年にも及ぶ平成の大修理(約40年ぶり)の最中だったことも、僕の決断を妨げていた。しかし今年3月8日、僕ら夫婦は結婚20年の節目を迎えた。当初2人でどこか旅行にでも行こうと思っていたが、今年は是非とも家族旅行もしておきたい。そんな中、子供のリクエストもあって(お金もないし)、結婚20年記念と家族旅行を兼ねることにした。後で知ったが、陽明門の大修理は今月10日に終わったそうな。今年7月にはこの地において、第1回日光ウルトラマラソンが開催される。当初エントリ-する予定でいたが、遠そうなので見送った経緯がある。

足尾銅山(近代化産業遺産:H19度経産省) ※2年ぶりの家族旅行、上2人は不参加
【日時】平成29年3月31日(金) 旅行1日目
【場所】自宅~足尾~鬼怒川温泉
足尾銅山。1610年(慶長15年)、農民二人が備前楯山で鉱床を発見し、幕府直轄の鉱山として本格的な採掘が始まった。幕府は足尾に鋳銭座を設け、足尾千軒として町は大いに繁栄。江戸時代には年間1200トンもの銅を産出していたが、その後採掘量は激減。幕末から明治初期にかけて、ほぼ閉山状態となっていた。明治4年(1871年)に民営化されたが、銅の産出量は年間150トンまで落ち込むことになる。そして1973年(昭和48年)採鉱は停止され、発見以来360余年続いた銅山はここに幕を閉じた。

ようこそ足尾銅山観光へ!

知らなかったが、何だかとても貴重な所みたい

トロッコ駅待合室 トロッコ列車

通洞坑(国指定史跡) 坑内を走行中

約400年間で掘り開いた坑道総延長1234km ※およそ東京から博多間
トロッコ列車に乗り、通洞坑より坑道へと入っていく。遊園地染みたこの乗車に子供達は大興奮だったが、その乗車距離は700mと短く、楽しみは一瞬で終わった。降車した先には柵が設けられ、その先1200km以上も坑道が続くのだという。きっと単位間違いだろう・・。そう疑う程の圧倒的な総延長は、正に想像を絶する。ここから入口方面へと遠回りして戻るように、坑内の散策が始まった。当時の採掘の様子が時代毎にリアルな人形で再現され、見ていてとても興味深く、楽しく学べる。資料館での展示物も豊富で、特大シアタ-で足尾銅山の歴史を学んだり、実際にこの銅山で採れた鉱物や、銅山の模型等も相当見応えがあった。一発でこの銅山のファンになり、是非とも世界遺産に登録されて欲しいと思った。足尾で採掘された銅は東照宮や江戸城の瓦の製造にも使われ、海外に輸出され国の繁栄を支える資源となる。 江戸時代の貨幣である『寛永通宝』は足尾でも作られ、足尾で作られた寛永通宝には裏に『足』の文字が刻まれ、『足字銭』と呼ばれていた。

江戸時代 ※画像クリックで拡大

手掘坑夫 車を押す人夫

負夫 水替人夫

明治・大正時代 ※画像クリックで拡大

坑内雑夫 運搬夫

昭和時代 ※画像クリックで拡大

喫飯場 砕女

削岩機体験コ-ナ- ※振動を体験出来る

大きな足字銭

天保銭の枝銭(鋳銭座内の展示模型) ※枝状の鋳型からカットしていた
足尾キリスト教会。明治41年にイギリスのキリスト教団マイナ-ズミッションからの献金(当時としては破格の2500円)で建てられた。マイナ-ズミッションはイギリスの鉱山で成功したグリン・ビビアンが設立した教団で、ビビアンは世界各国の首位鉱山所在地に教会を建てていた。日本では足尾銅山が選ばれたという訳だ。その後、教会は福音伝道教団に受け継がれ、現在も尚使われている。

足尾キリスト教会
古河橋。明治17年に直利橋製錬分工場が開設されたことに伴い、木造の直利橋が架設された。明治20年の大火によって焼失したが、その後(明治23年)鉄製の橋に架け替えられ、その時に名称が古河橋となった。架橋以来、当時のまま現存する極めて貴重な道路用鉄橋として、平成26年に国重要文化財に指定されている。

古河橋(国重要文化財)
相田みつを心の美術館。相田みつを(本名:相田光男、1924-1991)は、栃木県足利市に生まれた。誰にでも分かり易い詩を、独特の書体で書いた作風が印象的(有名)だ。今日は足尾観光の後、東武ワ-ルドスクウェアに行く計画だったが、時間的に断念。竹久夢二美術館とでどちらに行こうか迷ったが、結局こちらにした。しかし料亭・花茶寮の一画にあるこの美術館は、展示物が少なく、物足りなさだけが残った。

相田みつを心の美術館

展示物は少ない 心に残る名言の数々

詩人・書家 相田みつを 花茶寮
鬼怒川温泉、伊東園ホテル・ニュ-さくら。今回の旅行は日光東照宮がメインだが、伊東園での滞在も僕ら的には重要度は高い。時間が足りないので館内施設を遊び尽くすといった過ごし方は出来ないが、飲み放題付きの夕食バイキングは本日のハイライトとも言うべき重大要素。料理はどれも美味く、生ビ-ル
最高!90分という限られた時間だけがネックだが、僕はビ-ルを6杯半、妻は4杯飲んでハイテンションになった。温泉
には夕食前後と2度入り、鬼怒川温泉も満喫。個室カラオケは1室しかなく、チェックイン時に予約を試みたが既に一杯だった。夕食後は卓球やビリヤ-ドも楽しんだ。今回は部屋の定員の関係で2部屋取ることになったが、年頃の娘2人は隣の1部屋を自分らだけで使いかなり喜んでいた。今回仕方なく2部屋になったが、次回からは最初から2部屋で申し込もうと思う。

伊東園ホテル ニュ-さくら
夕食バイキング(飲み放題付き)最高!
2日目へ

足尾銅山(近代化産業遺産:H19度経産省) ※2年ぶりの家族旅行、上2人は不参加
【日時】平成29年3月31日(金) 旅行1日目
【場所】自宅~足尾~鬼怒川温泉
足尾銅山。1610年(慶長15年)、農民二人が備前楯山で鉱床を発見し、幕府直轄の鉱山として本格的な採掘が始まった。幕府は足尾に鋳銭座を設け、足尾千軒として町は大いに繁栄。江戸時代には年間1200トンもの銅を産出していたが、その後採掘量は激減。幕末から明治初期にかけて、ほぼ閉山状態となっていた。明治4年(1871年)に民営化されたが、銅の産出量は年間150トンまで落ち込むことになる。そして1973年(昭和48年)採鉱は停止され、発見以来360余年続いた銅山はここに幕を閉じた。

ようこそ足尾銅山観光へ!

知らなかったが、何だかとても貴重な所みたい


トロッコ駅待合室 トロッコ列車


通洞坑(国指定史跡) 坑内を走行中

約400年間で掘り開いた坑道総延長1234km ※およそ東京から博多間
トロッコ列車に乗り、通洞坑より坑道へと入っていく。遊園地染みたこの乗車に子供達は大興奮だったが、その乗車距離は700mと短く、楽しみは一瞬で終わった。降車した先には柵が設けられ、その先1200km以上も坑道が続くのだという。きっと単位間違いだろう・・。そう疑う程の圧倒的な総延長は、正に想像を絶する。ここから入口方面へと遠回りして戻るように、坑内の散策が始まった。当時の採掘の様子が時代毎にリアルな人形で再現され、見ていてとても興味深く、楽しく学べる。資料館での展示物も豊富で、特大シアタ-で足尾銅山の歴史を学んだり、実際にこの銅山で採れた鉱物や、銅山の模型等も相当見応えがあった。一発でこの銅山のファンになり、是非とも世界遺産に登録されて欲しいと思った。足尾で採掘された銅は東照宮や江戸城の瓦の製造にも使われ、海外に輸出され国の繁栄を支える資源となる。 江戸時代の貨幣である『寛永通宝』は足尾でも作られ、足尾で作られた寛永通宝には裏に『足』の文字が刻まれ、『足字銭』と呼ばれていた。

江戸時代 ※画像クリックで拡大


手掘坑夫 車を押す人夫


負夫 水替人夫

明治・大正時代 ※画像クリックで拡大


坑内雑夫 運搬夫

昭和時代 ※画像クリックで拡大


喫飯場 砕女

削岩機体験コ-ナ- ※振動を体験出来る

大きな足字銭


天保銭の枝銭(鋳銭座内の展示模型) ※枝状の鋳型からカットしていた
足尾キリスト教会。明治41年にイギリスのキリスト教団マイナ-ズミッションからの献金(当時としては破格の2500円)で建てられた。マイナ-ズミッションはイギリスの鉱山で成功したグリン・ビビアンが設立した教団で、ビビアンは世界各国の首位鉱山所在地に教会を建てていた。日本では足尾銅山が選ばれたという訳だ。その後、教会は福音伝道教団に受け継がれ、現在も尚使われている。

足尾キリスト教会
古河橋。明治17年に直利橋製錬分工場が開設されたことに伴い、木造の直利橋が架設された。明治20年の大火によって焼失したが、その後(明治23年)鉄製の橋に架け替えられ、その時に名称が古河橋となった。架橋以来、当時のまま現存する極めて貴重な道路用鉄橋として、平成26年に国重要文化財に指定されている。

古河橋(国重要文化財)
相田みつを心の美術館。相田みつを(本名:相田光男、1924-1991)は、栃木県足利市に生まれた。誰にでも分かり易い詩を、独特の書体で書いた作風が印象的(有名)だ。今日は足尾観光の後、東武ワ-ルドスクウェアに行く計画だったが、時間的に断念。竹久夢二美術館とでどちらに行こうか迷ったが、結局こちらにした。しかし料亭・花茶寮の一画にあるこの美術館は、展示物が少なく、物足りなさだけが残った。

相田みつを心の美術館


展示物は少ない 心に残る名言の数々


詩人・書家 相田みつを 花茶寮
鬼怒川温泉、伊東園ホテル・ニュ-さくら。今回の旅行は日光東照宮がメインだが、伊東園での滞在も僕ら的には重要度は高い。時間が足りないので館内施設を遊び尽くすといった過ごし方は出来ないが、飲み放題付きの夕食バイキングは本日のハイライトとも言うべき重大要素。料理はどれも美味く、生ビ-ル



伊東園ホテル ニュ-さくら


夕食バイキング(飲み放題付き)最高!
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