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野麦峠まつり

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高根こん太  ※高山市高根町のゆるキャラ 
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工女扮する嶺花

平成27年5月24日、野麦峠まつりの”糸引き工女行列”に娘二人(小6嶺花、中2穂乃花)と僕とで参加した。野麦峠の名を全国に知らしめたのが、1979年製作の映画『あゝ野麦峠』。原作は山本茂実のノンフィクション。主演は『政井みね』を演じる大竹しのぶ。兄の『政井辰次郎』を演じるのは地井武男。戦前、飛騨の農家の娘(多くは10代)は、野麦峠を越えて諏訪、岡谷の製糸工場へ働きに出た。吹雪の中を危険な峠雪道を越え、また劣悪な環境の元で命を削りながら、当時の富国強兵の国策において有力な貿易品であった生糸の生産を支えきた。

政井みねは吉城郡河合村角川(現飛騨市河合町)の出身であり、その地は僕のル-ツでもある。みねの生家(今はない)は母の実家の数軒先であり、昨年96歳で亡くなった祖母もみねと同様工女として出稼ぎに出ていた。今改めてこの物語を知れば知るほど、心に深く突き刺さるものがある。早速、原作本も注文した。若い娘が雪の中を何日も何日も歩き、家の為に出稼ぎに行ったこと。兄辰次郎は妹みねの重病の知らせに寝ずに2日で30数里もの遠路を歩き迎えにいった。そして病の妹を背中に担ぎ、みねは終に野麦峠で息絶えた。あゝ飛騨が見える、飛騨が見える・・。お助け小屋で兄が買い与えた蕎麦や甘酒に手を付けることなく、みねはそう言って静かに息を引き取った。
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政井みねの像 『あゝ飛騨が見える』
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『あゝ野麦峠』の碑

この日は長野県側からも多くの行列が1時間かけて歩いてきた。何故か高山市長はこちらの行列に汗だくになり帯同していた。岐阜県高山市側から出席した我ら工女行列一行は峠周辺を少し歩いただけだが、こちらがメインなのか報道各社の格好の餌食となり、撮影隊と行列の人数は同じくらいなのが実に滑稽だった。先頭を歩く検番役の男性は遥々群馬県から来たそうで、富岡製糸場でガイドを務めているそうな。鮎飛さんが飛騨の語り部なら、この男性は富岡の語り部といったところだろう。

ところで行列の僕は、法被を着て、腰に前掛けを巻き、荷物を担ぐ役どころ。男性陣の主役は当然検番だろうが、この役はかなり目立つ。恥かしがり屋の僕には到底勤まらない。とても重要な意味を持つこの工女行列なのだが、高山市側からの参加者が少ないことには驚いた。ほとんど穴埋めの関係者ばかりで、蕎麦打ちの練習に来ていた地元の若者も駆り出されていた。今後はみねの地元角川からの参加者が増えることを願うのと同時に、工女の子孫は是非とも参加すべきだと強く思った。(日本の近代化を支えた飛騨の娘達に敬意を称し、飛騨市も是非とも協賛すべき)
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糸引き工女行列
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鮎飛定男さんの語り部(野麦峠の館)  ※存じ上げていなかったが大変素晴らしい方だ

行列の仕事(体験)は朝早くからほぼ1日がかりだったが、昼食には味ご飯弁当とペットボトルのお茶、それに手打蕎麦の引換券を頂け、塩沢温泉七峰館での無料入浴も特典でついてくる。数年ぶりにここの湯に浸かりながら、特徴あるに髭多山を久々に眺める。そして僕は一つ胸に誓った。岡谷市から野麦峠を越え、角川専勝寺(みねの墓)まで当時の旅路を辿ってみたい。工女の娘達や辰次郎を想いながら・・。
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乗鞍岳を前に安全祈願祭
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イベント広場
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塩沢温泉 七峰館
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