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鍋山と元服山

【山域】鍋山(753m)、元服山(749m)
【日時】平成24年4月21日
【天候】晴れ
【岳人】ナナ(年中)、僕


四天王神社(9:27)  出発間際ドタキャンをしてきた嶺花の代替要因として、急遽やる気満々の四女ナナを連れ出し高山市中心部へと向かった。今日は歴史ある漆垣内町の鍋山、地形図でしか知り得ない知名度ゼロの元服山の二山を目指す。鍋山へは四天王神社から登り始めた。神社の境内前に駐車、そこから階段を上り左へ進む。左下には谷があり、谷沿いに薄い道が有るような、無いような。獣用の電子柵を越えるのが厄介だが、子供は放り投げればいい。大人は柵を壊さないように越えるのがかなり難しく、ここが頭の使いよう。電子柵を無事乗越え谷の右斜面沿いを適当に進んではいるが、一抹の不安もある。
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四天王神社
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獣対策の電子柵

ふと作業小屋が現れ、その前を通ってみると立派な登山道に出くわした。谷の左に立派な道が付いていたようで、これが大手道となる。所々”屋敷跡”の表示もあるが、平場には長い年別を経て木が無数に根付き、今ではその形跡は微塵も感じ取れない。大手道というだけあり、立派な石造りの道標がやたら目に付く。その石柱に記された案内先が”大手”から”本丸”へと変わってくれば、山頂も近い。木漏れ日の注ぐ春の陽気が、何だかとても心地良い。直ぐ近くで聞こえる声は後を追う登山者のものかと思ったが、近くの大八グランドから届いてきているようだった。
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作業小屋
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大手道
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春の陽気

鍋山(9:58、10:24)  山頂部に着くと、まずは古い石垣が出迎えてくれた。長く広い山頂部は寛ぐには丁度良いのだが、肝心な方向は木々が邪魔をして期待の眺望は得られない。この本丸がある山が大鍋山、西の下鍋山に二之丸があり、南の小鍋山に出丸があったという。益田地方で強大になった三木自綱(みつき よりつな)は高山盆地に侵攻し、自綱の次男が鍋山城に入った。その後豊臣秀吉の天下統一の動きの中で、その命を受けた金森長近(かなもり ながちか)が飛騨国に攻め込み三木氏は滅んでいった。長近は当初鍋山城を居城とし城下町の建設にも着手したが、数年で高山城へ移り、ここ鍋山城は廃城となった。これが岐阜県指定史跡、鍋山城跡である。 
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当時の石垣が残る
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大鍋山(本丸)
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鍋山城跡
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何だろ

四天王神社(10:41)  行きは運良く途中から大手道に合流したが、この出先は一体どこだったのだろう。下山はこの大手道の全容に着目。幅広の道は林道を兼ねていたようで、分岐の石柱で大手道は左の谷沿いへと入って行った。結局大手道は柵に沿い、集落の方まで下って行くようだった。しかし僕等はそこまでは下がらない。柵を傷めないよう慎重に跨ぎ、柵向こうの神社へと戻り着いた。
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大手道、林道分岐

元服山駐車地(10:53)  四天王神社から車道に出て、そのまま相向いの林道を直進。目印の池を過ぎ、分岐を右折した先に僅かな空地があり、ここに車を停めた。単調な地形でどこからでも登れそうだが、地形図で策は練ってある。池の西角から浅い水敷きを渡り、谷に取り付く。明瞭な涸れ谷は山頂直下まで延びており、登り詰めた先がコルとなる。左へは小ピ-クがあり、元服山へは右への少しの登りで山頂部へと到達する。 
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大きな池
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なだらかな小ピ-クと元服山(右)
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涸れた谷を詰める
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非常に明確だ
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尾根のコルに出た

元服山(11:24、12:27)  山頂尾根に着き少し探したら、三角点は直ぐに見つかった。立派な三等三角点の標石が、堂々と地面から顔を出している。背後には先人が数年前に取り付けたであろう山頂プレ-トが、ほとんど消えかけの文字を帯び、木にくくり付けられていた。僕等も持参のピンクテ-プに山名や標高、日付や子供の名を書き、山頂の木に貼り付ける。ずっと気になっていた山だけに、今日こうして登れて気分は凄くいい。それも可愛いナナと一緒というのが、僕にとっては何よりも嬉しい事だ。眺望はなく、当然誰もいる筈のない地味な山・・。三角点を囲み昼食のおにぎりを食べ、お菓子と缶コ-ヒ-で登頂を祝う。どの町にでも一つや二つはありそうな、知名度ゼロの三角点峰。登山の対象にする人はほとんどいないが、何気ない休日が特別な一日となる事は間違いない。
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元服山
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山頂に残してきた足跡
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小ピ-クには何もない
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下山は東の尾根を下ると、ドンピシャで駐車地へ

駐車地(12:44)  山頂からは直接池へ下る尾根もあるが、一旦先程のコルまで下るとする。小ピ-クまで軽く登り、小ピ-クからは東に延びる尾根を下ってみた。地籍調査か林業作業用のテ-プや赤スプレ-がそこら中にあるが、全て無視。見事ドンピシャで駐車地に下りて来た。
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駐車地


日本三大美祭にも例えられる、豪華絢爛な高山祭り。故中田金太氏によって150年ぶりに作られた平成の祭り屋台が、飛騨高山まつりの森で一際輝いていた。世界一、日本一が館内に多いのは、故人の抱いたスケ-ルがあまりにも大きかったからだろう。順番に繰り広げられる、からくりの上演も見所の一つだ。

駐車場には、観光バスの姿が非常に多い。岩をくり抜いて造られた天然ド-ムの館内は、寒いくらいヒンヤリ冷えている。それに、今日はやたら中国人の姿が多い事にまず驚いた。皆お揃いのバッジを胸に付けた格好から、中国から来たツア-客一行と見てとれた。かつて外国で目にする団体客と言えば、首からカメラをぶら下げた日本人が定番だった。しかしその勢いは、中国やアジア諸国にさらわれつつある。これまで金持ちジパングの国民は、海外を訪問してばかりの立場だった。バブルの崩壊、長引く景気の低迷、デフレの影響を受け、日本は海外の旅行者を積極的に招き入れる逆の立場へと変貌してきたようだ。
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総木曽桧造り 日本一の大神輿
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大太鼓
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