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祖国の先輩に花を捧ぐ~黄金のベンガル編(22)

2012年1月11日
クミッラ~チッタゴン



先の第二次世界大戦で亡くなった兵士を埋葬する墓地が、クミッラとチッタゴンにある。
綺麗に整備され、手入れもよく行き届いている、チッタゴン戦争墓地。
そこは喧騒とゴミにまみれたバングラデシュとは思えぬ程、異質な空間に包まれていた。
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チッタゴン戦争墓地

連合軍のパイロット等、各兵士の所属や氏名、年齢が立派な金属板に刻まれ、両脇には美しい花が植え付けられている。
20歳前後で命を落とした若き兵士が多い事にも、驚きを隠せない。
そしてその整然と並んだ墓碑から少し離れた高台に、ひっそりと一つの墓碑が佇んでいた。

”JAPANESE SOLDIERS”と記されたその墓碑には、日本軍兵士の氏名が列記されている。
連合軍の一兵士一墓碑と異なり、離れたこの墓碑だけ複数兵士まとめて、という扱い。
氏名の記載には誤りが多く、日本人だったらロ-マ字の読みから間違いは容易に判別出来る。
きっと異国の人が作ったのだろう。
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日本人戦死者が刻まれた墓碑

珍しくこの碑を訪れている僕等日本人に気を遣ってくれたのか、管理の男性が墓碑に付いていた汚れを水で洗い流してくれた。
ここに刻まれた18人の日本人兵士は戦時中捕虜となり、この地で生涯を終えたのだ。
さぞかし無念であっただろう、さぞかし辛かっただろう。
連合軍兵士の花を失敬して、祖国の為に命を懸けて下さった先輩達に花を捧げ、
両手を合わせ、目を閉じた。

遠く離れたチッタゴンの地で、いつまでも安らかにお眠り下さい・・


今日は移動日、移動日の朝も残すところ後数回。
ホテルをチェックアウト後、近くの食堂で朝食をとり、乗合オ-トリキシャに詰め込まれトムソンブリッジ・バスタ-ミナルへと向かう。
チッタゴン行きのバスは直ぐに見つかり、しばしの客集めを経て、7時半いよいよ出発。
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ロ-カルパニがまとめて置かれる
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トムソンブリッジ・バスタ-ミナル

今朝は少し寝不足気味のようだ、バスが動き出すと同時に安堵して深い眠りに就いていた。
3時間程眠っていただろうか、バスは今尚順調に走行中。
トイレに行きたいが、休憩を取るような気配は一切感じ取れない。

休憩はまだか、まだか・・、と窓の外をぼんやり眺めている。
次第に交通量が増え、バスの速度はみるみると落ちてきた。
そして走り始めて間もなく4時間経つ頃、バスは路肩でエンジンを止め、待ちわびた休憩となる。

急いで昼食代わりのスナック菓子を買い込み、置き去りにされぬようバスの近くで待機。
乗客は皆どこへ行ってしまったのだろう、全く姿が見当たらない。
近くに食堂でもあるのだろうか。

バスの前で出発の時を待っていると、ほうきを持った乗務員が車内の清掃を始めた。
この国では珍しく几帳面なバスだな・・。
僕は周りの状況を察し、嫌な気配を読み取った。

まさかバスを間違えているのではないだろうな・・。
念の為車内に入り、自分のバックがあるか確認。

・・ない!

ヤバイ、バスを間違えていた!
ついに置いて行かれたのだ。

清掃する男に『バッグ、バッグ!』と叫びながら訴え、僕もこの状況を必死にアピ-ル。
男は余裕面を浮かべ、『OK、OK!』と僕をなだめようとしているようだ。
何がOKだ、と腹も立ったが、車内後方に移してあった僕のメインバックを見て胸を撫で下ろす。

バスは間違っておらず、置き去りにもされていない。
どうやらここは休憩場所ではなく、目的地チッタゴンのようである。
予想外に早く、ふいを突かれた到着劇だった。

しかし降ろされたこの場所が、チッタゴンのどこだかさっぱり分からない。
リキシャで中心部まで行こうとしたが、どうやらリキシャで行けるような近距離ではないようだ。
英語の分かる通行人が手配してくれたCNGに乗り、今度こそ市内中心部へと向かう。

このCNGには結局30分乗っていたが、故障トラブルに遭い、時間の半分は動いていない。
確かにリキシャには遠いだろうが、エンジンの付いたCNGならたいした距離ではないだろう。
20kmもないだろうし、100Tkは高過ぎる。
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CNGは故障が多い

ホテル探しは3軒目、汗だくになりようやく決まった。
さすがはバングラ第2の都市チッタゴン、ホテルの数は多いが宿泊費はダッカ並に高い。
汚れているズボンを洗い、屋上に干す。
ホテル近くにある安食堂は追加のカレ-やライスが全て無料、この国では大変珍しく直ぐに行きつけとなった。
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駅前の大通り
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チャ-屋のパン

町を散策がてら、歩いてジア記念博物館へと向かう。
ここは当時の大統領ジアウル・ラフマンが暗殺された迎賓館で、現在は博物館となっている。
国民に絶大な人気があったジアではあるが、軍の一部の不興を買い、1981年ここを訪れた際に暗殺された。
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電柱もリキシャもバングラ色
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ジア記念博物館

独立の父ムジブルといいジアといい、この時期大統領となった者には悲しき運命が待っていた。
館内は常にサングラスをかけていたジアの写真が展示の多くを占め、階段側壁と床に残る銃弾や血痕の跡は生々しさを今に伝えている。
ムジブル・ラフマンとジアウル・ラフマン。
バングラデシュ創設期のこの2人の偉大な大統領、実に殺され方まで同じだった。

その後戦争墓地まで足を延ばし、この地で眠る日本軍兵士に花を捧げる。
この時から一人のバングラ人の中年男が僕等の1m圏内に付きまとい、終始離れようとしない。
墓地出入口での記帳後、男と握手をし強引に別れたはずだが、気が付くと今度は2m圏内にまとわり付いている。

その後も何度か握手をし強制的に別れ、雲隠れして逃げ切ったつもりだが、再びどこからか現れ後ろをまとわり付いている。
僕等と行き先が同じはずはない。
こやつはスト-カ-か、それともただの世話焼きか。
上手く市内の人込みに紛れ何とか彼を巻き、ようやく自由の身となった。
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安食堂
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喰う

大変賑やかな町、大都会チッタゴン。
ダッカ行きの鉄道チケットを夢見て挑んだが、やはりこの町でも押さえる事は出来なかった。
本当に席がないのか、実際のところはよく分からない。
だけど明日もう一度並んでやる。
バングラのバスは極力避けたいから、僕は懲りずに何度でも並んでやる。
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シャワ-室になぜ茸、そして虫の死骸も


チッタゴン・ドリ-ムインタ-ナショナル泊-500Tk


朝食(ベジ、ルティ28Tk) 乗合オ-トリキシャ(20Tk) バス(クミッラ~チッタゴン440Tk) ポップコ-ン(10Tk) スナック菓子(7Tk) CNG(100Tk) ホテル(500Tk) 昼食(ベジ、ライス32Tk) チャ-(5Tk×2) ジア記念博物館(75Tk×2) ガム(1Tk×2) 揚げパン(5Tk) 夕食(エッグカレ-、ライス23Tk) ホットミルク生卵入り(25Tk) 水2ℓ(30Tk) スナック菓子(10Tk)  計1392Tk 
 


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