きゅうり溢れるシレットの町~黄金のベンガル編(17)
2012年1月7日
スリモンゴル~シレット
シレット(Sylhet)。
ここはバングラデシュ北東部の中心都市、人口は約46万人。
中流階級が集うこの町にはショッピングセンタ-も多く、町は大いなる賑わいを見せている。
スリモンゴルの田舎町からやって来た旅行者としては、この上なく魅力的な町に映り、
自ずと気分も高ぶってきた。

屋台のきゅうり売り
スリモンゴル~シレット
シレット(Sylhet)。
ここはバングラデシュ北東部の中心都市、人口は約46万人。
中流階級が集うこの町にはショッピングセンタ-も多く、町は大いなる賑わいを見せている。
スリモンゴルの田舎町からやって来た旅行者としては、この上なく魅力的な町に映り、
自ずと気分も高ぶってきた。

屋台のきゅうり売り
スリモンゴルの町外れのバス乗り場から、シレット行きのバスに乗った。
バスは所々町のバザ-ルでエンジンを止め、乗客を一人でも多く乗せようと意気込んでいる。
早く走り出してくれ・・、そう願うのは僕だけなのだろうか。
周りの乗客は何食わぬ顔で、窓の外を眺めている。
移動距離60kmの道程を2時間を少し過ぎ、目的地シレットに到着。
バスタ-ミナルで次の町への移動の可否を一応尋ねておき、本命の鉄道駅へと向かう。
鉄道駅の切符売場に並び翌日のチッタゴン行きの夜行の手配を試みるが、予想通り席はない。
これだけ鉄道に嫌われているので、最初から半分諦め、期待はしていなかった。

鉄道駅の切符売場にて苦戦中
こうなった場合の次のプランは既に練ってある。
遠く離れた南東の大都市チッタゴンへ向かう中継として、一度中間のクミッラに立ち寄る。
移動手段は日中のバス移動しかない。
歩いて市街地へと向かう途中、路上で美味しそうなきゅうりの屋台を見つけた。
普段見慣れたものと違い、黒く丸い形をしている。
一見、アボガドのようにも見えなくはない。
中身は緑色をしており、味はきゅうりそのものだった。
皮を剥き、ノコギリ状に真半分に分けたものが売られている。
ハ-フで5タカ、これに塩を振ってがぶりと噛り付く。
食べ応えもあり、これは実にヘルシ-だ。
シュルマ川に架かる橋を渡り、市街地方面へと進んで行く。
橋は通行人、リキシャ、CNG、車がひしめき合い、大変な混雑ぶり。
橋には勾配がついており、リキシャを押す専用の”押し屋”もいるようだ。

橋を渡り市街地へ
橋を越えると車や人が一気に溢れ出し、町は異様な活気に包まれていた。
橋から直進、突き当りを左へ行くと安宿が多く集まっている地区となる。
しかしここは意を決して右へと進路を取り、知りうる最安値のホテルへと足を運んだ。
こうして辿り着いたホテル・アジアであったが、軽く追い払われ、選択の過ちを後悔する。
『ノ-ル-ム・・』と言っていたが、あれは絶対に嘘だ!
きっと僕等が得体の知れない外国人だから、本能的に断ったのだろう。
人込みを掻き分け、額に汗をにじませながら来た道を引き返す。
僕も宿探しに必死な為、後ろを歩く息子の事を気にかけている余裕はない。
『スマンがこの人込みで逸れたら最後だぞ、その時は分かっているな!』
岳登もそこは充分承知しており、早足で歩く僕を見失わないよう、必死に喰らいついてくる。
スリモンゴルの鉄道駅で日本人女性が話していたホテル・グルシャンを駄目もとで覘いてみる
立派な面構えで、料金は見るからに高そうだ。
本当に250タカなんかで泊まったのだろうか。
半信半疑のままホテルに入り、ロビ-の受付に声をかける。

ホテル・グルシャン
『ド-ユ-ハブ、ダブルル-ム?』
『YES!』
『ハウマッチ、パ-ナイト?』
『250タカ!』
うぉ~、こりゃスゲェや!
本当に訊いた通りになってきた。
部屋を見せてもらうと、広々としており、そこそこ綺麗だ。
机や椅子もあり、日記も気分良く書けそう。
TVがないのが寂しいが、それぞれのベットには蚊帳が付いている。
値段からしてみれば、これまでのバングラの安宿でベストだろう。

今回の旅においてベストな宿
賑やかなシレットの町に繰り出してみる。
昼食は20タカのビリヤニを2軒ハシゴ。
肝心の肉は少なく、ライスの量も少ないが、辛くなく岳登も喜んで食べていた。

決して美味くはないが、不味くもない ※この国ではそれが大変嬉しい
市内の少ない見所の一つ、オスマニ博物館を見学。
シレット出身の軍人オスマニが住んでいた家で、現在は博物館として愛用品と共に公開されている。
そのオスマニは、独立戦争時の軍総司令官。
ジアウル・ラフマンに敗れたものの、1978年の大統領選にも出たという。

オスマニ博物館
更に町を歩く。
どこで道を間違えたのか、現在地が分からなくなってきた。
シャ-・ジャラル聖者廟は断念し、ジンダバザ-ルを抜け、ホテル方向に戻る事にする。

富王(中国製のパン)がこんな所にも

この交差点を仕切るのは、手信号の警官

食い物

バングラのリキシャマン
きゅうり屋台は至る所にあり、この町の特産のようでもあった。
気になるものは精力的に食べながら、ホテルまで戻り、一旦昼寝タイム。
そして再び繰り出したシレットの町。
夜になり、その活気は一段増しているように見える。
夕食はビリヤニをまたもや2軒ハシゴする。
ビリヤニというには弱冠抵抗があるが、詳しい料理名は分からない。
この町の食堂はどこを覘いても、誰もが大抵この料理ばかり食べている。
ひとまずこのシレットの印象は、きゅうりとビリヤニもどき、だろうか。
ここはグルシャンの28号室。
町の中心地にほど近く、町の誰もが知っている有名な大型老舗ホテルである。
現在夜の10時半。
近くのモスクで集会でもしているようで、マイク演説の叫び声、いちいちそれに応える聴衆の唸り声がうるさくてかなわない。
この国は9割がイスラム教徒。
毎朝5時半になるとどこの町でも必ず大音響のコ-ランが流れてくるが、
誰も聞いている様子はない。
シレット・グルシャン泊-250Tk
バス(スリモンゴル~シレット200Tk) きゅうり(5Tk×2) ホテル(250Tk×2泊分) 昼食(ビリヤニ20Tk×4) オスマニ博物館(75Tk×2) きゅうり(5Tk) なつめレ-ズン(5Tk) 揚げパン(5Tk) 夕食(ビリヤニ15Tk×2) 毛糸帽(50Tk) 再度夕食(ビリヤニ、揚げ物30Tk) チャ-(5Tk×2) 水2ℓ(30Tk) 計1105Tk
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バスは所々町のバザ-ルでエンジンを止め、乗客を一人でも多く乗せようと意気込んでいる。
早く走り出してくれ・・、そう願うのは僕だけなのだろうか。
周りの乗客は何食わぬ顔で、窓の外を眺めている。
移動距離60kmの道程を2時間を少し過ぎ、目的地シレットに到着。
バスタ-ミナルで次の町への移動の可否を一応尋ねておき、本命の鉄道駅へと向かう。
鉄道駅の切符売場に並び翌日のチッタゴン行きの夜行の手配を試みるが、予想通り席はない。
これだけ鉄道に嫌われているので、最初から半分諦め、期待はしていなかった。

鉄道駅の切符売場にて苦戦中
こうなった場合の次のプランは既に練ってある。
遠く離れた南東の大都市チッタゴンへ向かう中継として、一度中間のクミッラに立ち寄る。
移動手段は日中のバス移動しかない。
歩いて市街地へと向かう途中、路上で美味しそうなきゅうりの屋台を見つけた。
普段見慣れたものと違い、黒く丸い形をしている。
一見、アボガドのようにも見えなくはない。
中身は緑色をしており、味はきゅうりそのものだった。
皮を剥き、ノコギリ状に真半分に分けたものが売られている。
ハ-フで5タカ、これに塩を振ってがぶりと噛り付く。
食べ応えもあり、これは実にヘルシ-だ。
シュルマ川に架かる橋を渡り、市街地方面へと進んで行く。
橋は通行人、リキシャ、CNG、車がひしめき合い、大変な混雑ぶり。
橋には勾配がついており、リキシャを押す専用の”押し屋”もいるようだ。

橋を渡り市街地へ
橋を越えると車や人が一気に溢れ出し、町は異様な活気に包まれていた。
橋から直進、突き当りを左へ行くと安宿が多く集まっている地区となる。
しかしここは意を決して右へと進路を取り、知りうる最安値のホテルへと足を運んだ。
こうして辿り着いたホテル・アジアであったが、軽く追い払われ、選択の過ちを後悔する。
『ノ-ル-ム・・』と言っていたが、あれは絶対に嘘だ!
きっと僕等が得体の知れない外国人だから、本能的に断ったのだろう。
人込みを掻き分け、額に汗をにじませながら来た道を引き返す。
僕も宿探しに必死な為、後ろを歩く息子の事を気にかけている余裕はない。
『スマンがこの人込みで逸れたら最後だぞ、その時は分かっているな!』
岳登もそこは充分承知しており、早足で歩く僕を見失わないよう、必死に喰らいついてくる。
スリモンゴルの鉄道駅で日本人女性が話していたホテル・グルシャンを駄目もとで覘いてみる
立派な面構えで、料金は見るからに高そうだ。
本当に250タカなんかで泊まったのだろうか。
半信半疑のままホテルに入り、ロビ-の受付に声をかける。

ホテル・グルシャン
『ド-ユ-ハブ、ダブルル-ム?』
『YES!』
『ハウマッチ、パ-ナイト?』
『250タカ!』
うぉ~、こりゃスゲェや!
本当に訊いた通りになってきた。
部屋を見せてもらうと、広々としており、そこそこ綺麗だ。
机や椅子もあり、日記も気分良く書けそう。
TVがないのが寂しいが、それぞれのベットには蚊帳が付いている。
値段からしてみれば、これまでのバングラの安宿でベストだろう。

今回の旅においてベストな宿
賑やかなシレットの町に繰り出してみる。
昼食は20タカのビリヤニを2軒ハシゴ。
肝心の肉は少なく、ライスの量も少ないが、辛くなく岳登も喜んで食べていた。

決して美味くはないが、不味くもない ※この国ではそれが大変嬉しい
市内の少ない見所の一つ、オスマニ博物館を見学。
シレット出身の軍人オスマニが住んでいた家で、現在は博物館として愛用品と共に公開されている。
そのオスマニは、独立戦争時の軍総司令官。
ジアウル・ラフマンに敗れたものの、1978年の大統領選にも出たという。

オスマニ博物館
更に町を歩く。
どこで道を間違えたのか、現在地が分からなくなってきた。
シャ-・ジャラル聖者廟は断念し、ジンダバザ-ルを抜け、ホテル方向に戻る事にする。

富王(中国製のパン)がこんな所にも

この交差点を仕切るのは、手信号の警官

食い物

バングラのリキシャマン
きゅうり屋台は至る所にあり、この町の特産のようでもあった。
気になるものは精力的に食べながら、ホテルまで戻り、一旦昼寝タイム。
そして再び繰り出したシレットの町。
夜になり、その活気は一段増しているように見える。
夕食はビリヤニをまたもや2軒ハシゴする。
ビリヤニというには弱冠抵抗があるが、詳しい料理名は分からない。
この町の食堂はどこを覘いても、誰もが大抵この料理ばかり食べている。
ひとまずこのシレットの印象は、きゅうりとビリヤニもどき、だろうか。
ここはグルシャンの28号室。
町の中心地にほど近く、町の誰もが知っている有名な大型老舗ホテルである。
現在夜の10時半。
近くのモスクで集会でもしているようで、マイク演説の叫び声、いちいちそれに応える聴衆の唸り声がうるさくてかなわない。
この国は9割がイスラム教徒。
毎朝5時半になるとどこの町でも必ず大音響のコ-ランが流れてくるが、
誰も聞いている様子はない。
シレット・グルシャン泊-250Tk
バス(スリモンゴル~シレット200Tk) きゅうり(5Tk×2) ホテル(250Tk×2泊分) 昼食(ビリヤニ20Tk×4) オスマニ博物館(75Tk×2) きゅうり(5Tk) なつめレ-ズン(5Tk) 揚げパン(5Tk) 夕食(ビリヤニ15Tk×2) 毛糸帽(50Tk) 再度夕食(ビリヤニ、揚げ物30Tk) チャ-(5Tk×2) 水2ℓ(30Tk) 計1105Tk
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