夕暮れ時のポッダ川~黄金のベンガル編(8)
2011年12月29日
クルナ~ラジシャヒ
間もなく、ポッダ川に夕日が沈む。
お隣インドではこの川の事を、ガンジス河(ガンガ-)と呼んでいる。
二度と見る機会はないと思っていたこの大河を、一年ぶりに岳登と眺めている。

夕暮れ時のポッダ川
ここはラジシャヒ、バングラデシュ北西部の中心都市である。
整備された遊歩道の汚れたベンチに腰を下ろし、目の前の穏やかな情景に酔いしれている。
川の色はガンガ-程は濁っていないようだが、川岸にはゴミが目立つ。
『ポッダ川でもバタフライしてもいいぞ!』
岳登に冗談交じりで勧めてはみたが、その気は更々ないようだ。
ここは地元の若い男女の格好のデ-トスポットとなっており、カップルの姿がやけに多い。
隣りに座るカップルの若い男性が、意を決した顔つきで英語で話しかけてきた。
バングラ人の誰もが僕等に深い興味を抱いているようだが、
こうして話しかけてくるのは、英語を学んだ限られた人だけとなる。
青年に歳を尋ねると18歳だと言う。
我が家の長女とたいして変わらない。
同じ大人として年齢の差は特に感じなかったが、知らぬ間に僕だけ随分歳を取っていたようだ。
大河に沈む夕日は、これまで見たものとたいした違いはない。
ゆったりと哀愁を漂わせて流れゆく静かな水面、どこまでも果てしなく広がる地平線。
その上で強く輝いていた太陽は、次第にその輝きを失い、
やがて周りの空の色さえも一瞬にして他の色に変えてしまう。
目の前では服を着た山羊が忙しそうに草を摘む、この川沿いには何故か山羊が多い。

夕暮れ時が迫ってくると

どこからともなく鳥が集まり

太陽は最後の輝きを放し

やがて色を変え

地平線へと消えて行った
クルナ~ラジシャヒ
間もなく、ポッダ川に夕日が沈む。
お隣インドではこの川の事を、ガンジス河(ガンガ-)と呼んでいる。
二度と見る機会はないと思っていたこの大河を、一年ぶりに岳登と眺めている。

夕暮れ時のポッダ川
ここはラジシャヒ、バングラデシュ北西部の中心都市である。
整備された遊歩道の汚れたベンチに腰を下ろし、目の前の穏やかな情景に酔いしれている。
川の色はガンガ-程は濁っていないようだが、川岸にはゴミが目立つ。
『ポッダ川でもバタフライしてもいいぞ!』
岳登に冗談交じりで勧めてはみたが、その気は更々ないようだ。
ここは地元の若い男女の格好のデ-トスポットとなっており、カップルの姿がやけに多い。
隣りに座るカップルの若い男性が、意を決した顔つきで英語で話しかけてきた。
バングラ人の誰もが僕等に深い興味を抱いているようだが、
こうして話しかけてくるのは、英語を学んだ限られた人だけとなる。
青年に歳を尋ねると18歳だと言う。
我が家の長女とたいして変わらない。
同じ大人として年齢の差は特に感じなかったが、知らぬ間に僕だけ随分歳を取っていたようだ。
大河に沈む夕日は、これまで見たものとたいした違いはない。
ゆったりと哀愁を漂わせて流れゆく静かな水面、どこまでも果てしなく広がる地平線。
その上で強く輝いていた太陽は、次第にその輝きを失い、
やがて周りの空の色さえも一瞬にして他の色に変えてしまう。
目の前では服を着た山羊が忙しそうに草を摘む、この川沿いには何故か山羊が多い。

夕暮れ時が迫ってくると

どこからともなく鳥が集まり

太陽は最後の輝きを放し

やがて色を変え

地平線へと消えて行った
暗闇の早朝5時半、宿泊先のホテルを出て徒歩で駅へと向かった。
鉄道駅前にある食堂で朝食を済ませ、停車中の車両へと乗り込む。
車内には電気がないようで、真暗闇の中、多くの乗客が自分の座席を探しひしめいていた。
岳登のバックから懐中電灯を取り出し、ピンポイントの明かりを頼りに自分の席を探し出す。

プラットホ-ム
そして定刻通りの6時半、列車はゆっくりと動き始めた。
座席は片側3人掛けが向かい合わせ、1ボックス定員6人となる。
長距離バスの窮屈さを考えたら、快適の度合いは全く比べ物にならない。
邪魔な荷物は上の荷棚に置けるし、列車内にトイレもあり、場所も近い。
車内の物売りも頻繁にやって来るし、車窓の景色も楽しめる。
子供を決して叱らない自由奔放な親子連れには参ったが、
長閑な農村の風景に見とれていたら、13時15分ラジシャヒ駅に到着した。
乗客は一斉に列車を下りる。
ここが終着駅か通過駅かは分からないが、凄まじい数の乗客が同じ町を目指していたようだ。

長閑な風景

ラジシャヒ鉄道駅
駅から少し歩き、ホテルを探しチェックイン。
この宿は決して綺麗とは言えないが、立地は良く、岳登には欠かせないTVも付いている。

ホテル・エイジア ※3階左バルコニ-に、僕等の干したズボンが見える
この町も、これまで訪れた他の町と同じく大変賑やかだ。
日本の半分以下の狭い国土に日本を上回る国民が暮らしているのだから、それも当然だろう。
遠く目にした金髪の若い女性達は、当然の如く多くのバングラ人に囲まれていた。

オ-トリキシャ

リキシャ・・

リキシャ

ニュ-マ-ケットで客待ち中

椰子の実ジュ-ス(15Tk)

ピ-ナッツの量り売り(12Tk)

シャ-・モクドゥム廟
ポッダ川で綺麗な夕日を見送った後は、この町の中心地ゼロポイント周辺を歩いてみた。
ラジシャヒ大学では”ブックフェア-”なる催しが開かれ、若い学生を中心に大変な盛り上がりを見せている。
先程川岸で学生に誘われたブックフェア-とはこのことのようだ。

ナショナル・フラッグ(国旗) ※バングラ人は母国に誇りを持っている
クルナでミシュティの味を覚えて以来、毎日その日の締めにミシュティを食べるようにしている。
その為には11~15のベンガル語の発音も覚える必要が出てきた。
”コトタカ?”で値段を訊いても、その答えが聞き取れないとやり取りが成り立たない。
エガロ、バロ、テロ、チョッド、ポネロ。
これがベンガル語の11~15の発音、覚えの悪い僕をよそに岳登は直ぐに覚えてしまった。
夕食に入ったケバブ食堂は、店員が頼んでもいないものばかり持ってきて非常に困った。
それらの見分けは大変難しく、いちいち確認するのもあまり格好のいいものではない。
そして会計の時、嫌な胸騒ぎは的中、驚きの金額が弾き出されてきた。

これがミネラルパニだって
事前にケバブやルティの値段は訊いて店に入ったが、その合計額が倍近い。
ケバブは2本しか頼んでないと僕は強く主張したが、店員は4本出したと自信満々に言い放つ。
仕舞いにはテ-ブルに置いたグラスの水は、ミネラルパニだと言いやがる。
そんなものは頼んでいないし、どうやってロ-カルパニと見分けをつけるんだ。
サ-ビスだと思っていたダルは当然料金に加算され、
あんなに沢山のルティを出されても食べ切れる筈はなく、結局残す始末。
店内の大勢の客を巻き込んだ押し問答はしばらく続いたが、最後は僕が妥協して席を立った。
日本円で考えれば100円足らずの小さな話だが、僕等の旅で日本円換算は厳禁である。
”郷に入っては郷に従え”
日本円の重しにかこつけて、物価の安い国を大名旅行している訳ではないし、
一度現地に入ったらそこで暮らす庶民より、小銭に関してシビアになっている。
カウンタ-で金を払い別れ際、男は例の如く『ユアカントリ-?』と訊いてきた。
しかし、そんな事答える筈がないだろ。
日本人が皆こうだと思われても困るし、みみっちい自分自身にも少し劣等感を抱いている。
だから、無視して直ぐに店を出た。
ラジシャヒ・エイジア泊-400Tk
朝食(カレ-、ダ-ル、ルティ31Tk) ホテル(400Tk×2泊分) 椰子の実ジュ-ス(15Tk) スナック(4Tk、3Tk×3) ピ-ナッツ(12Tk) ミシュティ(10Tk) 夕食(ケバブ、ダ-ル、ルティ120Tk) ティ-(3Tk×2) 水2ℓ(30Tk) 計1037Tk
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鉄道駅前にある食堂で朝食を済ませ、停車中の車両へと乗り込む。
車内には電気がないようで、真暗闇の中、多くの乗客が自分の座席を探しひしめいていた。
岳登のバックから懐中電灯を取り出し、ピンポイントの明かりを頼りに自分の席を探し出す。

プラットホ-ム
そして定刻通りの6時半、列車はゆっくりと動き始めた。
座席は片側3人掛けが向かい合わせ、1ボックス定員6人となる。
長距離バスの窮屈さを考えたら、快適の度合いは全く比べ物にならない。
邪魔な荷物は上の荷棚に置けるし、列車内にトイレもあり、場所も近い。
車内の物売りも頻繁にやって来るし、車窓の景色も楽しめる。
子供を決して叱らない自由奔放な親子連れには参ったが、
長閑な農村の風景に見とれていたら、13時15分ラジシャヒ駅に到着した。
乗客は一斉に列車を下りる。
ここが終着駅か通過駅かは分からないが、凄まじい数の乗客が同じ町を目指していたようだ。

長閑な風景

ラジシャヒ鉄道駅
駅から少し歩き、ホテルを探しチェックイン。
この宿は決して綺麗とは言えないが、立地は良く、岳登には欠かせないTVも付いている。

ホテル・エイジア ※3階左バルコニ-に、僕等の干したズボンが見える
この町も、これまで訪れた他の町と同じく大変賑やかだ。
日本の半分以下の狭い国土に日本を上回る国民が暮らしているのだから、それも当然だろう。
遠く目にした金髪の若い女性達は、当然の如く多くのバングラ人に囲まれていた。

オ-トリキシャ

リキシャ・・

リキシャ

ニュ-マ-ケットで客待ち中

椰子の実ジュ-ス(15Tk)

ピ-ナッツの量り売り(12Tk)

シャ-・モクドゥム廟
ポッダ川で綺麗な夕日を見送った後は、この町の中心地ゼロポイント周辺を歩いてみた。
ラジシャヒ大学では”ブックフェア-”なる催しが開かれ、若い学生を中心に大変な盛り上がりを見せている。
先程川岸で学生に誘われたブックフェア-とはこのことのようだ。

ナショナル・フラッグ(国旗) ※バングラ人は母国に誇りを持っている
クルナでミシュティの味を覚えて以来、毎日その日の締めにミシュティを食べるようにしている。
その為には11~15のベンガル語の発音も覚える必要が出てきた。
”コトタカ?”で値段を訊いても、その答えが聞き取れないとやり取りが成り立たない。
エガロ、バロ、テロ、チョッド、ポネロ。
これがベンガル語の11~15の発音、覚えの悪い僕をよそに岳登は直ぐに覚えてしまった。
夕食に入ったケバブ食堂は、店員が頼んでもいないものばかり持ってきて非常に困った。
それらの見分けは大変難しく、いちいち確認するのもあまり格好のいいものではない。
そして会計の時、嫌な胸騒ぎは的中、驚きの金額が弾き出されてきた。

これがミネラルパニだって
事前にケバブやルティの値段は訊いて店に入ったが、その合計額が倍近い。
ケバブは2本しか頼んでないと僕は強く主張したが、店員は4本出したと自信満々に言い放つ。
仕舞いにはテ-ブルに置いたグラスの水は、ミネラルパニだと言いやがる。
そんなものは頼んでいないし、どうやってロ-カルパニと見分けをつけるんだ。
サ-ビスだと思っていたダルは当然料金に加算され、
あんなに沢山のルティを出されても食べ切れる筈はなく、結局残す始末。
店内の大勢の客を巻き込んだ押し問答はしばらく続いたが、最後は僕が妥協して席を立った。
日本円で考えれば100円足らずの小さな話だが、僕等の旅で日本円換算は厳禁である。
”郷に入っては郷に従え”
日本円の重しにかこつけて、物価の安い国を大名旅行している訳ではないし、
一度現地に入ったらそこで暮らす庶民より、小銭に関してシビアになっている。
カウンタ-で金を払い別れ際、男は例の如く『ユアカントリ-?』と訊いてきた。
しかし、そんな事答える筈がないだろ。
日本人が皆こうだと思われても困るし、みみっちい自分自身にも少し劣等感を抱いている。
だから、無視して直ぐに店を出た。
ラジシャヒ・エイジア泊-400Tk
朝食(カレ-、ダ-ル、ルティ31Tk) ホテル(400Tk×2泊分) 椰子の実ジュ-ス(15Tk) スナック(4Tk、3Tk×3) ピ-ナッツ(12Tk) ミシュティ(10Tk) 夕食(ケバブ、ダ-ル、ルティ120Tk) ティ-(3Tk×2) 水2ℓ(30Tk) 計1037Tk
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