禅~インド編(14)
2011年1月1日
バラナシ~ブッタ・ガヤ-
今日は移動日。
5時39分発の列車時刻に合わせて、早朝3時に起床。
受付に眠る従業員は、ハッピ-ニュ-イヤ-で明け方まで飲んでいたらしくベロベロ状態。
何度叩き起こしても、ピクリともしない。
玄関には重厚な鉄の扉が下りており、何とか従業員を起こして鍵を借りなければならない。
結局従業員には何をしても無駄であったが、重厚な扉は案外あっさりと手で持ち上がった。
そして何とか予定通り4時、無事チェックアウト。
路地で見かけたリクシャは、僕の言い値40Rsでは全く相手にしてくれない。
50Rsに値を上げても、目の色一つ変える事はない。
代わりにそのやり取りを聞いていた人力車が引っ掛かり、バラナシの駅まで運んでもらう。
暗闇の中、若い青年は力強く自転車を漕いでいく。
ア-グラ-のラムには申し訳ないが、本当に力強い。
それにしても町にはリクシャの姿が一切見当たらない。
まだ朝早い為だろうか。
もし人力車の青年が乗せてくれなかったら、どうなっていたのだろうか・・。
バラナシの駅に到着。
列車の出発まで、時間はまだ1時間近くある。
駅構内の電光掲示板で出発時刻を確認した後、道路向かいの店でチャイとパンの朝食を取る。
駅構内に戻り再び電光掲示板を見上げると、出発が7時半に変更されていた。
プラットホ-ムに居合わせた日本人旅行者と話をし、時間を潰す。
そして1時間が過ぎた頃、背を預けていた売店の男が後ろからこう言ってきた。
『ワンナワ-、モア-!』
出発は8時半に延び、僕等が苦労して潰した1時間は水の泡と消えた。
これがインドなのか・・。
再度駅の構内を出て道路向かいの露店をふらつき、屋台で再度軽く朝食を取り直す。
そして出発予定の8時半を過ぎた頃、
”間もなく列車は到着します!”というアナウンスが繰り返しプラットホ-ムを流れ始めた。
ようやく9時、列車はバラナシの駅を発つ。
”3時間半の遅れ”、それが最初から分かっていれば宿でゆっくり過せたのに、
共に列車を待った日本人青年とぼやくしかなかった。

列車到着(バラナシ駅)
車両は寝台。
岳登は下段窓側に座りぼんやり外を眺め、僕は対面の上段で足を伸ばし寛いでいる。
列車はガタンゴトン揺れ、鉄橋に差し掛かった。
もう見る事はないと思っていたガンジス河が突如姿を現し、これが本当に最後の別れとなる。
寝台車両と言えど、日中は中段のベットを下ろし座席としなければならない。
上中下段分で定員3名の座席に対し、明らかにそれを超える乗客が押し寄せている。
”オイオイ、お前ら絶対この席じゃないだろう!”
直接自分は被害を受けていないので、この発言は心の中に留めた。

さようなら、ガンガ-

日中の寝台車両
・・・。
乗車し4時間が過ぎた頃、列車はガヤ-駅に到着。

ガヤ-駅
バラナシ~ブッタ・ガヤ-
今日は移動日。
5時39分発の列車時刻に合わせて、早朝3時に起床。
受付に眠る従業員は、ハッピ-ニュ-イヤ-で明け方まで飲んでいたらしくベロベロ状態。
何度叩き起こしても、ピクリともしない。
玄関には重厚な鉄の扉が下りており、何とか従業員を起こして鍵を借りなければならない。
結局従業員には何をしても無駄であったが、重厚な扉は案外あっさりと手で持ち上がった。
そして何とか予定通り4時、無事チェックアウト。
路地で見かけたリクシャは、僕の言い値40Rsでは全く相手にしてくれない。
50Rsに値を上げても、目の色一つ変える事はない。
代わりにそのやり取りを聞いていた人力車が引っ掛かり、バラナシの駅まで運んでもらう。
暗闇の中、若い青年は力強く自転車を漕いでいく。
ア-グラ-のラムには申し訳ないが、本当に力強い。
それにしても町にはリクシャの姿が一切見当たらない。
まだ朝早い為だろうか。
もし人力車の青年が乗せてくれなかったら、どうなっていたのだろうか・・。
バラナシの駅に到着。
列車の出発まで、時間はまだ1時間近くある。
駅構内の電光掲示板で出発時刻を確認した後、道路向かいの店でチャイとパンの朝食を取る。
駅構内に戻り再び電光掲示板を見上げると、出発が7時半に変更されていた。
プラットホ-ムに居合わせた日本人旅行者と話をし、時間を潰す。
そして1時間が過ぎた頃、背を預けていた売店の男が後ろからこう言ってきた。
『ワンナワ-、モア-!』
出発は8時半に延び、僕等が苦労して潰した1時間は水の泡と消えた。
これがインドなのか・・。
再度駅の構内を出て道路向かいの露店をふらつき、屋台で再度軽く朝食を取り直す。
そして出発予定の8時半を過ぎた頃、
”間もなく列車は到着します!”というアナウンスが繰り返しプラットホ-ムを流れ始めた。
ようやく9時、列車はバラナシの駅を発つ。
”3時間半の遅れ”、それが最初から分かっていれば宿でゆっくり過せたのに、
共に列車を待った日本人青年とぼやくしかなかった。

列車到着(バラナシ駅)
車両は寝台。
岳登は下段窓側に座りぼんやり外を眺め、僕は対面の上段で足を伸ばし寛いでいる。
列車はガタンゴトン揺れ、鉄橋に差し掛かった。
もう見る事はないと思っていたガンジス河が突如姿を現し、これが本当に最後の別れとなる。
寝台車両と言えど、日中は中段のベットを下ろし座席としなければならない。
上中下段分で定員3名の座席に対し、明らかにそれを超える乗客が押し寄せている。
”オイオイ、お前ら絶対この席じゃないだろう!”
直接自分は被害を受けていないので、この発言は心の中に留めた。

さようなら、ガンガ-

日中の寝台車両
・・・。
乗車し4時間が過ぎた頃、列車はガヤ-駅に到着。

ガヤ-駅
ガヤ-駅の構内、無理を承知で切符売場に並んでみるが、ここでも予約が出来るらしい。
計画していた日のカルカッタ行きは空席がなく、ウェティングリストとなる。
この”ウェティングリスト”という特殊なチケット、
もし発車間際までにキャンセルが出ればウェティングの者に席が与えられるが、
リストの番号が後ろの方だといくら繰り上がってもウェティングのままで、
席なし覚悟で列車に乗り込み自力で空席を探すか、
最悪の場合は席なしで一夜を過さなければならない。
思いもしなかった突然の事態に愕然、一度列から離れしばし作戦会議。
”チケットを買いさえすればどうにかなるだろう・・”、結論をまとめ再び切符売場に並ぶ。
ふとインド人が強引に割り込み、窓越しの駅員に切符を手渡した。
駅員は何やら計算し、切符に二重線を引いた後、お金をその客に渡していた。
もしかすると、これがウェティングの現状なのか・・。
どうせウェティング状態で買ったとしても、キャンセルは出ず払い戻しするのがオチなのだろう。
僕は順番を待つその列から離れた。
ブッタ・ガヤ-の列車予約センタ-はもう閉まる時間だし、明日は日曜日で休みとなる。
カルカッタへはバスで移動する方法を考えるか、
どうしようもなければ、旅行会社で鉄道チケットの手配をしてもらおう。
ガヤ-駅から乗合リクシャに揺られ、ついに仏教の聖地ブッタ・ガヤ-までやって来た。
2軒目に覘いた宿にチェックイン。
この町には静かなイメ-ジを抱いていたが、マハ-ボディ-寺院周辺の混み様は凄かった。
今日が元日、という事が影響しているのだろうか。
世界各国から集まった多くの仏教徒が、この地の重要さを物語っていた。

人込み
次に向かう東インドの大都市カルカッタまではバスで行く事は相当難しいらしく、
結局は旅行会社で明後日の鉄道チケットを手配してもらう事になった。
手数料(大人100Rs、子供50Rs)がかかった上、ウェティング状態のチケットとなる。
”ウェティングの番号からして席確保は間違いない!”と念を押されたが、
どうせウェティングを買う羽目になるのなら、ガヤ-の駅で買っておくべきだった。
聖地に点在する各国の仏教寺院を見て回り、印度山日本寺に流れ着く。
17時を知らせる鐘の音が静かな空間で鳴り響き、懐かしき母国の情景が思い浮かんだ。
ふと顔を見上げると、鐘を突いているのは黒い顔のインド人。
このギャップが実に面白い。

正覚山釈迦堂の大仏

印度山日本寺の鐘突堂

チベット僧院
日本人の若い僧侶による指導の下、日本人旅行者が4人、僧侶と共にお経を読み上げた。
そして、その後静かに禅を組む。
静かに流れゆく時間。
聞こえるものは何もない。
眠気に負けた僕の頭はガクガクしていたが、異国の地での貴重な体験に感謝。
光輝くブッタ覚りの地マハ-ボディ-寺院は世界各国から訪れた参拝者で溢れ、
様々な言語のお経が寺院一杯に広がっていた。

菩提樹

マハ-ボディ-寺院

親子丼(45Rs)、玉子丼(35Rs) ※写真奥の玉子丼は間違えた料理を流用された
僕等も世界各国の僧侶に交じり禅を組み、
菩提樹の大木の前で目を閉じた。
これが2011年1月1日、
元日の初詣となる。
ブッタガヤ-・ディ-プGH泊-200Rs
人力車(ホテル~バラナシ駅50Rs) 朝食(チャイ2杯、パン2個15Rs) 再度朝食(チャイ3Rs、スナック5Rs×2) 乗合リクシャ(ガヤ-~ブッタガヤ-100Rs) 昼食(タ-リ-25Rs×2) 旅行会社鉄道予約(ガヤ-~カルカッタ580Rs) チャイ(3Rs×2) さとうきびジュ-ス(10Rs) IP電話(1分10Rs×2) マハ-ボディ-寺院(フリ-、但カメラ持込20Rs) ケ-キ(10Rs×2) 夕食(親子丼45Rs、玉子丼35Rs) 計958Rs
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計画していた日のカルカッタ行きは空席がなく、ウェティングリストとなる。
この”ウェティングリスト”という特殊なチケット、
もし発車間際までにキャンセルが出ればウェティングの者に席が与えられるが、
リストの番号が後ろの方だといくら繰り上がってもウェティングのままで、
席なし覚悟で列車に乗り込み自力で空席を探すか、
最悪の場合は席なしで一夜を過さなければならない。
思いもしなかった突然の事態に愕然、一度列から離れしばし作戦会議。
”チケットを買いさえすればどうにかなるだろう・・”、結論をまとめ再び切符売場に並ぶ。
ふとインド人が強引に割り込み、窓越しの駅員に切符を手渡した。
駅員は何やら計算し、切符に二重線を引いた後、お金をその客に渡していた。
もしかすると、これがウェティングの現状なのか・・。
どうせウェティング状態で買ったとしても、キャンセルは出ず払い戻しするのがオチなのだろう。
僕は順番を待つその列から離れた。
ブッタ・ガヤ-の列車予約センタ-はもう閉まる時間だし、明日は日曜日で休みとなる。
カルカッタへはバスで移動する方法を考えるか、
どうしようもなければ、旅行会社で鉄道チケットの手配をしてもらおう。
ガヤ-駅から乗合リクシャに揺られ、ついに仏教の聖地ブッタ・ガヤ-までやって来た。
2軒目に覘いた宿にチェックイン。
この町には静かなイメ-ジを抱いていたが、マハ-ボディ-寺院周辺の混み様は凄かった。
今日が元日、という事が影響しているのだろうか。
世界各国から集まった多くの仏教徒が、この地の重要さを物語っていた。

人込み
次に向かう東インドの大都市カルカッタまではバスで行く事は相当難しいらしく、
結局は旅行会社で明後日の鉄道チケットを手配してもらう事になった。
手数料(大人100Rs、子供50Rs)がかかった上、ウェティング状態のチケットとなる。
”ウェティングの番号からして席確保は間違いない!”と念を押されたが、
どうせウェティングを買う羽目になるのなら、ガヤ-の駅で買っておくべきだった。
聖地に点在する各国の仏教寺院を見て回り、印度山日本寺に流れ着く。
17時を知らせる鐘の音が静かな空間で鳴り響き、懐かしき母国の情景が思い浮かんだ。
ふと顔を見上げると、鐘を突いているのは黒い顔のインド人。
このギャップが実に面白い。

正覚山釈迦堂の大仏

印度山日本寺の鐘突堂

チベット僧院
日本人の若い僧侶による指導の下、日本人旅行者が4人、僧侶と共にお経を読み上げた。
そして、その後静かに禅を組む。
静かに流れゆく時間。
聞こえるものは何もない。
眠気に負けた僕の頭はガクガクしていたが、異国の地での貴重な体験に感謝。
光輝くブッタ覚りの地マハ-ボディ-寺院は世界各国から訪れた参拝者で溢れ、
様々な言語のお経が寺院一杯に広がっていた。

菩提樹

マハ-ボディ-寺院

親子丼(45Rs)、玉子丼(35Rs) ※写真奥の玉子丼は間違えた料理を流用された
僕等も世界各国の僧侶に交じり禅を組み、
菩提樹の大木の前で目を閉じた。
これが2011年1月1日、
元日の初詣となる。
ブッタガヤ-・ディ-プGH泊-200Rs
人力車(ホテル~バラナシ駅50Rs) 朝食(チャイ2杯、パン2個15Rs) 再度朝食(チャイ3Rs、スナック5Rs×2) 乗合リクシャ(ガヤ-~ブッタガヤ-100Rs) 昼食(タ-リ-25Rs×2) 旅行会社鉄道予約(ガヤ-~カルカッタ580Rs) チャイ(3Rs×2) さとうきびジュ-ス(10Rs) IP電話(1分10Rs×2) マハ-ボディ-寺院(フリ-、但カメラ持込20Rs) ケ-キ(10Rs×2) 夕食(親子丼45Rs、玉子丼35Rs) 計958Rs
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