初めての雨~インド編(13)
2010年12月31日
バラナシ
バラナシに来て3度目の夜、3度目のプ-ジャ-。
ガンジス河を抱えヒンドゥ-教徒にとり最大の聖地となるバラナシには、インド国内はもとより、
世界各国から多くの観光客が集まり、その賑わいは非常に大きなものとなっている。
太鼓や鈴が鳴り響く中、マイクを通した大音響の唄い声が、
立ち上がる炎やその煙と共に、ガンガ-のもと一体となっている。

プ-ジャ-
バラナシ
バラナシに来て3度目の夜、3度目のプ-ジャ-。
ガンジス河を抱えヒンドゥ-教徒にとり最大の聖地となるバラナシには、インド国内はもとより、
世界各国から多くの観光客が集まり、その賑わいは非常に大きなものとなっている。
太鼓や鈴が鳴り響く中、マイクを通した大音響の唄い声が、
立ち上がる炎やその煙と共に、ガンガ-のもと一体となっている。

プ-ジャ-
バラナシ最終日の朝、宿前の路上でリクシャを捕まえサ-ルナ-トへと向かった。
リクシャマンは所々解説を入れてくれたり、埃まみれの近道を爆走してくれたりと、
中々良い仕事をしてくれた。

宿近くのド-サ-屋台
ムスリム地区では、銃を抱えた警官が道路の至る所に配備され、かなりの警戒態勢だ。
”ビン・ラディンがこの地区にいる・・”
運転しながら話すリクシャマンの説明をそう解釈したが、そんな筈はない。
僕の英語力のなさによる勘違いだろう。
ここサ-ルナ-トはブッタが初めて説法をした場所で、四大仏跡の一つ。
”初転法輪の地”となる。
ブッタが生誕したルンビニ-(ネパ-ル領)、覚りを開いたブッタ・ガヤ-、入滅のクシ-ナガル。
この四大仏跡と呼ばれる聖地は、仏教徒にとって非常に重要な意味を持つ。
ブッタ・ガヤ-で覚りを開いたゴ-タマ・スィッダ-ルタ(後のブッタ)はこの地に辿り着いた後、
かつて共に修行していた5人の修行者に出会い、自分の悟った真理を初めて語る事になる。
ダメ-ク・ストゥ-パの周りをグルグルと、僕も現代の修行者に交じり礼拝した。
その中でも、体を地面に擦り付け熱心に祈る五体投地の姿がとても鮮明に残った。

ダメ-ク・ストゥ-パ

五体投地

チベット僧

マニ車

ダメ-ク・ストゥ-パ・モニュメントサイト(遺跡公園)
その他、アショ-カ王の石柱、ム-ルガンダ・クティ-寺院、タイ寺院を見学。
ム-ルガンダ・クティ-寺院では、ブッタの生涯を描いた絵が寺院内の壁一面に広がっていた。
これは日本人画家の野生司香雪(のうすこうせつ)による作品。

ム-ルガンダ・クティ-寺院
昼寝をして待っていてくれた同じリクシャに乗り、バラナシの町へと戻ってきた。
ガ-トの最南端に位置するアッスィ-・ガ-トから、ガンガ-沿いを北上。
最南端のアッスィ-より、ほぼ中間となるダシャ-シュワメ-ドまでの間には、
実に41ものガ-トが存在し、最北端のドゥルガ-まで含めるとその数は65にも上る。
ガ-トにはそれぞれ特徴があり、インド人や見事な壁画を眺めているだけでも充分楽しめる。
河沿いに二つある火葬場の内の一つ、ハリシュチャンドラ・ガ-ト。
大衆の目の前で灰になる死者の姿は、子供の岳登にはどう映ったのだろうか。

アッスィ-・ガ-ト ※最南端に位置し、西から流れ込むアッスィ-川と合流

セクシ-ポ-ズ

チェ-ト・スィン・ガ-ト ※豪壮な城砦は18世紀のもの

シヴァ-ラ-・ガ-ト ※壁画はシヴァ神とヒマラヤの峰々

ヘイ、マイコ-! ※宿近くの路上で会う度、こんな挨拶を交わした、
続いて目指したのはヒンドゥ-教の聖地であるヴィシュワナ-ト寺院(黄金寺院)。
セキュリティはかなり厳重で現金とパスポ-ト以外の一切の持込は禁止、
ゲ-ト前の商店の有料ロッカ-等で預ける事になる。
ボディ-チェックや荷物検査を無事通過すると、寺院の外壁沿いの参道に出る。
ここはアウトサイドと呼ばれ花や土産を売る商店が連なっている。
直接寺院の中に入るには供えの花を買い、更に検査を通過しなければならない。
外壁沿いの参道をふらつき、撮れない黄金寺院の写真を記念に買い、
階段の上に登って、高い壁越しに輝く黄金寺院を目に焼き付けた。
メインガ-トで夜のプ-ジャ-を見終えた後、外国人向けのレストランで日本食を食べてみた。
僕は親子丼(50Rs)、岳登はオムライス(35Rs)。
日本食にしては値段もそれなりに安く、味も量もまずまずであった。
親子丼はステンレス製のボウル皿に盛られ、まずその発想に驚く。
”ニンニク風味の雑炊”と言った方が適切で、親子丼とは到底思えないが美味しかった。

親子丼(50Rs)、オムライス(35Rs)
インド時間の20時30分、インドより3時間半進む日本は2011年を迎えた。
せめて日本の家族と同じ瞬間を祝おうと、通りすがりの一軒のチャイ屋に立ち寄る。
そして1杯3Rsのチャイで、新たな年の幕開けを祝った。
”年越し蕎麦”、ならぬ”年越しチャイ”。
『年越しサモサだけは絶対に嫌だ!』と岳登は必死に訴えていた。
目の前の怪しげなインド人が2人、僕等の乾杯の意味を理解しているのかいないのか、
不気味な笑顔を見せ、祝杯に華を添えてくれた。
歩いて宿に戻る帰り道、インドに来て初めてとなる雨が降り出してきた。
乾季のインドにしては非常に珍しい事だ。
それは新年を迎えた嬉し涙なのか、
あるいはガンガ-との別れを惜しむ悲し涙なのか・・
僕にはだいたい想像はついている。
バラナシ・SandhyaGH泊-200Rs
チャイ(3Rs×2) 朝食(ド-サ-10Rs×2) リクシャ(ホテル~サ-ルナ-ト往復250Rs) 象骨ネックレス(50Rs) サ-ルナ-ト(大人100Rs、子供フリ-) アイス(5Rs×2) 郵便局(エアメ-ル12Rs×2) さとうきびジュ-ス(10Rs) チャイ(4Rs×2) ビスケット(10Rs) チャイ(4Rs×2) 有料ロッカ-(20Rs) 黄金寺院(写真、カ-ド27Rs) ステッカ-(6Rs) 夕食(親子丼50Rs、オムライス35Rs) エッグロ-ル(10Rs) 年越しチャイ(3Rs×2) ビスケット(10Rs) 計660Rs
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リクシャマンは所々解説を入れてくれたり、埃まみれの近道を爆走してくれたりと、
中々良い仕事をしてくれた。

宿近くのド-サ-屋台
ムスリム地区では、銃を抱えた警官が道路の至る所に配備され、かなりの警戒態勢だ。
”ビン・ラディンがこの地区にいる・・”
運転しながら話すリクシャマンの説明をそう解釈したが、そんな筈はない。
僕の英語力のなさによる勘違いだろう。
ここサ-ルナ-トはブッタが初めて説法をした場所で、四大仏跡の一つ。
”初転法輪の地”となる。
ブッタが生誕したルンビニ-(ネパ-ル領)、覚りを開いたブッタ・ガヤ-、入滅のクシ-ナガル。
この四大仏跡と呼ばれる聖地は、仏教徒にとって非常に重要な意味を持つ。
ブッタ・ガヤ-で覚りを開いたゴ-タマ・スィッダ-ルタ(後のブッタ)はこの地に辿り着いた後、
かつて共に修行していた5人の修行者に出会い、自分の悟った真理を初めて語る事になる。
ダメ-ク・ストゥ-パの周りをグルグルと、僕も現代の修行者に交じり礼拝した。
その中でも、体を地面に擦り付け熱心に祈る五体投地の姿がとても鮮明に残った。

ダメ-ク・ストゥ-パ

五体投地

チベット僧

マニ車

ダメ-ク・ストゥ-パ・モニュメントサイト(遺跡公園)
その他、アショ-カ王の石柱、ム-ルガンダ・クティ-寺院、タイ寺院を見学。
ム-ルガンダ・クティ-寺院では、ブッタの生涯を描いた絵が寺院内の壁一面に広がっていた。
これは日本人画家の野生司香雪(のうすこうせつ)による作品。

ム-ルガンダ・クティ-寺院
昼寝をして待っていてくれた同じリクシャに乗り、バラナシの町へと戻ってきた。
ガ-トの最南端に位置するアッスィ-・ガ-トから、ガンガ-沿いを北上。
最南端のアッスィ-より、ほぼ中間となるダシャ-シュワメ-ドまでの間には、
実に41ものガ-トが存在し、最北端のドゥルガ-まで含めるとその数は65にも上る。
ガ-トにはそれぞれ特徴があり、インド人や見事な壁画を眺めているだけでも充分楽しめる。
河沿いに二つある火葬場の内の一つ、ハリシュチャンドラ・ガ-ト。
大衆の目の前で灰になる死者の姿は、子供の岳登にはどう映ったのだろうか。

アッスィ-・ガ-ト ※最南端に位置し、西から流れ込むアッスィ-川と合流

セクシ-ポ-ズ

チェ-ト・スィン・ガ-ト ※豪壮な城砦は18世紀のもの

シヴァ-ラ-・ガ-ト ※壁画はシヴァ神とヒマラヤの峰々

ヘイ、マイコ-! ※宿近くの路上で会う度、こんな挨拶を交わした、
続いて目指したのはヒンドゥ-教の聖地であるヴィシュワナ-ト寺院(黄金寺院)。
セキュリティはかなり厳重で現金とパスポ-ト以外の一切の持込は禁止、
ゲ-ト前の商店の有料ロッカ-等で預ける事になる。
ボディ-チェックや荷物検査を無事通過すると、寺院の外壁沿いの参道に出る。
ここはアウトサイドと呼ばれ花や土産を売る商店が連なっている。
直接寺院の中に入るには供えの花を買い、更に検査を通過しなければならない。
外壁沿いの参道をふらつき、撮れない黄金寺院の写真を記念に買い、
階段の上に登って、高い壁越しに輝く黄金寺院を目に焼き付けた。
メインガ-トで夜のプ-ジャ-を見終えた後、外国人向けのレストランで日本食を食べてみた。
僕は親子丼(50Rs)、岳登はオムライス(35Rs)。
日本食にしては値段もそれなりに安く、味も量もまずまずであった。
親子丼はステンレス製のボウル皿に盛られ、まずその発想に驚く。
”ニンニク風味の雑炊”と言った方が適切で、親子丼とは到底思えないが美味しかった。

親子丼(50Rs)、オムライス(35Rs)
インド時間の20時30分、インドより3時間半進む日本は2011年を迎えた。
せめて日本の家族と同じ瞬間を祝おうと、通りすがりの一軒のチャイ屋に立ち寄る。
そして1杯3Rsのチャイで、新たな年の幕開けを祝った。
”年越し蕎麦”、ならぬ”年越しチャイ”。
『年越しサモサだけは絶対に嫌だ!』と岳登は必死に訴えていた。
目の前の怪しげなインド人が2人、僕等の乾杯の意味を理解しているのかいないのか、
不気味な笑顔を見せ、祝杯に華を添えてくれた。
歩いて宿に戻る帰り道、インドに来て初めてとなる雨が降り出してきた。
乾季のインドにしては非常に珍しい事だ。
それは新年を迎えた嬉し涙なのか、
あるいはガンガ-との別れを惜しむ悲し涙なのか・・
僕にはだいたい想像はついている。
バラナシ・SandhyaGH泊-200Rs
チャイ(3Rs×2) 朝食(ド-サ-10Rs×2) リクシャ(ホテル~サ-ルナ-ト往復250Rs) 象骨ネックレス(50Rs) サ-ルナ-ト(大人100Rs、子供フリ-) アイス(5Rs×2) 郵便局(エアメ-ル12Rs×2) さとうきびジュ-ス(10Rs) チャイ(4Rs×2) ビスケット(10Rs) チャイ(4Rs×2) 有料ロッカ-(20Rs) 黄金寺院(写真、カ-ド27Rs) ステッカ-(6Rs) 夕食(親子丼50Rs、オムライス35Rs) エッグロ-ル(10Rs) 年越しチャイ(3Rs×2) ビスケット(10Rs) 計660Rs
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