焼槍大周回(2)~上高地
・・前回の続き
新中の湯登山口へと早々に下山し、ランモ-ドに切り替える。地べたに腰を下ろし、登山ズボンの膝下部分を切り離す。テキパキと補給を済ませ、貼り忘れていたテ-ピングを膝の皿下に施す。ここで腰を下ろした7分足らずの休憩が、今回の山行で唯一とも言える休憩となった。先程中尾峠を目指して歩いている闇の中、右膝に僅かな痛みを感じていた。”撤退”の二文字も頭を過ったが、取り敢えず新中の湯までは様子見がてら進み、最悪ロ-ドを周回して中尾に戻ろうと思っていた。しかし幸い膝の痛みはいつしか消え、その後痛みを感じることはなかった。激坂を一気に下り、中の湯温泉旅館を右手に通過。やがて国道158号へと合流。ここまで思いの外長かったし、結構下った。

激坂を一気に下る

国道158号にて左折 ※右折は高山方面
上高地と国道を隔てるのが釜トンネル。この釜トンの存在が、上高地を高貴かつ遠い存在にしている。この先自家用車では入れない為、通常平湯(岐阜県側)か沢渡(長野県側)でバスに乗り換える必要がある。ただ歩行は可能なので、その点だけは有り難い。釜トンネルは一度バスで通過したことがあるだけで、こうして自分の脚で進むのは今回が初めて。距離はさほどでもなかったが、まさか上り一辺倒だとは夢にも思わなかった。そして斜度も中々で、ここは無理して走らず(走れず)、休足も兼ね歩くことにした。後ろから自転車が1台やって来る。自転車にもこの斜度はきついらしく、進む速度は歩く僕より少し早いくらい。時折雄叫びを上げながら、必死にペダルを漕ぐ姿が印象的だった。

釜トンネル(延長1310 m)は上り一辺倒

斜度が辛過ぎて走れない

上高地トンネル(延長590 m)

こちらも上り一辺倒
トンネルを2つ抜けると、やがて大正池が左手に見えてきた。水面には穂高連峰の雄大な山並みが映し出されている。穂高こそ直ぐそこに見えてきたが、本日目指す槍ヶ岳はここからまだまだ先にある。上高地帝国ホテル。まるで高級志向のない僕にとって、帝国ホテルの思い出などあるはずもない。しかし”帝国ホテル”と聞いて、一つだけ思い出すことはある。僕は大学(名城の夜間)を卒業後、2年程外国と日本を行き来していた。いわゆる当時まだ珍しいバックパッカ-だった僕は、この時次の旅に向け、名古屋でバイトに精を出していた。名古屋観光ホテルの高級中華料理店『北京』でウェイタ-として働き、この店が確か帝国ホテルにも店を出していた。あそこの賄いは最高に美味しかったな・・。反射的にそんなことを思い出す。

大正池と穂高連峰

上高地帝国ホテル
そして上高地バスタ-ミナルに到着。ようやく槍ヶ岳に向けての登山口までやって来た。タ-ミナル裏の水場にて存分に喉を潤し、先を急ぐ。何時までには何処そこへ・・、特段そういう目標は定めてはいない。北ア南部は大概頭に入っているので道中地図を見ることもまずない。ただ時間設定を5割強くらいで考えているので、休まずひたすら動き続けることだけは心掛けている。河童橋まで来ると、人出が一段と多くなってきた。登山者に自粛は関係ないと先日来の山行で度々感じているが、おそらく観光客が自粛解除とともに一気に増えたのだろうと思う。”河童橋”に対する思い出も、あいにく僕は持ち合わせていない。しかしここでも一つだけ思い出すことはある。どの子だったかは忘れたが、確か小学校だったか中学校だったかの遠足か社会見学で、お隣上高地を訪れ、河童橋で合唱をしたことがあった。その場面を実際見た訳ではなく、子供に聞いただけの話ではあるが、僕の中では”河童橋”と聞くと、子供達が合唱する姿が頭に浮かぶ。

上高地バスタ-ミナル(7:36) ※左から、西穂・奥穂:前穂高岳、明神岳

水場

河童橋 ※正面に奥穂高岳
明神、徳沢、横尾とおよそCT1時間毎に目印となる拠点がある。明神からは霞沢岳へと向かうことが出来る。いつか中尾から日帰りしたいと以前から思っている。徳沢からは蝶ヶ岳へと向える。その先の常念までは行けるかどうか分からないが、これも是非中尾からの日帰りで挑戦してみたい。登山者の数は凄まじく、途切れることなく続いていた。上高地以降調子良く走れており、時間もそこそこ短縮出来ただろうか。そして、横尾到着。ここは穂高方面への分岐点。ここまで見かけた重装備の登山者はほとんどが、ここで大橋を渡り、穂高方面へと消えていった。紅葉の名所、涸沢。皆の目的は、やはり涸沢でのキャンプにあった。

明神岳と明神館

徳澤キャンプ場 ※幕営代・大人1400円


徳澤園

横尾大橋 ※登山者のほとんどは穂高方面へ
つづく・・
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