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本州縦断フットレース2021スペシャル(1)~概要

2021年4月24日午前10時、ついに”本州縦断・青森~下関1550kmフットレース2021〈SPECIAL〉”の長い旅が始まった。体調は万全とは言えないが、ここまで来たらやるしかない。これで死んでも悔いはない・・、そんな強い覚悟でこの大一番に臨む。初日は快晴、この日は81㌔走って一気に秋田県まで入った。2日目は66㌔。しかし3日目72㌔の行程、由利本荘を目指している最中に突如左膝裏に痛みを感じた。一時は歩けない程のヤバい状態だったが、鎮痛剤で誤魔化しながら何とか騙し騙し進む。こんな状態で果たして下関まで辿り着くことが出来るのだろうか・・。早くも暗雲が立ち込めてきた。天候も僕らランナ-を存分に苦しめ、初日の快晴を境に、1週間雨マ-クが続く。連日70㌔前後の行程は、一日たりとも休む隙を与えてくれず、精神的にもかなり追いつめられてきた。毎夜例外なく限界を迎え、僕の姿を見た人ならほぼ確実に、『もうこの人絶対にダメだろうな・・』と思ったに違いない。計画通りに進めたのが7日目の新潟県寺泊まで。それ以降の宿を全てキャンセルした時点で、悲しくも僕のスペシャルは終わってしまった。死に場所を求めるように、リタイヤする場所を模索する日々。せめてR7完走(新潟駅)までは続けようと思っていた。最果ての下関を目指すなんてことは、この時全く想像も出来なかった。
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全国から集まった14名の参加者  ※2名は映っていない




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道中採ったタラノメ  ※小倉温泉旅館女将へのプレゼント(5/25五城目)
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素泊まりなのに、豪華夕食のサ-ビス  ※僕の気持ちが3倍になって返ってきた

そんな地獄の淵を彷徨っていた時に僕を救ってくれたのが、新潟の友人高澤さんだった。一昨年の佐渡で知り合った高澤さんは昨年の試走(R8)の時も少しだけ併走してくれていた。そして本番である今回は4日間付きっ切りでサポ-トしてくれ、そのおかげで僕は何とか地獄の底から這い上がることが出来た。現地での直接の応援ほど心強いものはないのだが、ただ実際レ-ス中、最も支えになったのが他の選手の存在だった。雨の中、夜半クタクタになって宿に着く。ヘッドライトの明かりを消すのも忘れ、ハァハァと息を切らしながらズブ濡れのままチェックイン。どこから来たのですか?と訊かれても、毎回答えられなかった。僕の中では『今日何処まで行くのか・・』が全てであり、『どこから来たのか・・』は別にどうでもいい話で既に記憶にはなかった。同志の仲間達はこんな時間にも、もっと遅い時間にも、普通にCPを通過し、県境峠を走っている。そんな仲間達が苦しんでいる中、自分だけが我先にとその場から真っ先に逃げ出すようなことだけは絶対にしたくなかった。どうせリタイヤするにしても、皆がゴ-ルするまでは僕も一緒に苦しみ抜こうと誓った。
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R7ゴ-ルの新潟駅にて、高澤さんと
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バスセンタ-のカレ-  ※新潟に来たら絶対に食べておきたい
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佐渡島に陽が沈む
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CP13青梅駅にて、原・川上選手と

『R7完走までは・・』という目先の目標が、いつしか『富山で家族に会うまでは・・』に延びていた。富山では家族(下3人と妻)の他に、地元の友人康介にも会うことが出来た。彼の存在は僕の中ではかなり大きく、もし康介と知り合っていなかったら、もし彼がTJARで優勝などしていなかったら、おそらく僕はスペシャルには出場していなかっただろうと思う。アイツばっかにいい思いをさせて堪るか・・、チクショ~あの野郎今に見とれ・・。とてもまともな理由とは言えない子供じみた嫉妬心だけで、僕はここまでやってきた。富山市内で康介や家族と別れ、僕は迷わず先へと向かう。富山でリタイヤして家族と一緒に帰ることも一度は考えていたが、この時の僕はそんな気など全くなかった。目指す場所は先にある。それが下関とはまだ到底言えないが、ここではないことだけは確かだった。
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富山にて家族と合流
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ナナ(第5子)、一花(第7子)、大志(第6子)  ※ちなみにこの夏、僕は48歳で爺さんになる
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康介と
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金沢カレ-  ※タ-バンカレ-総本店(兼六園)

薬で誤魔化しながらも走ったり歩いたりを繰り返し、何とかしぶとく進んでいる。しかし悲劇は突如起きた。糸魚川(新潟県)で左ふくらはぎの肉離れを発症。以来、富山県、石川県は1歩たりとも走ることが出来ず、完全に歩き通す羽目に遭った。そして次に現れたのが、福井県。R8のヤマ場として挑むことになった福井手前から敦賀への峠越え70㌔超は、福井県の友人マサさんが助けてくれた。マサさんとの出会いは第1回飛騨高山ウルトラマラソン。その時僕はまだランナ-ではなかったが、共に大会ボランティアをして仲良くなった。マサさんは昨年の試走(R8)の時もこの区間を一日付き合ってくれた。今回はマサさんの友人小松さんも加わり、大変心強い道中となった。夜のトンネルを睡魔と疲れでフラフラしながら歩く僕を、車に魅かれないようマサさんは後ろでそっと見守ってくれていた。
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南条駅(福井県南越前町)にて、小松さんとマサさん

相変らず歩き通すしかない苦しい毎日が続いているが、舞鶴まで行けば神様が僕を待ってくれている。その西田神様にはその手前小浜で会うことが出来、その後3日間、陽子さんとともに献身的にサポ-トをしてくれた。西田さんとは数年前の能登珠洲で知り合い、絶対不可能と思って挑んだ高山で奇跡的な再会を果たし、その時僕を完走に導いてくれた。そんな絶大な信頼があるだけに、神様の元まで行けさえすれば、今回も絶対にゴ-ルへと導いてもらえると信じていた。西田さんに会う前後はずっと菅田将暉×中村倫也の 『サンキュー神様』を繰り返し聴いていた。今回のレ-スでは逆ル-トで日本を辿る多くの旅人にも出会った。旅のスタイルは人それぞれ異なるが、日本列島を縦断するという目的は共有しており、互いに大きな励みになったことだろうと思う。
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小浜名物・焼き鯖すし  ※西田神様に頂いたが、最高に美味かった
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R8ゴ-ルの西舞鶴駅
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ス-パ-にて一休み
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西田神様と
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前だけを向く
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ル-ト9
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神様と陽子さん

相変らず全く走れない状態が続いている。3日に一度くらい試しに走ってはみるものの、1㌔も経たずして故障箇所が痛くなり、大事を取って直ぐに歩きに戻す。徒歩のこの現状下、理想は時速5㌔だが、実際はせいぜい時速4㌔で精一杯だった。ペ-スが遅い為宿到着がいつも夜遅くになり、必然的に睡眠時間は毎日4時間程となる。その為翌日は朝方から猛烈な睡魔に襲われ、日中はほとんどフラフラ蛇行状態でペ-スは全く上がらない。そうなると宿到着はまたも遅れ、自ずと睡眠不足に陥ることに。その負のスパイラルから結局最後まで抜け出すことが出来なかった。2位でゴ-ルした倉井選手が初日の併走時に語ってた言葉が頭に残っている。『疲れは想定していないが、睡魔だけが厄介だ・・』と。”疲れは想定していない”という大胆かつ自信溢れたフレ-ズに今大会一番の衝撃を覚えたが、今となれば僕も同じことが言えそうに思う。確かに数週間これだけ動いていると、脚の疲れというものはあまり感じなくなっていた。しかし反対に睡魔は慣れようがなく、人間の思考回路さえも停止してしまう。泣きながら進む僕の感情さえも奪ってしまい、睡魔に対してはもはや成す術がない状況であった。
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鳥取砂丘
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応援に駆け付けてくれた倉井選手  ※『疲れは想定していない』という言葉が印象的 
 
遅いながらも着実に毎日50~60㌔の歩行を続け、後続の士気迫る猛追に怯えながらも何とか山口県へと入った。ここまで来れば通常版の完走(30日以内)は確実だったが、出来れば平均60㌔となる26日間でゴ-ルしたいと思うようになっていた。残り97㌔を2日で辿っても良かったが、最後くらいは他の選手と同じようにスペシャルな終わり方をしようと腹をくくった。日中は意外と好調で久々に走れたりもしたのだが、夜中2時から予報通りの雨に見舞われ、その後猛烈な睡魔にも遭い8時まで思うように進めない時間帯が長らく続いた。しかしそれでも何とか奮起し、ラスト12㌔で最後の力を振り絞る。結果、長い停滞時間が大きく響き、目標の10時(26日間)には29分及ばなかったが、何とか土砂降りの下関駅に無事ゴ-ルすることが出来た。前半武井選手にくらい付いて行きたかった。後半野田選手に追い着きたかった。せめて23日半でゴ-ルしたかった。8番という素晴らしい背番号を頂いたにも関わらず、無様な走りをしたことを大変情けなく思う。しかしその場その場で一切妥協することなく死闘を尽くしたので全く悔いはない。そして『何があっても絶対に最後まで諦めない・・』、『這ってでもゴ-ルに辿り着く・・』、僕が最も大切にしているそのことだけは終始貫けたと思う。この大会が終ったら普通の人になりたい、普通の生活を送りたいと大会中康介に泣きついていたが、今ではもっと壮大なチャレンジをしたいと思っている。
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横になれそうな場所を見つけては、堪らず5分仮眠
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関門海峡
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旅の終点、下関駅  ※毎日死ぬ程辛かったけど、今思えば中々いい旅だった


本州縦断・青森~下関1550kmフットレ-ス2021〈SPECIAL〉記録表
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