命を懸けたお鉢巡り~インドネシア編(19)
2020年1月8日
プロボリンゴ~ブロモ山~バニュワンギ

火口からは未だ噴煙が上がっている

穂先(祠)までは誰でも来れるが

その先徐々に危険度が増す ※後方にはバトッ山
これはもう、『お鉢巡り』なんていう甘っちょろいものではなく、危険を冒す行為、正しく『冒険』そのものだった。
とても生きた心地がせず、ナナか僕、どちらかが滑落しても何ら不思議ではない状況だった。
『わ~い、お鉢巡りだ!』なんて音楽を聴きながら浮かれていたのも、槍の穂先までのこと。
その後はじわりじわりと事態が悪化し、尾根道は一変し、痩せ尾根へと変わっていく。
歩ける幅は、せいぜい有っても50cm程。
右へ落ちれば火口目掛け一直線、左に落ちても奈落の底まで急降下。
靴が汚れようが、ズボンが破けようが、なり振り構わず慎重に進むしかなかった。
尾根幅が50cmも有れば容易に歩けないこともないが、何せそのロケ-ションが最悪なのだ。
命懸けの綱渡り状態で、体勢を崩し滑落したものなら、あっさりと人生のジエンド
を迎える。
一つのミスも許されず、一切気の抜くことの出来ない、張りつめた状況下。
腰を落とし低い姿勢で、両手を八の字に広げ、いつでもしゃがみ込める状態にだけはしておく。
しかしそれすらも危ういと感じた場面では、馬乗りになって少しずつ進んだ。
日本の一般登山コ-スでは、北アルプスの西穂~奥穂の縦走路が国内屈指の難コ-スだと言われている。
昔テントを担いでこの尾根を縦走した時は、本気で死ぬかと思った。
これは僕が極度の高所恐怖症だということもあるが、このブロモ山のお鉢巡りは感覚的に西穂~奥穂の数倍は恐ろしいと感じていた。
何せ足がかりがなく、何の整備もされていない、原始のままの姿。
例えるなら、日本のバリエ-ション尾根を、装備無しの空身で進んでいるようなものだろう。
活火山ブロモ山

有り得ない光景
ビデオを撮るのも命懸け ※本当にヤバい場面は写真すら撮れていない

進退窮まる ※画像クリックで拡大
プロボリンゴ~ブロモ山~バニュワンギ

火口からは未だ噴煙が上がっている

穂先(祠)までは誰でも来れるが

その先徐々に危険度が増す ※後方にはバトッ山
これはもう、『お鉢巡り』なんていう甘っちょろいものではなく、危険を冒す行為、正しく『冒険』そのものだった。
とても生きた心地がせず、ナナか僕、どちらかが滑落しても何ら不思議ではない状況だった。
『わ~い、お鉢巡りだ!』なんて音楽を聴きながら浮かれていたのも、槍の穂先までのこと。
その後はじわりじわりと事態が悪化し、尾根道は一変し、痩せ尾根へと変わっていく。
歩ける幅は、せいぜい有っても50cm程。
右へ落ちれば火口目掛け一直線、左に落ちても奈落の底まで急降下。
靴が汚れようが、ズボンが破けようが、なり振り構わず慎重に進むしかなかった。
尾根幅が50cmも有れば容易に歩けないこともないが、何せそのロケ-ションが最悪なのだ。
命懸けの綱渡り状態で、体勢を崩し滑落したものなら、あっさりと人生のジエンド

一つのミスも許されず、一切気の抜くことの出来ない、張りつめた状況下。
腰を落とし低い姿勢で、両手を八の字に広げ、いつでもしゃがみ込める状態にだけはしておく。
しかしそれすらも危ういと感じた場面では、馬乗りになって少しずつ進んだ。
日本の一般登山コ-スでは、北アルプスの西穂~奥穂の縦走路が国内屈指の難コ-スだと言われている。
昔テントを担いでこの尾根を縦走した時は、本気で死ぬかと思った。
これは僕が極度の高所恐怖症だということもあるが、このブロモ山のお鉢巡りは感覚的に西穂~奥穂の数倍は恐ろしいと感じていた。
何せ足がかりがなく、何の整備もされていない、原始のままの姿。
例えるなら、日本のバリエ-ション尾根を、装備無しの空身で進んでいるようなものだろう。
活火山ブロモ山

有り得ない光景
ビデオを撮るのも命懸け ※本当にヤバい場面は写真すら撮れていない

進退窮まる ※画像クリックで拡大
ツア-2日目は、プナンジャカン山(2770m)でのサンライズ鑑賞から始まった。
3時出発予定と聞かされていたが、結局宿を発ったのが3:11。
暗い山道を2655mまで登り上げ、山頂手前でジ-プを降りたのが、丁度4時。
日の出まではまだしばらく時間がある為、店内で温かい飲物を飲んだり、カップ麺を食べたりしながら時間を潰す。
山頂直下の道路脇にはこの種の店が多く並び、時間潰しや寒さ凌ぎには最適となる。
頃合いを見て山頂に向かうと、既に多くの観光客が寒い中、日の出の到来を待ちわびていた。
敷物や毛布を貸し出す商いもあり、短パン姿のスイス人は毛布を借りて下半身に巻いていた。
しかし結局、この日朝日は現れず、自慢の眺望さえも見ることは出来なかった。
本来であればここからは白煙を上げるブロモ山や均整のとれたバトッ山だけでなく、更にはジャワ島最高峰のスメル山(3676m)までもが望めるはずであった。

プナンジャカン山手前にてジ-プ下車

カップ麺とカプチ-ノで暖を取る

日記を書き、時間を潰す

プナンジャカン山 ※結局サンライズも眺望も全く拝めなかった

山頂の電波塔

無念の退散
プナンジャカン山に来た記念にマグネットを一つ購入し、ジ-プに戻り、5時半には出発。
そして6時にブロモ山の麓に到着し、ここでも各自自由行動となった。
訊くところ山頂までは片道1.5kmの距離らしく、ジ-プへの集合時間は8時半とのこと。
山頂往復だけなら1時間とかからないが、滞在時間はたっぷりと2時間半設けてある。
しかしこの一見無駄に長い滞在時間が、後に僕らの運命を左右することになる。

ブロモ山麓にてジ-プ下車

登山開始

山頂への階段をズ-ムアップ

直下までは馬で行くことも出来る

客待ち中の馬引き

最後の階段

山頂のガネ-シャ像
時間的にも山頂往復だけでは物足りないので、自ずとお鉢巡りをしようという流れになった。
階段を上って山頂部に出てからは、何の迷いもなく左へと進路を取る。
転落の危険は常にあり、決して気の抜けない縦走路ではあったものの、足下は歩き易く、このお鉢巡りは容易に完結するものと思われた。
先に進む者はほとんどいないが、それは与えられた滞在時間の差だろう・・くらいにしか思っていなかった。
同じツア-の男性2人は既に先行しており、彼らを追うように僕らも進む。
一度登り切った先に急な岩場の下りが現れたが、別段危険を感じる程ではなかった。
進む先には槍ヶ岳(北アルプス)を想わせる穂先が、稜線の先に聳え立っている。

時間もあるし、迷わずお鉢巡りへ

階段取り付く山頂部を振り返る

進む者はほとんどいない

同ツア-の男性2人の後を追う ※ナナの前の単独男性はその後何処へ?

さすが本場の若者

一気に降下

慌てず慎重に

進む先に槍の穂先
穂先への登りも難無くこなし、お鉢巡りは残り1/3程を残すのみとなった。
ここには石の祠があり、展望台のようになっている。
来た道を振り返ると、左側には迫力満点の火口が絶え間なく白煙を上げ、右側には何やら枯れた火口湖のような大きな窪みが広がっている。
進む先を見てみると、尾根は幾分険しくなっているようにも見えた。
後ろから単独女性がやって来て、軽く挨拶を済ませ、休むことなく直ぐに先へと進んでいった。
同ツア-の若者二人は写真撮影に夢中のようで、僕らが一足先に穂先を発つことになった。
ゴ-ルは肉眼でも確認出来るし、集合時間のこともあり、来た道をわざわざ戻るという選択肢は、ここに居る誰しも持ち合わせてはいなかった。

ブロモ山(2392m) ※穂先にある祠

恐ろしき火口

この先進む稜線

潔くここで引き返すべきだった
単独女性は随分と先へ行ってしまったが、きっと普段から母国でも山登りをしているのだろう。
そうでもなければ、この痩せた尾根はそう易々とは歩けない。
穂先以降、出だしこそはまだ余裕があったが、徐々に容態が変わってきた。
一気に変わればそこで諦めもつくものの、このじわりじわり感が僕の判断力を鈍らせた。
やがて身の危険を感じ始めたが、既に時は遅し。
戻るのも危険だし、ここまで来たら、どう考えたって進んだ方が早い。
膝を曲げて重心を下げ、両手を横に伸ばし、バランスを取りながらゆっくりと進む。
やがてなり振り構わず馬乗りになり、最大限の慎重を払い、祈るように進んでいた。
ナナはこんな悲惨な状況下でも、この現実を真正面から受け止め、泣くどころか果敢に立ち向かってくれたことが、まだ幸いだった。
そして命さながらのお鉢巡りも、ようやくゴ-ルが直ぐそこに見えてきた。
ここまでかなり厳しかったが、もう少しの辛抱で、終にこの境地から脱出出来るのだ。

出だしこそまだ余裕があったが

次第に危うい箇所が現れ

命の危機すら感じ始める ※画像クリックで拡大

落ちたら最後、右も左も奈落の底

ほぼ馬乗り状態
しかしこのル-トの核心は、この先に待っていた。
ここまでは危ないなりにも何とか進んで来れたが、この先、尾根は完全に尖がり、身を置くことすら不可能に思われた。
追い越していった同ツア-の若者2人が、先程大きな悲鳴を上げていた場所だ。
彼らはここを果敢にも左にトラバ-スしていたが、そこすら切り立った急斜面で足を置くことすらままならない。
スイス人の青年はここで何mか流されていたが、その先どうやって進んだのだろうか。
果たして無事生きているのかさえも、僕らの場所からでは確認出来ない。
先行していた黄色ヤッケの単独女性は、僕らが居留まる場所から左の谷へと下りて行った。
しかし彼女を含め、谷へと下りて行った先行者らは、皆一斉に登り返してきた。
どうやら谷でも進退窮まり、行き詰まったようだ。
険しい岩に張り付く先頭の男性に大声を出して訊いてみた。
『下から見て、この先稜線は進めそうですか?』
そう問うと、直ぐに返答が来た。
『無理だ、戻るのが一番安全だ!』
どうやら彼らはこの先稜線は進めないと判断したからこそ、ル-トを見い出し、谷へと下りて行ったのだ。

谷へと下りた先行者は結局谷でも行き詰まり、登り返してきた ※画像クリックで拡大
しばらく僕は迷った。
僕の数m後方で馬乗りになっているナナに動かないよう指示し、僕は一人先へと進み、状況を確かめに行く。
そして僕の中での迷いは消えた。
ゴ-ルは200~300m先に見えているが、彼らの言葉通り、素直に戻る決断を下す。
稜線をこのまま進むのはまずもって無理だし、左斜面へのトラバ-スは危険な上、仮に越えたとしても、その先の見通しが全く立たずリスクが大き過ぎる。
ここまで来るだけでも充分恐ろしかっただけに、再び長く険しい道のりを戻るという道を選ぶのは、かなりの決断力と勇気を伴った。

いいかナナ、命を懸けて引き返すぞ!
稜線上の僕らの遥か後方には、馬乗りになった女性二人の姿が確認出来た。
『これ以上進んでも無理だ、引き返した方がいい!』
谷を下りた先行者が皆登り返してくる姿をその判断材料に示し、僕は大声を出し状況を訴える。
幸いにも彼女らはすんなりと意図を察してくれ、直ぐに引き返してくれた。
こうして泣く泣く来た道を引き返すことになった訳だが、今度は登りである為か、或いは一度通過しているからか、先程よりは恐怖心はなかった。
しかし1ヶ所核心部があり、足下の固まらない急斜面をトラバ-ス気味に巻くのは緊張した。
手がかりはなく、不安定な足下に全力を込め、一気に通過。
しかしナナがここを通れず、斜面に下りれなかったので、稜線を馬乗りのまま無事通過した。

絶対最後まで気を抜くな!
目の前には槍の山頂が迫っている。
左右切り立った稜線を体勢を低くし、両手を広げ、バランスをとりながら慎重に歩く。
万が一体勢を崩したものなら、咄嗟に地面に手が届くようにしておく。
・・そして何とか、石の置物のある槍の頂上まで無事戻って来れた。
ここまで来ればもう安心だ、死ぬことはない。
大声で『ヨッシャ~!』と叫び、ナナと強く抱き合った。
喜びも束の間、集合時間の8時半は既に過ぎている為、先を急ぐとする。
しかし先程引き返すよう声を掛けた後方の女性は、結局は同じツア-の二人組だった。
集合時間に遅れたのは僕らだけではないと知り、そこからはゆっくりと進む。

無事安全圏内の穂先へと帰還

穂先(左)から延びる痩せ尾根を振り返る

痩せ尾根の後方にバトッ山

落ちなくて本当に良かった

どおりで誰も来ない訳だ

バトッ山(2440m)を背に
集合時間には50分遅れたが、無事ジ-プへと戻ることが出来た。
あの絶対不可能と思われた場面を、斜面に流されながらも強引に突破したスイス人ともう1人の男性も無事のようだった。
互いの健闘を称え合い、彼ら2人と熱い握手を交わす。
あの切羽詰った場面で後続に居た女性ペアとも堅い握手を交わし、喜びを分かち合う。
おそらく誰一人、あんな恐ろしい山頂を好き好んで一周しようとは思わないだろう。
情報が全く無いが故、僕らは安易に足を踏み入れてしまった。
規制は一切なく、万が一事故を起こしたものなら、『自己責任』の一言で簡単に片付けられてしまうのが関の山だろう。
こんな辺鄙な場所で滑落しても、日本の山岳のような救助体制は間違いなく期待出来ない。
ブロモ山のお鉢巡りはしない方が良い・・、これが僕が導き出した結論である。
宿に戻り、遅い朝食を腹一杯食べながら、こうして生きていることを心の底から嚙み締める。
稜線で谷に下りていた、あの黄色ヤッケの単独女性も無事生還したようだ。
皆無事で、本当に良かった。

宿に戻っての朝食は食べ放題 ※ツア-代金に含まれている

命のご褒美
宿で朝食を取り、シャワ-を浴びたりした後、11時にはチェックアウト。
そして次の町を目指し、黄色いミニバスで1時間程走った所で、バスはふと道路脇に停まった。
ここで何故か一部の乗客のみ下車し、バスを乗り換えることになったが、その理由は直ぐに明らかになった。
僕らは明日イジェンを経由して最終的にはバリ島へと向かうのだが、若干スケジュ-ルの違う客も混在していたからだ。

次の町へ

ここでバスを乗り換え ※黄色いミニバスはここまで
しかしここで待っていた水色のバスを前に、信じたくない現実を急遽突き付けられることになる。
昨日散々肝を冷やされたあの暴走男が、僕らの目の前に再び現れたのだ
。
二度と見たくなかったこの顔、せっかくブロモ山で命拾いしたのに、再々度命の危険にさらされることになるとは・・。
途中、昼食休憩(13:55~14:40)があったが、遅い朝食をお腹一杯食べたばかりだし、そうでなくてもツア-で立ち寄るレストランには二度と入らないと決めていたので僕らはパスした。
そして17時半、無事宿に到着。
このインドネシア一凶暴なドライバ-の名は、エディ-。
僕らツア-客に選ぶ権限はないが、不運にもこの男に当たったものなら、それ相応の覚悟をしておいた方がいい。

バニュワンギ到着 ※暴走ドライバ-(右)は今日はおとなしかった

ツア-ホテル

ダブルル-ム

今日の日記
バニュワンギ・PERMAIホテル泊-ツア-代に含む
プナンジャカン山(カプチ-ノRp.5000、カップ麺Rp.10000、マグネットRp.10000) デンパサ-ル行き(フェリ-・バスRp.125000×2) 水600ml(Rp.3000) コ-ラ1.5㍑(Rp.12000 ※賞味期限2018.5の為味がへん) 計Rp.290000
3時出発予定と聞かされていたが、結局宿を発ったのが3:11。
暗い山道を2655mまで登り上げ、山頂手前でジ-プを降りたのが、丁度4時。
日の出まではまだしばらく時間がある為、店内で温かい飲物を飲んだり、カップ麺を食べたりしながら時間を潰す。
山頂直下の道路脇にはこの種の店が多く並び、時間潰しや寒さ凌ぎには最適となる。
頃合いを見て山頂に向かうと、既に多くの観光客が寒い中、日の出の到来を待ちわびていた。
敷物や毛布を貸し出す商いもあり、短パン姿のスイス人は毛布を借りて下半身に巻いていた。
しかし結局、この日朝日は現れず、自慢の眺望さえも見ることは出来なかった。
本来であればここからは白煙を上げるブロモ山や均整のとれたバトッ山だけでなく、更にはジャワ島最高峰のスメル山(3676m)までもが望めるはずであった。

プナンジャカン山手前にてジ-プ下車

カップ麺とカプチ-ノで暖を取る

日記を書き、時間を潰す

プナンジャカン山 ※結局サンライズも眺望も全く拝めなかった

山頂の電波塔

無念の退散
プナンジャカン山に来た記念にマグネットを一つ購入し、ジ-プに戻り、5時半には出発。
そして6時にブロモ山の麓に到着し、ここでも各自自由行動となった。
訊くところ山頂までは片道1.5kmの距離らしく、ジ-プへの集合時間は8時半とのこと。
山頂往復だけなら1時間とかからないが、滞在時間はたっぷりと2時間半設けてある。
しかしこの一見無駄に長い滞在時間が、後に僕らの運命を左右することになる。

ブロモ山麓にてジ-プ下車

登山開始

山頂への階段をズ-ムアップ

直下までは馬で行くことも出来る

客待ち中の馬引き

最後の階段

山頂のガネ-シャ像
時間的にも山頂往復だけでは物足りないので、自ずとお鉢巡りをしようという流れになった。
階段を上って山頂部に出てからは、何の迷いもなく左へと進路を取る。
転落の危険は常にあり、決して気の抜けない縦走路ではあったものの、足下は歩き易く、このお鉢巡りは容易に完結するものと思われた。
先に進む者はほとんどいないが、それは与えられた滞在時間の差だろう・・くらいにしか思っていなかった。
同じツア-の男性2人は既に先行しており、彼らを追うように僕らも進む。
一度登り切った先に急な岩場の下りが現れたが、別段危険を感じる程ではなかった。
進む先には槍ヶ岳(北アルプス)を想わせる穂先が、稜線の先に聳え立っている。

時間もあるし、迷わずお鉢巡りへ

階段取り付く山頂部を振り返る

進む者はほとんどいない

同ツア-の男性2人の後を追う ※ナナの前の単独男性はその後何処へ?

さすが本場の若者

一気に降下

慌てず慎重に

進む先に槍の穂先
穂先への登りも難無くこなし、お鉢巡りは残り1/3程を残すのみとなった。
ここには石の祠があり、展望台のようになっている。
来た道を振り返ると、左側には迫力満点の火口が絶え間なく白煙を上げ、右側には何やら枯れた火口湖のような大きな窪みが広がっている。
進む先を見てみると、尾根は幾分険しくなっているようにも見えた。
後ろから単独女性がやって来て、軽く挨拶を済ませ、休むことなく直ぐに先へと進んでいった。
同ツア-の若者二人は写真撮影に夢中のようで、僕らが一足先に穂先を発つことになった。
ゴ-ルは肉眼でも確認出来るし、集合時間のこともあり、来た道をわざわざ戻るという選択肢は、ここに居る誰しも持ち合わせてはいなかった。

ブロモ山(2392m) ※穂先にある祠

恐ろしき火口

この先進む稜線

潔くここで引き返すべきだった
単独女性は随分と先へ行ってしまったが、きっと普段から母国でも山登りをしているのだろう。
そうでもなければ、この痩せた尾根はそう易々とは歩けない。
穂先以降、出だしこそはまだ余裕があったが、徐々に容態が変わってきた。
一気に変わればそこで諦めもつくものの、このじわりじわり感が僕の判断力を鈍らせた。
やがて身の危険を感じ始めたが、既に時は遅し。
戻るのも危険だし、ここまで来たら、どう考えたって進んだ方が早い。
膝を曲げて重心を下げ、両手を横に伸ばし、バランスを取りながらゆっくりと進む。
やがてなり振り構わず馬乗りになり、最大限の慎重を払い、祈るように進んでいた。
ナナはこんな悲惨な状況下でも、この現実を真正面から受け止め、泣くどころか果敢に立ち向かってくれたことが、まだ幸いだった。
そして命さながらのお鉢巡りも、ようやくゴ-ルが直ぐそこに見えてきた。
ここまでかなり厳しかったが、もう少しの辛抱で、終にこの境地から脱出出来るのだ。

出だしこそまだ余裕があったが

次第に危うい箇所が現れ

命の危機すら感じ始める ※画像クリックで拡大

落ちたら最後、右も左も奈落の底

ほぼ馬乗り状態
しかしこのル-トの核心は、この先に待っていた。
ここまでは危ないなりにも何とか進んで来れたが、この先、尾根は完全に尖がり、身を置くことすら不可能に思われた。
追い越していった同ツア-の若者2人が、先程大きな悲鳴を上げていた場所だ。
彼らはここを果敢にも左にトラバ-スしていたが、そこすら切り立った急斜面で足を置くことすらままならない。
スイス人の青年はここで何mか流されていたが、その先どうやって進んだのだろうか。
果たして無事生きているのかさえも、僕らの場所からでは確認出来ない。
先行していた黄色ヤッケの単独女性は、僕らが居留まる場所から左の谷へと下りて行った。
しかし彼女を含め、谷へと下りて行った先行者らは、皆一斉に登り返してきた。
どうやら谷でも進退窮まり、行き詰まったようだ。
険しい岩に張り付く先頭の男性に大声を出して訊いてみた。
『下から見て、この先稜線は進めそうですか?』
そう問うと、直ぐに返答が来た。
『無理だ、戻るのが一番安全だ!』
どうやら彼らはこの先稜線は進めないと判断したからこそ、ル-トを見い出し、谷へと下りて行ったのだ。

谷へと下りた先行者は結局谷でも行き詰まり、登り返してきた ※画像クリックで拡大
しばらく僕は迷った。
僕の数m後方で馬乗りになっているナナに動かないよう指示し、僕は一人先へと進み、状況を確かめに行く。
そして僕の中での迷いは消えた。
ゴ-ルは200~300m先に見えているが、彼らの言葉通り、素直に戻る決断を下す。
稜線をこのまま進むのはまずもって無理だし、左斜面へのトラバ-スは危険な上、仮に越えたとしても、その先の見通しが全く立たずリスクが大き過ぎる。
ここまで来るだけでも充分恐ろしかっただけに、再び長く険しい道のりを戻るという道を選ぶのは、かなりの決断力と勇気を伴った。

いいかナナ、命を懸けて引き返すぞ!
稜線上の僕らの遥か後方には、馬乗りになった女性二人の姿が確認出来た。
『これ以上進んでも無理だ、引き返した方がいい!』
谷を下りた先行者が皆登り返してくる姿をその判断材料に示し、僕は大声を出し状況を訴える。
幸いにも彼女らはすんなりと意図を察してくれ、直ぐに引き返してくれた。
こうして泣く泣く来た道を引き返すことになった訳だが、今度は登りである為か、或いは一度通過しているからか、先程よりは恐怖心はなかった。
しかし1ヶ所核心部があり、足下の固まらない急斜面をトラバ-ス気味に巻くのは緊張した。
手がかりはなく、不安定な足下に全力を込め、一気に通過。
しかしナナがここを通れず、斜面に下りれなかったので、稜線を馬乗りのまま無事通過した。

絶対最後まで気を抜くな!
目の前には槍の山頂が迫っている。
左右切り立った稜線を体勢を低くし、両手を広げ、バランスをとりながら慎重に歩く。
万が一体勢を崩したものなら、咄嗟に地面に手が届くようにしておく。
・・そして何とか、石の置物のある槍の頂上まで無事戻って来れた。
ここまで来ればもう安心だ、死ぬことはない。
大声で『ヨッシャ~!』と叫び、ナナと強く抱き合った。
喜びも束の間、集合時間の8時半は既に過ぎている為、先を急ぐとする。
しかし先程引き返すよう声を掛けた後方の女性は、結局は同じツア-の二人組だった。
集合時間に遅れたのは僕らだけではないと知り、そこからはゆっくりと進む。

無事安全圏内の穂先へと帰還

穂先(左)から延びる痩せ尾根を振り返る

痩せ尾根の後方にバトッ山

落ちなくて本当に良かった

どおりで誰も来ない訳だ

バトッ山(2440m)を背に
集合時間には50分遅れたが、無事ジ-プへと戻ることが出来た。
あの絶対不可能と思われた場面を、斜面に流されながらも強引に突破したスイス人ともう1人の男性も無事のようだった。
互いの健闘を称え合い、彼ら2人と熱い握手を交わす。
あの切羽詰った場面で後続に居た女性ペアとも堅い握手を交わし、喜びを分かち合う。
おそらく誰一人、あんな恐ろしい山頂を好き好んで一周しようとは思わないだろう。
情報が全く無いが故、僕らは安易に足を踏み入れてしまった。
規制は一切なく、万が一事故を起こしたものなら、『自己責任』の一言で簡単に片付けられてしまうのが関の山だろう。
こんな辺鄙な場所で滑落しても、日本の山岳のような救助体制は間違いなく期待出来ない。
ブロモ山のお鉢巡りはしない方が良い・・、これが僕が導き出した結論である。
宿に戻り、遅い朝食を腹一杯食べながら、こうして生きていることを心の底から嚙み締める。
稜線で谷に下りていた、あの黄色ヤッケの単独女性も無事生還したようだ。
皆無事で、本当に良かった。

宿に戻っての朝食は食べ放題 ※ツア-代金に含まれている

命のご褒美
宿で朝食を取り、シャワ-を浴びたりした後、11時にはチェックアウト。
そして次の町を目指し、黄色いミニバスで1時間程走った所で、バスはふと道路脇に停まった。
ここで何故か一部の乗客のみ下車し、バスを乗り換えることになったが、その理由は直ぐに明らかになった。
僕らは明日イジェンを経由して最終的にはバリ島へと向かうのだが、若干スケジュ-ルの違う客も混在していたからだ。

次の町へ

ここでバスを乗り換え ※黄色いミニバスはここまで
しかしここで待っていた水色のバスを前に、信じたくない現実を急遽突き付けられることになる。
昨日散々肝を冷やされたあの暴走男が、僕らの目の前に再び現れたのだ

二度と見たくなかったこの顔、せっかくブロモ山で命拾いしたのに、再々度命の危険にさらされることになるとは・・。
途中、昼食休憩(13:55~14:40)があったが、遅い朝食をお腹一杯食べたばかりだし、そうでなくてもツア-で立ち寄るレストランには二度と入らないと決めていたので僕らはパスした。
そして17時半、無事宿に到着。
このインドネシア一凶暴なドライバ-の名は、エディ-。
僕らツア-客に選ぶ権限はないが、不運にもこの男に当たったものなら、それ相応の覚悟をしておいた方がいい。

バニュワンギ到着 ※暴走ドライバ-(右)は今日はおとなしかった

ツア-ホテル

ダブルル-ム

今日の日記
バニュワンギ・PERMAIホテル泊-ツア-代に含む
プナンジャカン山(カプチ-ノRp.5000、カップ麺Rp.10000、マグネットRp.10000) デンパサ-ル行き(フェリ-・バスRp.125000×2) 水600ml(Rp.3000) コ-ラ1.5㍑(Rp.12000 ※賞味期限2018.5の為味がへん) 計Rp.290000
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