旅の概要~インドネシア編(1)
我が家の第5子ナナとの旅も、今回の旅で最終章を迎える。
昨年、一昨年とハ-ドな旅が続いたので、最後くらいのんびりとした旅がしたかった。
それに3年前に訪れたスリランカの海が印象深いだけに、もう一度ナナと海を見たかった。
そして僕らが今回行き先に選んだのが、マレ-シアとインドネシア。
マレ-シアはオ-プンジョ-のチケットを有効活用したもので、レゴランドをメインに置いた。
事前に名古屋のレゴランド・ジャパンにも行っておいたので、比べる意味でも楽しめた。
インド人街やチャイナタウンが気に入り、特にインド料理はよく食べた。
高速フェリ-でマラッカ海峡を渡り、インドネシアのスマトラ島へと入る。
スマトラ島はとても素朴な島だった。
ジョニ-のバイクでジャングルへ行き、そこで見た世界最大の花ラフレシアは見応えがあった。
計画段階から最もネックになっていたのが、スマトラ島からジャワ島への長距離移動。
大晦日、元日と丸々潰し、48時間バスに乗ることを当初予定していたが、実際バスを見て、とてもこの苦行に耐えれそうにないと諦めた。
これまで旅行中に国内線を使ったことは一度もないが、ここはジャカルタまで飛ぶことにする。
金額も驚く程変わらないし、広大で不便の多いこの国では飛行機はメジャ-な移動手段だ。
こうして辿り着いた、ジャワ島。
インドネシアの首都ジャカルタは、ただ広いだけで何一つ魅力を感じなかった。
古都ジョグジャカルタを拠点に、世界遺産のボロブドゥ-ルやプランバナンを訪れる。
12月、1月のこの時期は雨季となり、毎日どこでかしら雨が降り嫌らしかった。
そして迎えた2泊3日のブロモ、イジェンツア-。
今回の旅のハイライトとも言うべきこのツア-は、別の意味でハイライトとなった。
2日目に訪れた、活火山ブロモ山。
登山自体は所詮散策程度なのだが、軽い気持ちで挑んだお鉢巡りが僕らの人生を左右した。
火口からは噴煙が舞い上がり、辺りには硫黄臭が漂っている。
お鉢を3分の2程進んだ所に祠があり、ここを境に尾根は途端に急峻になってきた。
同じ頃居合わせた単独女性は何の迷いもなく、先へ先へと進んでいる。
急峻な痩せ尾根ではあるが、最初の内は少し緊張する程度で進めていた。
しかしいつしか事態は深刻になり、とても二本脚では立っていられない状態に陥ってくる。
もし体勢を崩し右に落ちれば火口目掛け一直線、左に落ちても奈落の底。
日本のように救助体制など整っていないだろうし、万が一滑落すれば自己責任だと軽く見放されてしまいそうな嫌な空気すら感じていた。
どんなことがあろうと、ここは事故だけは起こしてはならない。
堪らず尾根に尻をつけ、馬乗りになって進むしかなかった。
この時点で戻る選択を取れれば良かったが、明らかに進んだ方が近いし、尾根を戻るという選択も危険でしかなかった。
やがて更に事態は悪化し、完全に尾根は尖がり、馬乗りすることさえ不可能になった。
僕とナナどちらが落ちても、この旅は最悪の結末を迎えて終わる。
考えたくもないシナリオが頭に浮かぶ僕、ナナも必死に命を懸け頑張っている。
・・その後幸いにも僕らは無事生還し、抱き合い、大声を出して喜びを分かち合った。
若干小6にして生きるか死ぬかの体験をさせてしまったことを、僕は今でも悔んでいる。
ジャワ島からバリ島へとフェリ-で渡る。
リゾ-ト地として有名なバリ島ではあるが、別段美しい海ではなく、少し拍子抜けした。
何よりバリ島、特に中部は驚く程暑く、とても観光どころではなかった。
町歩きは拷問に近く、1時間も歩けばフラフラになり倒れそうになる。
リゾ-ト気分を求めた観光客も多かったが、とてもこの島ではリゾ-トなんか出来ないと思った。
そんな悲惨な状況下、プ-ル付きの安宿には随分助けられた。
僕らはバリ島では観光ニ-ト状態で、ほとんど宿から出なかった。
再び海を渡りジャワ島へと戻る。
古都ソロに来て、この旅で初めてアジアの空気に触れた気がした。
バリ島には観光客相手の高いレストランしかなかったが、ソロには逆に屋台やロ-カル食堂しかなく、とても居心地が良かった。
自ずと僕らも元気になり、ここぞとばかりにインドネシアを味わい尽くした。
ジャワ原人が発掘されたサンギランや中米マヤ文明を想わせるスク-寺院など、郊外に見所は多い。
今回の旅で僕は初めてスマホを持参したが、結果的にやはりこれがかなり重宝した。
どんな安宿でも無料Wifiは使えたので、ナナは毎日日本の家族にラインや長電話をしていた。
姉の嶺花からは、『そんなの旅じゃない!』と散々言われていたが、嶺花の気持ちは痛いほど良く分かる。
嶺花最後の旅の時、南米ボリビアの電話屋で祖母に国際電話して、旅の間唯一となるその短い会話に嶺花は涙ぐんでいた。
デジカメが壊れ、後半数日はスマホのカメラで凌いだ。
この旅ではまった菅田将暉。クロ-バ-という曲はこの旅僕らのテ-マソングとなった。
インドネシアはとにかく暑過ぎて、僕も消極的にならざるを得ない場面が多かった。
それにバスタ-ミナルは大概町から遠く離れていて、利用するにも大変不便だった。
ジャワ島やスマトラ島ではバックパッカ-の姿はほとんど見かけなかった。
異常的な暑さと交通の不便さがあるが故、目の肥えた旅人も自ずと目的地から外すのだろう。
今こうして生きていられることに感謝したい・・。
たった一つの命は大切にしなければならない・・。
そう思えるような体験をしたことが、良くも悪くも今回の旅の収獲であった。

中部国際空港~ホ-チミン経由~マレ-シア/クアラルンプ-ル~ジョホ-ルバル~マラッカ~インドネシア/スマトラ島・ドゥマイ~ブキティンギ~パダン~ジャワ島・ジャカルタ~ジョグジャカルタ(ボロブドゥ-ル、プランバナン、ムラピ山)~ブロモ山~イジェン火口湖~バリ島・デンパサ-ル~サヌ-ル~ウブド(タンパシリン、タマンアユン、タナロット、ジャティルウィ、ウヌンダヌブラタン)~ジャワ島・ソロ(サンギラン、スク-)~ジャカルタ~ホ-チミン経由~中部国際空港 計32日
昨年、一昨年とハ-ドな旅が続いたので、最後くらいのんびりとした旅がしたかった。
それに3年前に訪れたスリランカの海が印象深いだけに、もう一度ナナと海を見たかった。
そして僕らが今回行き先に選んだのが、マレ-シアとインドネシア。
マレ-シアはオ-プンジョ-のチケットを有効活用したもので、レゴランドをメインに置いた。
事前に名古屋のレゴランド・ジャパンにも行っておいたので、比べる意味でも楽しめた。
インド人街やチャイナタウンが気に入り、特にインド料理はよく食べた。
高速フェリ-でマラッカ海峡を渡り、インドネシアのスマトラ島へと入る。
スマトラ島はとても素朴な島だった。
ジョニ-のバイクでジャングルへ行き、そこで見た世界最大の花ラフレシアは見応えがあった。
計画段階から最もネックになっていたのが、スマトラ島からジャワ島への長距離移動。
大晦日、元日と丸々潰し、48時間バスに乗ることを当初予定していたが、実際バスを見て、とてもこの苦行に耐えれそうにないと諦めた。
これまで旅行中に国内線を使ったことは一度もないが、ここはジャカルタまで飛ぶことにする。
金額も驚く程変わらないし、広大で不便の多いこの国では飛行機はメジャ-な移動手段だ。
こうして辿り着いた、ジャワ島。
インドネシアの首都ジャカルタは、ただ広いだけで何一つ魅力を感じなかった。
古都ジョグジャカルタを拠点に、世界遺産のボロブドゥ-ルやプランバナンを訪れる。
12月、1月のこの時期は雨季となり、毎日どこでかしら雨が降り嫌らしかった。
そして迎えた2泊3日のブロモ、イジェンツア-。
今回の旅のハイライトとも言うべきこのツア-は、別の意味でハイライトとなった。
2日目に訪れた、活火山ブロモ山。
登山自体は所詮散策程度なのだが、軽い気持ちで挑んだお鉢巡りが僕らの人生を左右した。
火口からは噴煙が舞い上がり、辺りには硫黄臭が漂っている。
お鉢を3分の2程進んだ所に祠があり、ここを境に尾根は途端に急峻になってきた。
同じ頃居合わせた単独女性は何の迷いもなく、先へ先へと進んでいる。
急峻な痩せ尾根ではあるが、最初の内は少し緊張する程度で進めていた。
しかしいつしか事態は深刻になり、とても二本脚では立っていられない状態に陥ってくる。
もし体勢を崩し右に落ちれば火口目掛け一直線、左に落ちても奈落の底。
日本のように救助体制など整っていないだろうし、万が一滑落すれば自己責任だと軽く見放されてしまいそうな嫌な空気すら感じていた。
どんなことがあろうと、ここは事故だけは起こしてはならない。
堪らず尾根に尻をつけ、馬乗りになって進むしかなかった。
この時点で戻る選択を取れれば良かったが、明らかに進んだ方が近いし、尾根を戻るという選択も危険でしかなかった。
やがて更に事態は悪化し、完全に尾根は尖がり、馬乗りすることさえ不可能になった。
僕とナナどちらが落ちても、この旅は最悪の結末を迎えて終わる。
考えたくもないシナリオが頭に浮かぶ僕、ナナも必死に命を懸け頑張っている。
・・その後幸いにも僕らは無事生還し、抱き合い、大声を出して喜びを分かち合った。
若干小6にして生きるか死ぬかの体験をさせてしまったことを、僕は今でも悔んでいる。
ジャワ島からバリ島へとフェリ-で渡る。
リゾ-ト地として有名なバリ島ではあるが、別段美しい海ではなく、少し拍子抜けした。
何よりバリ島、特に中部は驚く程暑く、とても観光どころではなかった。
町歩きは拷問に近く、1時間も歩けばフラフラになり倒れそうになる。
リゾ-ト気分を求めた観光客も多かったが、とてもこの島ではリゾ-トなんか出来ないと思った。
そんな悲惨な状況下、プ-ル付きの安宿には随分助けられた。
僕らはバリ島では観光ニ-ト状態で、ほとんど宿から出なかった。
再び海を渡りジャワ島へと戻る。
古都ソロに来て、この旅で初めてアジアの空気に触れた気がした。
バリ島には観光客相手の高いレストランしかなかったが、ソロには逆に屋台やロ-カル食堂しかなく、とても居心地が良かった。
自ずと僕らも元気になり、ここぞとばかりにインドネシアを味わい尽くした。
ジャワ原人が発掘されたサンギランや中米マヤ文明を想わせるスク-寺院など、郊外に見所は多い。
今回の旅で僕は初めてスマホを持参したが、結果的にやはりこれがかなり重宝した。
どんな安宿でも無料Wifiは使えたので、ナナは毎日日本の家族にラインや長電話をしていた。
姉の嶺花からは、『そんなの旅じゃない!』と散々言われていたが、嶺花の気持ちは痛いほど良く分かる。
嶺花最後の旅の時、南米ボリビアの電話屋で祖母に国際電話して、旅の間唯一となるその短い会話に嶺花は涙ぐんでいた。
デジカメが壊れ、後半数日はスマホのカメラで凌いだ。
この旅ではまった菅田将暉。クロ-バ-という曲はこの旅僕らのテ-マソングとなった。
インドネシアはとにかく暑過ぎて、僕も消極的にならざるを得ない場面が多かった。
それにバスタ-ミナルは大概町から遠く離れていて、利用するにも大変不便だった。
ジャワ島やスマトラ島ではバックパッカ-の姿はほとんど見かけなかった。
異常的な暑さと交通の不便さがあるが故、目の肥えた旅人も自ずと目的地から外すのだろう。
今こうして生きていられることに感謝したい・・。
たった一つの命は大切にしなければならない・・。
そう思えるような体験をしたことが、良くも悪くも今回の旅の収獲であった。

中部国際空港~ホ-チミン経由~マレ-シア/クアラルンプ-ル~ジョホ-ルバル~マラッカ~インドネシア/スマトラ島・ドゥマイ~ブキティンギ~パダン~ジャワ島・ジャカルタ~ジョグジャカルタ(ボロブドゥ-ル、プランバナン、ムラピ山)~ブロモ山~イジェン火口湖~バリ島・デンパサ-ル~サヌ-ル~ウブド(タンパシリン、タマンアユン、タナロット、ジャティルウィ、ウヌンダヌブラタン)~ジャワ島・ソロ(サンギラン、スク-)~ジャカルタ~ホ-チミン経由~中部国際空港 計32日
| '20インドネシア編 | 08:30 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑