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アウシュヴィッツ強制収容所~中欧周遊編(23)

・・前回の続き


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世界遺産 アウシュヴィッツ、ナチス・ドイツの強制絶滅収容所1940-45 (1979年登録)


ナチス・ドイツの強制収容所、アウシュヴィッツ。
第二次世界大戦が始まり、ポ-ランドがナチス・ドイツの支配下に置かれていた1940年、この収容所はポ-ランド人の政治犯を収容する為に造られた。
次第にユダヤ人やロマ、ソ連軍捕虜をも収容し、施設は拡大され、一大殺人工場と化していく。
今回の旅で僕が最も訪れたかったのが、この”アウシュヴィッツ”となる。
実際この場所に来てみると、想像を遥かに超える、言葉では言い表せない衝撃に包まれた。
それは子供のナナにしても同様である。

何故『ユダヤ人』というだけで、何の罪もない人たちが、散々苦しめられた挙句、無惨にも殺されなければならないのか。
人を人と扱わないナチスの残酷な行動に腹が立ち、言葉を失い、吐き気すら感じていた。
二度と戦争を起こしてはならない・・。
1940年代の、たった74年前の出来事とはとても思えなかった。
もし日本も南京大虐殺で似たようなことをしていたとすれば、これは他人事では済まされない。
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痩せ細った少年
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ここに連行されたら、もう逃げ場はない


ビルケナウでの見学を終え、20分毎にある無料シャトルバスに乗り5分、12:45にアウシュヴィッツへと戻ってきた。
フリ-エントリ-(入場無料)狙いの見学者はやはり多く、好き勝手に見学出来ないガイドツア-に参加するくらいなら、ガイド本を買って回った方が後で見返すことも出来るし断然いい。
収容所入口となるゲ-トには、『ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)』というスロ-ガンが掲げられている。
自由になる・・とは口ばかりだが、文字をよく見てみると、ARBEITの『B』の文字が上下逆さまになっていることに気付く。
これは被収容者に作らせたものだが、せめてもの抵抗として、わざと逆にしたと言われている。
アウシュヴィッツには28棟の囚人棟があり、最大で2.8万人が収容されていた。
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働けば自由になる  ※『B』の文字が上下逆なのがせめてもの抵抗の証
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28棟の囚人棟が整然と並び、最大2.8万人が収容されていた

第4棟、殲滅(せんめつ)。
アウシュヴィッツ全体で約13万人の女性被収容者が登録されていた。
主にユダヤ人(8.2万人)で、ポ-ランド人(3.1万人)、ロマ(1.1万人)などと続いていく。
これは収容所に登録された被収容者40万人のうち、女性が約30%を占める。
選別時に労働不能とみなされた老人や障害者、病人、子連れの母や妊婦など多くのユダヤ人女性は、連行後直ぐにガス室で殺された。
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授業らしき学生の団体も多い
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笑ってやがる
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何故ユダヤ人はナチス・ドイツの標的にされたのか
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収容時に撮影された3枚組の写真
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手書きの囚人リスト
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列車に乗り、各地から運ばれる強制移住者
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まるで旅にでも出るかのようで、悲壮感は現れていない

親衛隊員は最後まで、施設へ強制移住させられたユダヤ人に対し、この先何が待ち受けているのかを気付かれないようにしていたという。
死へと選別された囚人はガス室へ誘導される前に服を脱がなければならなかったが、その場所には見せかけのシャワ-が備えられ、脱衣場には長椅子とハンガ-があった。
それは、シャワ-後に自分の服を取って移住用バラックに戻ると信じさせる為だった。
親衛隊員がガスマスクをしてチクロンBの缶を開け、シアン化水素の染み込ませた粒を撒くと、温度に準じてガスが放出し、人々を呼吸困難にした。
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殺人ガスに使われた劇薬チクロンB、その使用済み缶
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製造したデゲッシュ社の納品書
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殺虫剤としてドイツより25トン運ばれた  ※用途を偽って納品させたというのか

アウシュヴィッツの大半が撮影可能で、この悲劇を広く伝える為に、とてもいいことだと思った。
しかし2階5号室で、僕は衝撃の光景を目にすることになる。
ここには2トン近い女性の髪が部屋のケ-ス一杯に積まれており、魂が宿っているからか、ここだけはさすがに撮影禁止だった。
1942年から産業用の原料として集められた髪は、ドイツ企業に売られ、織物の材料となった。
女性の髪で作った実際の織物も、ここに展示されている。

第5棟、重犯罪の証拠。
強制連行されたユダヤ人の日用品は、ドイツ帝国の名のもとで略奪行為の対象となった。
宝石や通貨などは帝国銀行へ送り、着物は女性の髪と同じく、繊維工場で主に産業用の原料となった。
戦争末期の赤軍部隊のアウシュヴィッツ接近に際し、ナチはこれら略奪した物品の保管倉庫を急いで空にしようとした。
この棟にはその時破棄に間に合わなかったり、送り切れなかった一部が展示されている。
アウシュヴィッツ到着後、どんな運命が待っているのか知らなかったことは、強制移住者が持ってきたこれら日用品の数々が示している。
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被収容者のメガネ
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義肢  ※奴隷労働者として適さない障害者は、到着後直ぐにガス室で殺された
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コップ、皿など
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トランク
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子供服
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通路両脇のケ-スは大量の靴で埋め尽くされている
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実際にこの靴を履いて連行されたのだ
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ブラシなど

第6棟、被収容者の生活。
囚人はこの施設に送り込まれると、先ずは3枚組の写真を撮られ、腕や脚に囚人番号の入れ墨が彫られた。
この施設に運び込まれた時点で、氏名を始め、人格の一切を失くしてしまうのだ。
新来者にとって収容所の登録手続きは心的外傷を負う経験だった。
ドイツ語の命令が理解出来ない被収容者は、しばしば親衛隊や被収容者の古参から嫌がらせや殴打を受けていた。
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第6棟
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被収容者名簿
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入れ墨をされ、番号で管理
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本物の囚人服
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粗末な食事
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通路を埋め尽くす被収容者の写真
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男性  ※パネルの方は全てこの収容所で亡くなった
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子供
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ソ連軍兵士が撮ったとされる、解放された子供と保護者

第7棟、住居や保健、衛生の環境。
ここでは囚人室が再現されている。
アウシュヴィッツ強制収容所が出来て最初の数ヶ月は、被収容者は床に敷いた藁や藁布団に重なり合って夜を過ごした。
そして徐々に、藁布団が簡易寝台に変わっていった。
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便所
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簡易ベット
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洗面室
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女性

第10棟と第11棟の間に、銃殺刑が行われた『死の壁』がある。
この壁は戦後に復元されたものだが、ここで数千人にも及ぶ銃殺が行われた。
壁の横にある第10棟の窓には木の壁が付けられているが、囚人たちが死刑執行を見れないようにする為の措置だった。
第11棟は収容所内の刑務所で、政治犯として裁判で有罪となった囚人はここから死の壁へと連行され、銃殺された。
地下には餓死牢や窒息牢、立ち牢などの監房がある。
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見るべき所が多い  ※既に二人とも言葉が出ない
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死の壁  ※政治犯として有罪となった囚人はここで銃殺された
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1941年9月、初めて毒ガスを使った大量殺人が試行された

その他、集団絞首台や焼却炉など、当時を語り継ぐ上で、その生々しさはここで確実に受け継がれている。
二度と同じ過ちを繰り返さない為にも、一人でも多くの人にアウシュヴィッツを知ってほしい。
ここで亡くなられた方々の冥福を祈るとともに、その命を無駄にしない為にも、この世界から戦争がなくなることを切に願う。
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アウシュヴィッツ強制収容所イメ-ジ
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集団絞首台
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地獄と自由は隣合わせ
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ガス室・焼却炉


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気を取り直し、KFCの11/11バケット  ※骨あり、なし半々の計22本
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匂いに負け、堪らず駅のホ-ムで宴会
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毎日立ち寄るショッピングセンタ-は
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かなり近代的
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宿近くのフロリアンスカ門
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何度見ても神秘的
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今夜の宴会は
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かなり豪華だ


クラクフ-Hostel Brama泊


バス(クラクフ~アウシュヴィッツ15PLN×2) 荷物預け(4PLN) ブックストア(案内書25PLN、ポストカ-ド2PLN×2) アウシュヴィッツ博物館(入場無料) ミニバス(アウシュヴィッツ~クラクフ15PLN×2) 鉄道(クラクフ~ワルシャワ大人150PLN、子供60PLN) KFC(11/11バケット39.95PLN) ス-パ-マ-ケット(ビ-ル500ml1.79PLN×2、1.75PLN×1) ポストカ-ド(2PLN)  計350.28PLN
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| '19中欧周遊編 | 08:30 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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