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死の門~中欧周遊編(22)

2019年1月9日
クラクフ~アウシュヴィッツ、ビルケナウ~クラクフ



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世界遺産 ビルケナウ、ナチス・ドイツの強制絶滅収容所1940-45 (1979年登録)


アウシュヴィッツ強制収容所から2km離れた所に、第二強制収容所ビルケナウが建設された。
面積1.4k㎡の広大な敷地に300棟以上のバラックが並び、アウシュヴィッツよりも更に大規模な一大殺人工場として機能していく。
1941年に建設が開始され、1945年にソ連軍によって解放されるまでに、実にここで百数十万人もの尊い命が奪われた。
輸送列車に乗せられ運ばれてきた人々は、『死の門』と呼ばれる進入門をくぐり、ここビルケナウの敷地へと導かれる。
ただ”ユダヤ人”というだけで何の罪もない人々、中には子供や女性の姿も目立つ。
この先待ち受けている地獄の毎日を、幼い子供たちは予測出来ていたのだろうか。
むごい、むご過ぎる・・。
生々しい当時の写真を前に、僕は一人の人間として言葉を失ってしまった。

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犠牲者追悼碑  ※脇には23言語のプレ-トが並ぶ



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宿の朝食  ※大概どこも似たような内容だが大満足
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朝食が付くと、1日2食(昼抜き)で済む

クラクフから西へ54km、オシフィエンチムの町にアウシュヴィッツ強制収容所が造られた。
朝クラクフを発ち、バスに乗ること1時間半、アウシュヴィッツに到着。
クラクフを出て以降雪は徐々に深まり、僕の地元飛騨高山を想わせる冬景色が辺り一面に広がっていた。
アウシュヴィッツにはツア-バスが多く、国籍問わず、人々の関心が高いことが伺える。
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アウシュヴィッツに到着
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アウシュヴィッツ博物館(旧強制収容所)

この場所は僕的に今回の旅のハイライトでもあり、見識を深めようと、僕にしては珍しくブックストアで日本語のガイド冊子を買った。
施設内には小さなバックすら持ち込めない為、荷物を有料の置場に預け、セキュリティ-を通過して中に入る。
入場無料だと一応心得てはいたが、フリ-で入場出来るのは13時からだと初めて知らされる。
入場者が多い為の人数調整のようで、ガイドを伴わない入場者はこの先進めなかった。
予定外の展開に焦るも、急遽計画を立て直し、ここは一先ずビルケナウを先に見ておくことに。
ビルケナウへは無料のシャトルバスで行けるようだし、便数も多い。
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無料シャトルバス時刻表  ※アウシュヴィッツ~ビルケナウを結ぶ
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ビルケナウ到着
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ナチス・ドイツ最大の強制収容所、面積は1.4k㎡
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木製の監視台が鉄線に沿って設けられている

敷地内はとても広く、当時の思いに浸りながら、敷地を周回するように歩く。
『死の門』のこの絶望的なアングルは、写真などで一度くらいは見たことがあるような気がする。
輸送列車に乗せられた時点で、ここが人生の終着駅になることは避けられなかったのだろう。
1944年にはガス室へと続く引き込み線が機能し、これによって虐殺のプロセスが更に加速、簡略化することになる。
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進入門(死の門)  ※中央監視塔の役割も果たしていた
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ナナよ、今日のことは絶対に忘れるなよ
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有刺鉄線には電気が流れていた
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ランペ(降車場)
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当時の写真
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レンガ造りのバラックが並ぶ
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ビルケナウへの鉄道引き込み線終点

1942年~1944年にかけ、ドイツはビルケナウのガス室で100万人近いユダヤ人を殺害した。
また新来者の大部分は医師に労働不能と見なされると、その日のうちにガス室で殺害された。
そしてその死体は、焼却炉や焼却用の窪地で焼かれることになる。
レンガ造りのバラックには700人が収容され、180の寝台は4人用(実際は6、7人)だった。
バラック内には小さな暖炉があったらしいが、冬の生活がより過酷さを増したであろうことは、この雪の情景からも容易に想像がつく。
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焼却炉
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冬はかなりの寒さになる
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シャトルバス


つづく・・

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