fc2ブログ

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

楽聖の足跡を訪ねて~中欧周遊編(19)


・・前回の続き


DSC08271_convert_20190816122832.jpg
世界遺産 ウィ-ンの歴史地区 (2001年登録)  ※王宮


中世の時代からヨ-ロッパの音楽の中心地だった、音楽の都ウィ-ン。
1600年頃にイタリアで誕生したオペラは、直ぐにウィ-ンへともたらされ熱狂的な支持を得る。
18世紀以降はハプスブルク家や有力貴族の庇護を受け、多くの音楽家がウィ-ンで活躍した。
モ-ツァルト、ベ-ト-ベンを始め、シュ-ベルト、ブルックナ-、ブラ-ムス、シュトラウス・・。
そんな楽聖たちの足跡が、ここウィ-ンには数多く残っている。

DSC08250_convert_20190812150630.jpg
ル-トヴィヒ・ヴァン・ベ-ト-ベン (1770~1827)


DSC08231_convert_20190812150333.jpg
観光馬車
DSC08232_convert_20190812150404.jpg
国会議事堂
DSC08234_convert_20190812150428.jpg
エリ-ザベト像
DSC08242_convert_20190812150452.jpg
ウィ-ン大学  ※ドイツ語圏最古の大学

ル-トヴィヒ・ヴァン・ベ-ト-ベン(1770~1827)。
ドイツのボンで生まれ、1792年ウィ-ンに活動の場を移してからは、貴族の庇護のもとでピアノ演奏や作曲を行った。
ベ-ト-ベンは70回以上引っ越しをしたという逸話があるが、その転居の理由として、騒音を原因とする近隣や家主との不和が多かったからと言われている。
1800年頃からは難聴に苦しみ、絶望のあまり遺書を書いた時期もあったそうだが、苦悩を乗り越え、音楽活動を続けてきた。

そんなベ-ト-ベンが実際に住んでいたという、パスクァラティハウスを訪れてきた。
この日はたまたま第一日曜ということで、運良く入館は無料だった。
雑居ビルのような建物の中、らせん階段を上った5階部分にベ-ト-ベンは1804年から1815年にかけて暮らし、ここで交響曲第5、第6、第7、オペラ『フィデリオ』、ピアノ曲『エリ-ゼのために』などが作曲された。
館内には楽譜や肖像画などが展示されており、試聴機では彼の作品を聴くことが出来る。
DSC08244_convert_20190812150508.jpg
パスクァラティハウス  ※ベ-ト-ベンが1804年から1815年にかけて住んでいた
DSC08246_convert_20190812150520.jpg
ここで、ピアノ曲『エリ-ゼのために』などが作られた
DSC08252_convert_20190812150645.jpg
楽譜
DSC08253_convert_20190812150657.jpg
楽曲が聴ける


DSC08284_convert_20190812150803.jpg
シュテファン寺院  ※モ-ツァルトの結婚式、葬儀はここで行われた
DSC08285_convert_20190812150815.jpg
長さ107mの内陣身廊
DSC08292_convert_20190812150839.jpg
南塔からの眺め  ※屋根のモザイクが特徴的
DSC08294_convert_20190812150850.jpg
夜を迎える

ヴォルフガング・アマデウス・モ-ツァルト(1756~1791)。
オ-ストリアのザルツブルグで生まれたモ-ツァルトは、幼い時から父親に連れられ、ヨ-ロッパ各地を演奏旅行していた。
そして6歳の時、シェ-ンブル宮殿の鏡の間でマリア・テレジアを前に演奏した際、同席していた7歳のマリ-・アントワネットに求婚したというエピソ-ドはあまりにも有名だ。
やがてモ-ツァルト少年の神童ぶりが、各地に知れ渡ることになる。

モ-ツァルトがザルツブルク大司教の宮廷を飛び出してウィ-ンに定住するようになったのは1781年、25歳の時だった。
以降市内を転々とすることになるが、現存するのは唯一モ-ツァルトハウス・ウィ-ンのみとなった。
モ-ツァルトはここで1784年から1787年の間暮らし、代表作の一つ『フィガロの結婚』はこの家で作曲された。

君がもし本当の友達なら、本当の男なら、僕にお金を貸してくれないか・・。
仮にこんなロクでもない男が僕の周りにいたならば、おそらく僕は無視をして縁を切るだろう。
しかしこれこそが、音楽の天才、モ-ツァルトその人である。
そんな性格が災いしたのか、経済的に困窮し、35歳で短い生涯を閉じることになる。
シュテファン寺院にて彼の葬儀が行われ、遺体は市内の共同墓地に埋葬されることになるが、家族や知人の同行もなかった為、正確な埋葬場所は不明なままだという。
日本語のオ-ディオガイドを聞きながらの見学は、とても分かり易く、見解もより一層深まった。
DSC08324_convert_20190812151235.jpg
モ-ツァルトハウス・ウィ-ン
DSC08301_convert_20190816122854.jpg
ヴォルフガング・アマデウス・モ-ツァルト (1756~1791)
DSC08303_convert_20190812151142.jpg
ここで、オペラ『フィガロの結婚』などが作られた
DSC08305_convert_20190812151154.jpg
彼が着用していた衣装や
DSC08310_convert_20190812151206.jpg
愛用していた楽器

こうして巡った、2人の偉大な音楽家の足跡。
共通して感じたのは『ロクでもない奴だな・・』という率直な感想だが、これは天才であるが故の裏返しなのかもしれない。
ナナは丁度この旅に出る前に、たまたま2人の伝記を読んでいたらしい。
ここに来ることなど知る由もなかっただけに、何とも運命的な、来るべきして来たような偶然を感じた。
頭のいいナナのことだから、将来音楽家になるなんてことも、満更ないとは言い切れない。
DSC08325_convert_20190812151249.jpg
音符のライトアップ
DSC08326_convert_20190812151302.jpg
ウィ-ン国立歌劇場(オペラ座)  ※パリ、ミラノと並ぶヨ-ロッパ三大オペラ劇場
DSC08336_convert_20190812151340.jpg
夜は豪華にKFCのバケットで


ウィ-ン・HOSTEL RUTHEN STEINER泊-45€


ポストカ-ド(0.5€×2) 国立図書館プリンクザ-ル(大人8€、子供フリ-) 王宮(大人13.9€、子供8.2€) ポストカ-ド(0.9€×2) パスクァラティハウス(※第一日曜の為フリ-) シュテファン寺院(南塔階段大人5€、子供2€) モ-ツァルトハウス・ウィ-ン(大人11€、子供4.5€) ポストカ-ド(1€) KFC(クリスマスバケット9.99€)  計66.39€
スポンサーサイト



| '19中欧周遊編 | 08:30 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT















非公開コメント

TRACKBACK URL

http://gakuto2164.blog85.fc2.com/tb.php/1093-a03ed804

TRACKBACK

PREV | PAGE-SELECT | NEXT