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サラエヴォの夜景~中欧周遊編(11)

2018年12月30日
~ボスニアヘルツェゴヴィナ・サラエヴォ



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サラエヴォ旧市街の中心、バシチャルシァ広場


国土の中央部をディナル・アルプス山脈が走り、2000m級の峰々が連なる、ここボスニア・ヘルツェゴヴィナ。
この山脈の北部をボスニア地方、南部をヘルツェゴヴィナ地方と呼び、これを合わせた呼称が国名となっている。

カトリック、セルビア正教、そしてイスラム教・・。
3つの民族が共存し、異なる民族同士の結婚はごく当たり前のことだった。
1995年まで続いた、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争。
約20万人の死者と約200万人以上の難民を出した紛争は、家族に国境を引こうとする愚行なものだった。

首都サラエヴォにあるアヴァズ・ツイストタワ-は2009年に完成したこの国で最も高いビル。
この展望台から望む町の夜景に、僕は思わず心を奪われた。
1984年冬季オリンピックの開催地でもあったサラエヴォは、多くの危機を乗り越え、今ではこんなにも光り輝いている。

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サラエヴォの夜景


昨夜20時リュブリャ-ナを発ったバスは、満杯の乗客を乗せ、サラエヴォに向けて発車した。
直ぐに車内の電気も消され、何もすることがないので寝ていると、21:46突如車内が明るくなり、周囲のざわつきにも気付き目を覚ます。
どうやらここが”クロアチア”とのボ-ダ-(国境)のようだ。
ボスニア・ヘルツェゴヴィナに向っているのに何故クロアチアなんだと思えるが、スロヴェニアからボスニアに向うには自ずとクロアチアを横断する必要がある為だ。
乗客一同バスを降り、順に出国審査を通過していく。
全員が終えたところで再び同じバスに乗り、少しだけ移動し、今度はクロアチアへの入国審査。

その後再びバスで寝て過ごし、1:20頃、再び車内が明るくなり目を覚ます。
今度は”ボスニア・ヘルツェゴヴィナ”とのボ-ダ-に着いたようだ。
クロアチアの出国審査の後、再びバスに乗り、今度はボスニアへの入国審査。
どこも同じ要領なので別段難しくはないが、その都度起こされるのが一番ネックになる。
このボ-ダ-も難なく終え、一連の出入国を無事終えた。

そしてその後も何度かトイレ休憩があったが、僕もナナも眠いので座席でずっと寝ていた。
ボスニア入国以降、幾つかの町で乗客は順次降り、最終のサラエヴォに着く頃には車内はガラガラになっていた。
そして7:42、予定の8時より若干早く、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの首都サラエヴォに到着。
寂れた中央駅を探索したりし、思い出したようにバスタ-ミナルに戻り、明日のモスタル行きのチケットを購入しておく。
その後、遠く離れた旧市街へと歩いて向かう。
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サラエヴォ到着
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BTに隣接するサラエヴォ中央駅  ※アヴァズ・ツイストタワ-が霞む

スナイパ-通りを横目に、旧ホリデイ・インを通過。
ボスニア紛争当時、この通りでは動くものは全て、高層ビルに潜んだセルビア人狙撃兵の標的となっていた。
子供や老人、女性までもが狙い撃ちされ、多くの被害者が出たとされる。
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スナイパ-通りと旧ホリデイ・イン(黄色い建物)
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マスコット

川沿いを歩き、駅から30分以上かけ、一先ず旧市街の目指す宿に到着した。
しかしここは満室だとビル入口のインタ-ホンであっさりと断られ、近くにあった別のホステルにタ-ゲットを変更。
しかしそこは1泊朝食付き1人12€と値段も雰囲気も良かったが、連泊しか受け付けないと言われ敢え無く断念。

そして向った3軒目。
このホステルも1人12€と値段は安いのだが、先程のように朝食は付かないらしい。
しかしこの宿も雰囲気は良かったので、ここに泊まることに決めた。
シャワ-を浴びた後、近くのス-パ-に買い出しに出かける。
買い物を終え宿へと戻り、ソファ-に腰掛け、ほとんど昼食に近い遅めの朝食を食べた。
ナナに至っては昨日の朝食(ポテトチップス)以来、久々の食事となる。
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宿の外玄関                           中玄関 ※建物の中の一室に過ぎない
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ス-パ-で買い出し
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ソファ-で遅めの朝食

食事後はそのままソファ-で昨日の日記を書くなどし、13時過ぎになって、ようやく町歩きに出かける。
旧市街の中心バシチャルシァ広場周辺はとても賑わい、中近東の面影が色濃く残っていた。
観光客も多く、皆店の軒先に座っては名物料理のチェヴァプチチやボスニア風コ-ヒ-を美味しそうに味わう姿が随所で見受けられた。
広場から川沿いに出て少し戻ると、そこにラテン橋がある。
1914年6月28日、ボスニアを統治していたオ-ストリア・ハンガリ-帝国のフランツ・フェルディナント皇太子夫妻が、この橋で青年ボスニア党のセルビア人青年に狙撃され、これが発端となり第1次世界大戦が勃発した。
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バシチャルシァ広場
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旧市庁舎
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ラテン橋
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1914年6月28日、皇太子夫妻がここで狙撃され、第1次世界大戦が始まった
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傍らにはサラエヴォ博物館が建ち
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当時の状況が展示されている

旧市街で見かけた安そうなファ-ストフ-ド店で、試しにハンバ-ガ-を食べてみる。
昨年東欧の旅では僕らの主食となっていたものだが、今こうして中欧圏内に入ったこともあってか、早速僕らの前に現れてくれた。
それにさすがは中欧だけはあり、イタリアなんかに比べて物価は格段に安い。
ハンバ-ガ-はとてもボリュ-ムがあって美味しく、他のメニュ-も気になるし、夜又来ようと二人で話していた。
その後サラエヴォ五輪施設とツイストタワ-のどちらに行こうか悩んだ末、結局タワ-の方へと足を進める。
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ガジ・フスレヴ・ベイ・ジャミ-ヤ  ※この国で最も重要なイスラム寺院
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遅めの昼食にハンバ-ガ-
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ブルサ・ベジスタン  ※16世紀に建てられた旧絹取引所
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町中のスケ-トリンク
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ツイストタワ-の麓まで来た

アヴァズ・ツイストタワ-。
2009年に完成した、ボスニア・ヘルツェゴヴィナで最も高いビル。
ここにはボスニアを代表する新聞社アヴァズ社が入っており、36階が展望台になっている。
僕らはたまたま夕暮れ時に訪れたが、折角なので夜景も見ておこうと展望台で少し粘り、綺麗な夜景を存分に鑑賞することが出来た。
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夕暮れ時に訪れ
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夜景鑑賞がベスト

再び30分程歩き、一旦宿へと戻る。
僕らのドミ部屋には日本人青年の後客が入っていて、挨拶がてら少し立ち話をした。
訊くところ、彼は北大出身の農学博士で、現在テッサロニキ(ギリシア)に1年半ほど暮らし、何かの研究をしているのだと言う。
昨年(実質今年)訪れたテッサロニキにはロクな思い出はないが、これも何かの縁だろう。
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ドミ6人部屋

ソファ-で今日の日記を書き終えたところで、嫌がるナナを余所に、精力的に夜の町歩きへと出かけるとする。
リュブリャ-ナから来た身としては盛り上がりに少し寂しさも感じたが、その要因は明らかに町に音楽がないからだ。
昼と同じファ-ストフ-ド店を再度訪れ、今度はピザとポテトフライを注文し、持ち込みビ-ルを遠慮がちに飲みながら一人いい気分になっていた。
宿近くのカトリック大聖堂前では、沢山の聴衆が集まり、何やら演奏会が行われている。
やけにキビキビとした指揮者の振る舞いを初めて目にし、『おぉ~、これが本物の音楽家か!』と二人でニヤニヤしながら見とれてしまった。
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夜の旧市街を散策
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常に賑わうバシチャルシァ広場
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ファ-ストフ-ド店で今度はピザと
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フライドポテト
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屋外演奏会


サラエヴォ・RESIDENCE泊-24€


バス(サラエヴォ~モスタル大人21KM、子供11KM) ス-パ-マ-ケット(ミカン18個1.54KM、ソ-セ-ジ200㌘1.00KM、プリン0.75KM、アイラン0.50KM、ゴマ食パン1.45KM、ビ-ル2㍑1.95KM) 宿代(ドミ12€×2) 昼食(ハンバ-ガ-2.5KM×2) ツイストタワ-(2KM×2) ス-パ-マ-ケット(ミカン30個2.47KM、ソ-セ-ジ200㌘1.00KM、プリン0.75KM、アイラン0.50KM、オレンジジュ-ス2㍑1.5KM) 夕食(ピザ3KM×2、ポテトフライ1.5KM)  計61.91KM、24€
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