ウラギン(2)~再会、そして衝撃の事実
・・前回の続き
無事烏帽子小屋まで辿り着き、この先迎えるのは今回の山行最大のご褒美となる”裏銀座”の縦走路。燕山荘から大天井、槍へと続く長い稜線を”表銀座”と呼ぶならば、ここ烏帽子小屋から野口五郎、水晶方面へと延びる稜線は”裏銀座”と呼ばれている。登山者しか知らないようなかなりマニアックな表現ではあるが、登山者であれば誰しも憧れる縦走路だとも言える。この表・裏の呼称にしろ、槍ヶ岳を意識して名付けられたであろう事実を考えると、やはり飛騨山脈(北アルプス)の中心は間違いなく”槍ヶ岳”であり、全ての稜線や主峰は槍の穂先を基点として派生したものだとつくづく思う。縦走路では岩茸を多く見かけ、全く時間の余裕はないものの、脚休めがてら採取にいそしんだ。

烏帽子小屋(9:18)

岩茸

縦走路
昔、長男岳登(がくと)と日本百高山を目指していた。小学生での完登を目指していたが、小学校最後の夏に脚を負傷。ラストチャンスとして挑んだ表銀座経由ラスト2山の山行も、11月の寒さに屈し、岩茸山行へと目的を変えて敢え無くジエンドとなった。毎週のように山に通っていたその当時、岳登と三ツ岳の山頂に立った。三ツ岳も百高山なので漏らす訳にはいかなかったが、今こうして想い起こしてみても、やはり縦走路上の三角点は三ツ岳のものではなかった。実際、縦走路は三ツ岳山頂の黒部側を巻いており、自らアクションを起こさなければそのピ-クには立てない。百高山を目指す登山者以外には全く興味のない山頂だろうが、ここまで来たら登っておいた方が無難ではある。完全に雲も切れ、右手(西側)に赤牛の姿が鮮明に見えてきた。北ア最奥部にある赤牛岳は大変思い入れのある山だが、昨年も新穂高からの日帰りで訪れている。その時赤牛から眺めた裏銀座の光景に抱いた感情を、今逆に赤牛を眺めながらひしひしと感じている。水晶が黒岳と呼ばれる所以は、黒ずむ山容をこうして目の前にし納得することが出来た。昨年の赤牛山行では復路の登りで脚が上がらなかったが、今日は一応まだくたばっていない。

縦走路上の偽三ツ岳

擦れ違う登山者は稀 ※こういう山域が一番いい

北ア最奥部の赤牛岳(右端)

赤牛が常に右手に見えている

水晶岳(黒岳)

岩茸が多い
岩茸採りの影響もあったのだろうが、意外と時間がかかってようやく野口五郎小屋へと到着。ちなみに”野口五郎”と聞けば誰しもあの歌手を思い出す。その芸名の由来は当然ここ野口五郎岳ではあるが、他の候補として”黒部五郎”もあったそうだ。そして最終的に決め手になったのが、より高い標高だったらしい。 腹は減っていないが、この後のエネルギ-切れに備え、握り飯を水で強引に流し込んでおく。それに併せ、小屋で水を500ml(100円分)補充。以前竹村新道の湯俣岳で水切れになったイメ-ジが根強く残っている為、ここは万全を期し、水1㍑体勢で長い竹村新道へ入ろうと思った。小屋の主人が何やら気になることを言っている。全く想定はしていなかったが、湯俣温泉の橋が流され、川が渡れるとか渡れないとか。今日渡ってきた登山者がいたから大丈夫だろう・・との微かな情報だけを頼りに、取り敢えず野口五郎山頂へと向かう。

野口五郎小屋(11:29)

野口五郎岳へ
ふと進む方角から、こちら目掛け親子連れがやって来る。今でこそ一人で山に入っているが、僕も昔は常に子供を引き連れていた。そんな懐かしさを感じながら、擦れ違いざま、子連れのお父さんに声をかける。一瞬何か引っ掛かるものがあった。そして僕は口にした。『あれっ!もしかして以前槍で会いませんでした?』。返答は早かった。『やっぱ、そうですよね・・』。3年前の夏、槍焼の山行時に、道中意気投合し、少しばかり行動を共にした長野県松川村の山田さん。今度息子と槍を登るということで、その時は偵察に来たとのことだった。そしてあの時言っていた子供が、今こうして僕の目の前にいる。そして中2になったその少年は、今日の山行をもってめでたく日本百名山を全て踏破したのだ


偶然の再会 ※3年前に一時を過ごしただけだが、お互い直ぐに分かった

野口五郎岳(標高2924m)
つづく・・
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| 山 | 18:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑