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本州縦断フットレース2021スペシャル(29)~生涯最高の旅

2021年5月20日(木)   ※大会27日目
~下関駅(山口)

昨日本日距離:100.8km 《総距離:1549.5km》


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生涯最高の旅だった  ※画像クリックで拡大


真夜中のラ-メン屋で英気を養い、いよいよゴ-ル目掛けて最後の追い込みへと入った。日付けは変わり、今日は5/20。ついに本州縦断の最終日を迎える。地図でル-トを確認しながら、慎重に進む。疲れも出ているので、歩きの割合が多くなってきた。進む、進む、とにかく進む。亀の歩みでも、進めば確実にゴ-ルは近付いてくる。千里の道も一歩から・・。果てしなく遠く感じていた1550㌔先のゴ-ルは、目の前の1歩の積み重ねによって、現実のものとすることが出来た。深夜2時、予報より1時間早く雨が降り始めた。何とか朝まで持ち堪えてほしかったが、やはり現実は厳しかった。この先ゴ-ルまでは雨との闘い。それに徹夜の眠さも相まって、エンディングに相応しい最後の試練が用意された。どんな物語であろうと、すんなり終えるスト-リ-には面白味がない。有難う、試練!バックから防水手袋を取り出す。以前どこかの町のダイソ-で買っていたもので、ここに来てようやく出番が来た。
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真夜中の交差点(1:22)

雨が強まってきたが休めるような場所もなく、車が脇を通り過ぎる度に水しぶきが容赦なく降り注ぐ。傘を持っているおかげで、濡れ鼠状態だけは防げているが、それでも濡れる。幸い、まだ眠さは感じていない。仮に眠くなっても、雨を凌げるような場所が全く見当たらないので、その最悪の局面だけは防がなければ、と思っていた。そんなこともあり、久々に見つけた高架下で一度本腰を入れて休むことにする。ここを逃すと、その先眠くなってもおそらく寝る場所はないだろう。3:07、眠くないが、バックを枕に横たわる。腕時計のアラ-ムは3:45にセットした。目を閉じていれば寝付けるものと期待したが、目を閉じてしばらく先ずは寒くて起き上がる。カッパの上にウィンドブレ-カ-の上下を着込み、再び眠りに就く。しかし今度はコンクリ-トの地べたが痛くて気になり、横幅が狭いことで寝返りすら打てない。そもそも眠くないので寝付けない。結局目をつむっていただけとなったが、4時、重い腰を上げリスタ-トを切る。こんな中途半端な仮眠では、また直ぐに眠くなるだろう。頭のすっきり感はないが、多少の脚休めにはなっただろうか。夜の雨は精神的に堪える。それを避ける為、少しでもここで朝を待とうという狙いもあった。
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高架下でアラ-ムをかけ横になるも、全く寝付けず  ※外は土砂降り
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下関24㌔(5:38)  ※一向に減らない距離と止まない雨に心が折れそう

ようやく周りが明るくなってくると、雨は止まずとも、心には幾分の余裕が生まれてきた。先程の高架下1時間の休憩は、仮眠としては失敗に終わったが、朝を待つ・・という狙いは作戦としては正解だった。6:11、ついに下関市へと入る。しかし市街地まではまだ19㌔もある。これを2時間で進めれば理想だが、現実的にはどれだけ早くても4時間前後はかかってしまう。そうなると、目標の10時ゴ-ルはやはりぎりぎりのラインとなってきた。この雨が憎たらしい。先程の1時間停滞が今となって響く。下関市に入ったことで、道路標識から”下関”の文字が消えた。下関に入っているんだという認識は常に抱いているが、決して楽観的に捉えることは出来なかった。この雨、そして睡魔。バイパスに並行して延びる側道を、傘を差しながら歩く。眠くて眠くて仕方ない。酔っ払いのようなフラフラ歩きは、おそらく時速4㌔も出ていない。高架下で5分眠り、何とかこの厄介な睡魔を追い払おうと試みた。
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貝汁350円が気になったが、先を急ぐことに
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下関市(6:11)  ※市街地までまだ19㌔もある
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”下関”の文字が消えた
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高架下で5分仮眠(7:10)
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バイパスに沿った側道

バイパス下の側道もなくなり、導かれるようにバイパスへと這い上がる。この単調なバイパスは、長くてただ辛いだけだった。市街地までもう一踏ん張りなのは頭では分かっているが、最後の力が湧いてこない。ゴ-ル目前にして自暴自棄になり始め、もう時間はどうでもいいと思うようになってきた。やっとのことで、長いバイパスを抜けた。残り12㌔辺りで、不思議と力がみなぎってくる。ようやく入った待望のラストスイッチ。意を決してスパ-トに出る。僕の本能も、ついにゴ-ルを意識したようだ。雨の中、力を振り絞って走る。自分ではそこそこ早く走れているつもりでも、せいぜい出ていて㌔8分くらいだろうか。ゴ-ルまで9㌔、その時点で残り64分。現実的にかなり厳しい状況となってきたが、全く可能性が無い訳ではない。やれるだけはやってみようと意気込む。更に雨は強まり、土砂降りとなってきた。面白いじゃないか。
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安倍さんのお膝元
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下関駅9㌔(8:56)  ※10時ゴ-ルは厳しいが、諦めずにラストスパ-ト

関門橋が見えてきた瞬間も、記憶に残るシ-ンとなった。ここまでの長い道中を思い浮かべると、記憶に残る思い出深きシ-ンというものが僕の中に幾つか存在する。折れかけていた心の果てに見た、セブン(勝木)の明かり。闇夜を彷徨い、ようやく辿り着いた佐々木駅。そして初めて道路標識に”下関”の文字が現れたあの瞬間は、今大会を語る上で欠かせないシ-ンとなっている。ゴ-ル手前で出迎えてくれるこの関門橋は、今僕の目の前にある。そしてその全てに共通して言えるのが、”大雨”という最悪の状況。今回の大会は大半が雨だった印象がある。それを思い出させるような、最終日、ゴ-ル手前の大雨であった。
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関門橋が見えてきた
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謎の電光掲示  ※後3㌔、ということか

ここがあの有名な、壇之浦か。市街地へと近付くにつれ、交通量が増えてきた。雨は激しさを増す一方だが、ここでバックのカバ-を外す。もうバックが濡れようが構わない。僕はここまでゼッケン8番を背負い、共に進んできた。そしてそのゼッケンを道連れとして、間もなく本州縦断の旅を終える。信号も一気に増え、赤信号に捉まる車も多くなってきた。このゼッケンを皆に見てほしい。文字が若干小さいから読み取れないかもしれないが、青森から遥々走ってきたことを是非下関の皆さんにも知ってもらいたい。ここまで辿り着いた過去のランナ-達は、皆同じ思いを抱いたのではないだろうか。俺はついにここまでやって来たんだ!、と。
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壇之浦古戦場(9:52)
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関門橋  ※北九州市門司区とを結ぶ全長1068mの吊り橋。昭和48年開通時は東洋一の長さだった
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赤間神宮

下関駅0.7㌔。既に目標の10時は回っているが、最後まで全力を尽くす。2008年発祥のこの大会において、この景色を見たランナ-は如何ほどいるのだろうか。駅へと続く階段を上がると、そこにはウイニングロ-ドがあった。この先こそが、僕がただひたすら目指し続けていた場所。これまでの辛かった出来事が走馬灯のように蘇ってくる。土砂降り、大歓迎!込み上げる感情を控えめにさらけ出し、小さく2、3度ガッツポ-ズを決めた。そして10:29、僕の長い旅は終わった。途中から目標としていた26日間には、僅か29分及ばなかった。しかし何とか30分を切ったのが、せめてもの意地だった。何はともあれ、先ずは証拠写真を撮らなければならない。ここはJR下関駅の2階出入口。ほとんど人のいない中、通りかかりの男性に写真をお願いする。しかしマスクをしていない僕にご立腹され、罵声を上げながら去っていった。そうか今はコロナ禍だったな。ここまでそんな酷い扱いは一度もされてこなかっただけに、コロナを憎んだ。その後マスクを着け、次に通りかかった青年に快く写真を撮ってもらった。
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下関駅0.7㌔(10:22)  ※いよいよ最後の瞬間が迫ってきた  
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駅へと続くウイニングロ-ド  ※これまでの出来事が蘇ってくる
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ゴ~ル!(JR下関駅、1549.5㌔)

下関駅は大きなショッピングビルになっており、Wi-fiの入る100均前のベンチでしばらく居座ることにした。先ずは主催者にゴ-ル報告をし、少し長めの感想も添える。次に、応援してくれた仲間や家族にも下関到着を報告。その後は今晩の宿を予約し、チェックインの時間までしばらく余韻に浸っていた。僕はこれまで多くの国々を旅してきた。その経験はかけがえのない財産となり、バックパックを背負っている時間こそが、僕が僕でいられる瞬間であると思っていた。今回の本州縦断は、そのどれにも勝る旅路となった。毎日尋常でないくらい辛かった。”想像を絶する”という言葉は、おそらくこの大会の為にある表現なのだろうと思っていた。途中で諦めてしまえば済む話だが、絶対にその選択だけはしたくなかった。僕はこの大会に自分の人生を重ねていた。だからこそ、途中で投げ出すということは、これまでの人生を否定するものだと思っていた。そして苦難を乗り越えた今、その反動は相当なものである。
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ホテル

こんなにも素晴らしい大会に出会えて僕は本当にラッキ-だった。今回の挑戦は、皮肉にもコロナ禍のご時世がもたらしてくれた。共に闘ってくれた13名の同志達の存在は、大会中僕の一番の支えとなっていた。皆がいたからこそ、僕も最後まで諦めず頑張れた。心の底から尊敬出来る、本物の勇者ばかりだった。旅先で出会ったその土地の人達にも随分と助けられた。優しくもてなしてくれた、小倉温泉(五城目)や玉屋旅館(柏崎)の女将。序盤くたばりかけていた時に連日応援してくれた、由利本庄の熊谷さん。地元の友人康介には、死にかける度に弱音を聞いてもらった。家族の存在は今更言うまでもない。福井のマサさんと小松さんにも辛い区間で助けてもらった。R9区間でも、名も知らぬ心優しい人々に随所で助けられた。こうした日本全国の多くの人達の応援があってこそ、僕は無事下関へと辿り着くことが出来た。この経験はおそらく僕の中で永遠に薄れることはないだろう。挑戦して本当に良かったと思う。最後までやり切ったことは、僕の大きな自信となった。そして最後に、高澤さんと西田さん・・。身を挺して辛い場面を支えてくれたこの2人がいなかったら、僕の旅は間違いなく完結しなかった。


下関ステ-ションホテル(下関市)泊


セブン(ホットコ-ヒ-100円) セブン(おにぎり梅124円、おにぎりツナマヨネ-ズ124円) KFC(チキンフィレサンドBOX900円) ゆめマ-ト(赤ワイン426円、カップ麺106円、カップ焼きそば116円、ポテチ214円) 宿(朝食付き4500円)  計6610円

| 本州縦断レ-ス2021 | 18:50 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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