エントリ-シ-トと6月の練習結果
『高校を出た後、夜間の大学に通う為4年間自衛隊に在籍していたことがあり、20歳の時、名古屋から高山までの160kmをバックを担いで、駅で寝泊まりしながら48時間かけて帰省しました。
ウォ-クマンには、ザードの『負けないで』や、爆風スランプの『ランナ-』などを入れ、奮発材料にしていました。
当時は高石ともやさんのトランスアメリカフットレ-スに漠然と憧れていました。
大学卒業後はバックパッカ-として海外を旅していましたが、憧れのアメリカをバスで横断するなどしていました。
24歳で第1子を授かり地元に戻ってからは、毎週のように山に登っていました。
29歳の時に土地家屋調査士の資格を取得し、事務所を開きました。
そして第2子が小1の時から、毎年子供を連れて海外に行くようになりました。
今ではこれが僕のライフワ-クとなり、ここ十数年、冬に子供一人を連れて(子供は全部で7人います)、1ヶ月海外を旅しています。
自衛隊を22歳で辞めてからはほとんど走ることはなかったですが、さくら道を走りたいと思い、2015年3月から走り始めました。
20歳の時に160kmを走った際、自衛隊の上司にさくら道に出ないかと誘われましたが(確か自衛隊がサポ-トしていました)、160kmでも一杯一杯だっただけに、それは無理だと断りました。
昨年迄の5年で20本の100km超(佐渡3本含む)を走りました。
タイムは遅いですが、どんな状態であれ絶対にゴールに辿り着くというのが唯一の取り柄です。
今年はコロナの影響で申し込んだ100km5本(富士五湖、野辺山、東尋坊、南砺、飛騨高山)が全て中止になり、エントリ-済で残すのは佐渡208kmのみとなりました。
本州縦断は旅好きな僕としては、これ以上ない趣旨の大会であり、いずれは絶対に出てみたいと思っていました。
そして今回スペシャル版があるということで、走るなら来春しかないと思った次第です。
全身全霊をかけて、来春に合わせてきます。
よろしくお願い致します。』
ウォ-クマンには、ザードの『負けないで』や、爆風スランプの『ランナ-』などを入れ、奮発材料にしていました。
当時は高石ともやさんのトランスアメリカフットレ-スに漠然と憧れていました。
大学卒業後はバックパッカ-として海外を旅していましたが、憧れのアメリカをバスで横断するなどしていました。
24歳で第1子を授かり地元に戻ってからは、毎週のように山に登っていました。
29歳の時に土地家屋調査士の資格を取得し、事務所を開きました。
そして第2子が小1の時から、毎年子供を連れて海外に行くようになりました。
今ではこれが僕のライフワ-クとなり、ここ十数年、冬に子供一人を連れて(子供は全部で7人います)、1ヶ月海外を旅しています。
自衛隊を22歳で辞めてからはほとんど走ることはなかったですが、さくら道を走りたいと思い、2015年3月から走り始めました。
20歳の時に160kmを走った際、自衛隊の上司にさくら道に出ないかと誘われましたが(確か自衛隊がサポ-トしていました)、160kmでも一杯一杯だっただけに、それは無理だと断りました。
昨年迄の5年で20本の100km超(佐渡3本含む)を走りました。
タイムは遅いですが、どんな状態であれ絶対にゴールに辿り着くというのが唯一の取り柄です。
今年はコロナの影響で申し込んだ100km5本(富士五湖、野辺山、東尋坊、南砺、飛騨高山)が全て中止になり、エントリ-済で残すのは佐渡208kmのみとなりました。
本州縦断は旅好きな僕としては、これ以上ない趣旨の大会であり、いずれは絶対に出てみたいと思っていました。
そして今回スペシャル版があるということで、走るなら来春しかないと思った次第です。
全身全霊をかけて、来春に合わせてきます。
よろしくお願い致します。』
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| 本州縦断レ-ス2021 | 09:30 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑