常念岳(1)~僕にとってのス-パ-アドベンチャ-
信州の名峰
、常念(じょうねん)岳。この山は僕が一番好きな焼岳と同じくらい、我が家にとってはかけがえのない名峰となっている。僕には子供が7人いるが、その分当然思い出も沢山ある。第1子(長女)とのテント行から始まり、第2子岳登、第3子穂乃花、第5子ナナと、この山で忘れがたい思い出を数多く築かせてもらった。その中でも長女とのテント行(2005.6.27)、それに年長で挑んだナナの日帰り山行(2013.7.21)が特に印象に残っているだろうか。今日の主役は我が家の次男坊主、第6子大志(小1)。昨年登る予定だったが、僕のウルトラや山が忙しくつい登りそびれてしまった。40半ばを過ぎたオッサンの1年なんて大した価値はない。それなのにたった一度きりしかない息子の貴重な年長時代を無駄にしてしまったことが、今では悔み切れないでいる。そうとは言え、この常念を小1で日帰りする子はほとんどいないだろう。大志よ!1年猶予を与えてやったんだ。常念くらい、軽く
片付けてくれよ。

長女との思い出(2005年夏) ※画像クリックで拡大
【山域】常念岳(2857m)
【日時】令和元年6月23日
【天候】晴れ
【岳人】大志(小1)、僕
前夜、道の駅堀金にて車中泊。翌朝3:15に起床し、その後登山口へと向かった。三股登山口が蝶ヶ岳への登山口であることは当然知っていた。しかし蝶槍を経由する縦走路ばかりが頭に浮かび、直接常念へと向えることは忘れていた。時折現れる看板に『常念岳』の文字があった為、そのうち三股方面とヒエ平方面に分岐するのだろうと油断していたのだ。又、目指すヒエ平も、三股同様”ほりでーゆー四季の郷”を通るものと勘違いしていたことも、ミスの一因だった。そして三股登山口も差し迫ったと思われる頃、ようやく地図を見て誤りに気付く。この出遅れはかなり堪え、このまま蝶ヶ岳に登ろうかとも、思い切って燕岳に変更しようかとさえも思った。しかし大志のやる気と体力に全てを懸け、多少下山が遅くなろうと再び出直すことに。そして今度こそ、無事ヒエ平に到着。予定より1時間弱遅れてしまったが、登山届を提出し、早速山行を開始する。

一の沢登山口(ヒエ平) ※誤って三股に向ってしまい、出発が遅れてしまった

大志久々の登山

山ノ神にお参り ※無事山行を終えれますように

雨でも行く!とやる気満々で挑む

大滝
金曜日の時点で天気予報は半分雨だったが、直前になって予報は回復し、今日は晴れ曇りの予報となった。雨でも登る気ではいるので、例え雨が降ろうと二人とも心づもりは出来ている。僕一人なら1時間で標高600mアップは堅いが、子供のペ-スなので良くて300m程だろうと目論んでいる。子供との登山はこの”標高稼ぎ”が特に重要で、僕は休憩の一番の目安としている。さすがに今日の大志はやる気満々(自称)だけはあり、滑り出しの歩き様は実に圧巻だった。普段泣き虫の大志が一切弱音を吐かず、後ろを歩く僕がそのハイペ-スを抑制する程の歩き振りだった。ここは騙し騙し一気に標高400、500mは稼ぎたかったが、さすがに大志にも次第に疲れが現れ始めた。適当に区切りのいい場所で、初めての休憩とする。

最初の休憩 ※1時間12分歩き、標高380mアップ

笠原沢

稜線が見えた ※大志は喜ぶかと思ったが、『まだあんなにも・・』と逆効果
水気の無い三股コ-スと比べ、一の沢コ-スは沢水豊富で飲み水には困らない。しかし反面、登山道に水が溢れている箇所もあり、子供が早々に靴を濡らすとロクなことはない。急な階段や岩場を一つ一つ無難にこなし、子供はバラエティ-に富んだコ-スをアスレチック感覚でそれなりに楽しんでいる。ここまで沢には丸太の橋が掛けられていたが、ここに来て渡渉箇所が現れた。大人であれば飛び石で難なくこなせるが、子供にはそうはいかない。前を行く大志に大声で注意を促したが、その忠告が川の音で聞こえなかったらしく、大志は最後の石が越えられず、両足を川にドボン。ほら言ったこっちゃない・・と僕にも叱られ、大志泣きじゃくり、ただの濡れ損となった。

渡渉 ※ここまで靴を濡らさずに順調だったが、ここで両足をドボン

山菜だろうか
しかし立ち直りの早い大志は直ぐに泣き止み、その後はしばらく順調に高度を上げていた。そんな時、再度アドベンチャ-が現れ、今度は”雪渓”という新たなアトラクションが目の前に立ちはだかった。そう言えば家で荷造りしている時、確かにアイゼンは目に入っていたが、あえて持ち込もうとは思わなかった。そのことを後悔しつつも、ノ-アイゼンで雪渓を進む。かかとの頑丈な登山靴を穿いているし、ストックもある。僕だけなら特に問題はないのだが、初めての大志は歩けば転び、一向に進めないでいる。直ぐに泣きが入り、『帰りたい・・』と言い出した。上から下りてきた単独行の青年はアイゼンを付け、アイゼンの必要性を訴えていた。しばらく大志と手を繋ぎ、支えるように登っていく。その時、ふと思った。通常雪渓は登りより下りが危険だ。登ったはいいが、果たして無事下れるだろうか・・。心配になり僕一人試しに下り、その安全性を確かめてみる。結果見た目程危うくもなく、そのまま登り続けることに。雪渓は更に上部に延びているが、ここで胸突八丁に取り付く。先程の男性は確か最終水場の辺りまで雪渓があると言っていたが、気のせいだったようだ。

想定外の雪渓出現 ※大志は泣き出すし、引き返すべきか一瞬悩んだ

無事、胸突八丁に合流

さすがにまだ6月、意外と雪は残っている
胸突八丁の高度感抜群の階段を登り、危うい高所地帯を大志の手を握り慎重に歩く。この辺り、子供だけで歩かせるのはかなりリスクが高い。ふいに再び雪渓に出た。見た目からしてこちらも危うそうに思え、やはり引き返すべきなのか・・と又も撤退が頭を遮る。しかし実際斜面に取り付くとこちらは先程のようにクレバスもないし、斜度も幾分緩やかだった。雪渓を途中まで登り詰めると、最終水場に出た。やはり先程会った単独行男性の言葉は正しかったようだ。両手をコップ代わりにして喉を潤し、汗ばんだ額を冷やす。雪解け水なのか、水はとてつもなく冷たく、何秒も手を付けていられなかった。これでもう雪渓はないようなので、取りあえずは一安心。若干帰りが心配だが、これで何とか山頂へは立てそうだ。

再び雪渓 ※やはり引き返すべきか、又も悩む

次第に慣れてきた

最終水場
この山域、森林限界がよく分からないが、腕時計が示す標高からして稜線が近付いていることは間違いない。ここまで時折思い出したように弱音を吐いている大志だったが、ここでも『もう帰ろう・・』と繰り返していた。子供との登山はいかに子供を騙し励ますかが全てであり、親にはその役割がある。結局小1とは言え、大人よりも余程体力はある。毎週のように100㌔を走っている僕ですら何故かこの山行の翌日筋肉痛になっていたが、対照的に大志はピンピンとしていた。時に厳しく、時に厳しく・・。山行を終えるまでは、僕は一切甘やかさない。子供の要求ばかり鵜呑みにしていたら、日帰り山行なんてとても出来たもんじゃない。

第1ベンチ

第2ベンチ

第3ベンチ ※もう直ぐそこなのに、泣き顔
乗越直下にあるベンチを3つ通過し、ついに稜線へと登り上げた。そこには槍穂高の絶景が、雲に隠れることなく、僕らを待っていてくれた。槍穂もまだ雪が多そうだし、夏山はもう少し先になりそうだな。梅雨時の夏山シ-ズン前と言うこともあり、普段は込み合う人気の常念だが、乗越に人の気配は全くなかった。ここまで見かけた登山者も数える程で、シ-ズン前、シ-ズン後のひっそりとした時期がやはり一番いいなと改めて実感。ここのテント場での思い出も絶えないが、久しくテント行はしていない。ここまで頑張って登ってきた大志もこの眺望にはご満悦のようだったが、道標の示す先、高く聳える常念岳を目の当たりにして、達成感は失意へと変わった。『え~、まだあんなにあるの・・、もう帰ろう・・』。ここからあの頂まで子供を騙し励まし、引き上げる。今度は僕が知恵を振り絞る番だ。

ついに着いたか

常念乗越 ※この眺望に大志も一瞬喜ぶが・・
つづく・・



長女との思い出(2005年夏) ※画像クリックで拡大
【山域】常念岳(2857m)
【日時】令和元年6月23日
【天候】晴れ
【岳人】大志(小1)、僕
前夜、道の駅堀金にて車中泊。翌朝3:15に起床し、その後登山口へと向かった。三股登山口が蝶ヶ岳への登山口であることは当然知っていた。しかし蝶槍を経由する縦走路ばかりが頭に浮かび、直接常念へと向えることは忘れていた。時折現れる看板に『常念岳』の文字があった為、そのうち三股方面とヒエ平方面に分岐するのだろうと油断していたのだ。又、目指すヒエ平も、三股同様”ほりでーゆー四季の郷”を通るものと勘違いしていたことも、ミスの一因だった。そして三股登山口も差し迫ったと思われる頃、ようやく地図を見て誤りに気付く。この出遅れはかなり堪え、このまま蝶ヶ岳に登ろうかとも、思い切って燕岳に変更しようかとさえも思った。しかし大志のやる気と体力に全てを懸け、多少下山が遅くなろうと再び出直すことに。そして今度こそ、無事ヒエ平に到着。予定より1時間弱遅れてしまったが、登山届を提出し、早速山行を開始する。

一の沢登山口(ヒエ平) ※誤って三股に向ってしまい、出発が遅れてしまった

大志久々の登山

山ノ神にお参り ※無事山行を終えれますように

雨でも行く!とやる気満々で挑む

大滝
金曜日の時点で天気予報は半分雨だったが、直前になって予報は回復し、今日は晴れ曇りの予報となった。雨でも登る気ではいるので、例え雨が降ろうと二人とも心づもりは出来ている。僕一人なら1時間で標高600mアップは堅いが、子供のペ-スなので良くて300m程だろうと目論んでいる。子供との登山はこの”標高稼ぎ”が特に重要で、僕は休憩の一番の目安としている。さすがに今日の大志はやる気満々(自称)だけはあり、滑り出しの歩き様は実に圧巻だった。普段泣き虫の大志が一切弱音を吐かず、後ろを歩く僕がそのハイペ-スを抑制する程の歩き振りだった。ここは騙し騙し一気に標高400、500mは稼ぎたかったが、さすがに大志にも次第に疲れが現れ始めた。適当に区切りのいい場所で、初めての休憩とする。

最初の休憩 ※1時間12分歩き、標高380mアップ

笠原沢

稜線が見えた ※大志は喜ぶかと思ったが、『まだあんなにも・・』と逆効果
水気の無い三股コ-スと比べ、一の沢コ-スは沢水豊富で飲み水には困らない。しかし反面、登山道に水が溢れている箇所もあり、子供が早々に靴を濡らすとロクなことはない。急な階段や岩場を一つ一つ無難にこなし、子供はバラエティ-に富んだコ-スをアスレチック感覚でそれなりに楽しんでいる。ここまで沢には丸太の橋が掛けられていたが、ここに来て渡渉箇所が現れた。大人であれば飛び石で難なくこなせるが、子供にはそうはいかない。前を行く大志に大声で注意を促したが、その忠告が川の音で聞こえなかったらしく、大志は最後の石が越えられず、両足を川にドボン。ほら言ったこっちゃない・・と僕にも叱られ、大志泣きじゃくり、ただの濡れ損となった。

渡渉 ※ここまで靴を濡らさずに順調だったが、ここで両足をドボン

山菜だろうか
しかし立ち直りの早い大志は直ぐに泣き止み、その後はしばらく順調に高度を上げていた。そんな時、再度アドベンチャ-が現れ、今度は”雪渓”という新たなアトラクションが目の前に立ちはだかった。そう言えば家で荷造りしている時、確かにアイゼンは目に入っていたが、あえて持ち込もうとは思わなかった。そのことを後悔しつつも、ノ-アイゼンで雪渓を進む。かかとの頑丈な登山靴を穿いているし、ストックもある。僕だけなら特に問題はないのだが、初めての大志は歩けば転び、一向に進めないでいる。直ぐに泣きが入り、『帰りたい・・』と言い出した。上から下りてきた単独行の青年はアイゼンを付け、アイゼンの必要性を訴えていた。しばらく大志と手を繋ぎ、支えるように登っていく。その時、ふと思った。通常雪渓は登りより下りが危険だ。登ったはいいが、果たして無事下れるだろうか・・。心配になり僕一人試しに下り、その安全性を確かめてみる。結果見た目程危うくもなく、そのまま登り続けることに。雪渓は更に上部に延びているが、ここで胸突八丁に取り付く。先程の男性は確か最終水場の辺りまで雪渓があると言っていたが、気のせいだったようだ。

想定外の雪渓出現 ※大志は泣き出すし、引き返すべきか一瞬悩んだ

無事、胸突八丁に合流

さすがにまだ6月、意外と雪は残っている
胸突八丁の高度感抜群の階段を登り、危うい高所地帯を大志の手を握り慎重に歩く。この辺り、子供だけで歩かせるのはかなりリスクが高い。ふいに再び雪渓に出た。見た目からしてこちらも危うそうに思え、やはり引き返すべきなのか・・と又も撤退が頭を遮る。しかし実際斜面に取り付くとこちらは先程のようにクレバスもないし、斜度も幾分緩やかだった。雪渓を途中まで登り詰めると、最終水場に出た。やはり先程会った単独行男性の言葉は正しかったようだ。両手をコップ代わりにして喉を潤し、汗ばんだ額を冷やす。雪解け水なのか、水はとてつもなく冷たく、何秒も手を付けていられなかった。これでもう雪渓はないようなので、取りあえずは一安心。若干帰りが心配だが、これで何とか山頂へは立てそうだ。

再び雪渓 ※やはり引き返すべきか、又も悩む

次第に慣れてきた

最終水場
この山域、森林限界がよく分からないが、腕時計が示す標高からして稜線が近付いていることは間違いない。ここまで時折思い出したように弱音を吐いている大志だったが、ここでも『もう帰ろう・・』と繰り返していた。子供との登山はいかに子供を騙し励ますかが全てであり、親にはその役割がある。結局小1とは言え、大人よりも余程体力はある。毎週のように100㌔を走っている僕ですら何故かこの山行の翌日筋肉痛になっていたが、対照的に大志はピンピンとしていた。時に厳しく、時に厳しく・・。山行を終えるまでは、僕は一切甘やかさない。子供の要求ばかり鵜呑みにしていたら、日帰り山行なんてとても出来たもんじゃない。

第1ベンチ

第2ベンチ

第3ベンチ ※もう直ぐそこなのに、泣き顔
乗越直下にあるベンチを3つ通過し、ついに稜線へと登り上げた。そこには槍穂高の絶景が、雲に隠れることなく、僕らを待っていてくれた。槍穂もまだ雪が多そうだし、夏山はもう少し先になりそうだな。梅雨時の夏山シ-ズン前と言うこともあり、普段は込み合う人気の常念だが、乗越に人の気配は全くなかった。ここまで見かけた登山者も数える程で、シ-ズン前、シ-ズン後のひっそりとした時期がやはり一番いいなと改めて実感。ここのテント場での思い出も絶えないが、久しくテント行はしていない。ここまで頑張って登ってきた大志もこの眺望にはご満悦のようだったが、道標の示す先、高く聳える常念岳を目の当たりにして、達成感は失意へと変わった。『え~、まだあんなにあるの・・、もう帰ろう・・』。ここからあの頂まで子供を騙し励まし、引き上げる。今度は僕が知恵を振り絞る番だ。

ついに着いたか

常念乗越 ※この眺望に大志も一瞬喜ぶが・・
つづく・・
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