僕等親子の他にメクネスを目指す乗客は、地元風の男性1人しかいない。
遅れてやって来た女性2人組のツ-リストは、聞いたことのないどこか別の町に向かうようだ。
そして、6時20分。
メクネス行きはもう来ない・・、理不尽なこの最終宣告がバス係員から僕等に告げられた。
チケットを売っておいて、そりゃないだろう。
バスの運転手に言われるがまま、唯一始動しているバスに急遽乗り込むことになる。
しかし、このバスの行き先は分からない。
ただ、僕等がメクネスに行きたいということは、この運転手に確実に伝わっている。
僕がバスに乗り込む瞬間、女性ツ-リストの一方と短いやり取りがあった。
このバスはメクネスに行くのか・・と訊かれ、即座に僕はこう言った。
メイビ-・・。
女性ツ-リストは少し心配顔で微笑み、旅立つ僕等を優しく見送ってくれた。
グッド・ラック!
昨日チケットを買った時点では、バスで4時間も眠ればメクネスだ・・と安易に考えていた。
しかし現実はそう甘くはなかった。
車内は暗く、本も読めない。
その上車内は寒く、眠りにも集中出来ないときた。
一体このバスはどこへ行き、そこまで何時間かかるのか、その一切が謎のままだ。
ただ目的地を共有する道連れがいることだけが、メクネスへ行ける可能性を残している。
バスは数度、どこかの町に立ち寄り、約3時間後、どこかの町に到着した。
ここでチケットを買い直し、いよいよメクネス行きのバスに乗ることとなった。
車窓から眺める広大な草原を目で追っているが、頭の中は不安で、気持ちにゆとりがない。
停車したどこかの町
サンドイッチバスは2時間走り、道端に停車した。
乗客の半分も降りようとはしなかったが、どうやらここがメクネスらしい。
後で知ったが、降りた場所は新市街であった。
道を尋ねながら、取りあえず旧市街の中心エディム広場を目指して歩く。
宿を探すにしても、まずは自分達の現在地を把握しなければならない。
しばらく歩き、最初に目に入ったホテルに飛び込んだ。
ダブル100DH。
部屋を見せてもらうが、悪くない。
ここに即決した。
安宿この宿が町のどの辺りに位置するのか、この時はまだ知る由もない。
目標とする午前中には無事宿を確保出来、これで僕等も晴れて町の人となった。
ホテルの隣には安いカフェがあり、道路向かいには安そうな食堂もある。
コ-ヒ- ※この苦みがいい
マルガリ-タ ※美味いけど全然足りないメクネスの最盛期は17世紀、アラウィ-朝のム-レイ・イスマイルの時代まで遡る。
古い建物を全て取り壊し、数多くの城壁や門、モスク等を建設。
この王は、ルイ14世のヴェルサイユ宮殿に対抗し、豪華な王国を造ろうした。
しかし首都としては半世紀しか続かず、町はやがて衰退していく。
王都への入り口となる、マンス-ル門。
ム-レイ・イスマイルが手がけた最後の建築物で、彼の死後1732年に完成した。
巨大なこの門は、古都メクネスの象徴である。
マンス-ル門クベット・エル・キャティン。
ここは、かつてム-レイ・イスマイルが外国大使と接見する為に使われていたという。
今では中に何もなく、当時の面影に触れることは出来ない。
要人を迎えた接見の間キリスト教徒の地下牢。
異教徒のキリスト教徒を弾圧する為に造られた広大な地下牢で、かつて4万人もの囚人がここで鎖につながれていたという。
その後は穀物倉庫としても使われていた。
天窓を兼ねる通気口
当時は真暗闇だったム-レイ・イスマイル廟。
壮大な王都建設を夢見て、その完成を待たぬままこの世を去った王、ム-レイ・イスマイル。
マンス-ル門と共に、この町の重要な見所となっている。
彼の遺体が安置されている部屋には、非ムスリムは足を踏み入れることは出来ない。
ム-レイ・イスマイル廟
この中(写真中央)で王が眠る風の道。
リフ門を抜け、高い壁で挟まれた道を進んで行く。
右側の壁の向こうには王宮が広がり、過剰なほどの厳重な警備がなされていた。
風の道ヘリ・スアニ。
ここは古い貯水槽と穀物倉庫から成り、水は40mもの地下から汲み上げられているという。
試しに小石を落としてみたら、数秒後、水の音が届いた。
ヘリ・スアニアグダルの貯水池の脇を通り、城壁沿いに進み、エディム広場へと戻ってきた。
この広場は観光客相手の店ばかりで、レストランは洒落た面構えをしているが、値段は高い。
ユダヤ人街方面には露店や屋台が多く、こちらは庶民が対象。
熱気もすごく、屋台をハシゴしながら食べ歩くのが実に楽しい。
エスカルゴ(かたつむり)、初めて味わうこの食材。
味は通常の貝とたいして変わらないが、爪楊枝でほじくり出して食べるという、その行為自体を楽しむような料理である。
これが意外にも難しく、上手く引き抜かないと途中で千切れて、身を奥底に残すことになる。
てんこ盛りの器とともに、茹でた時の煮汁も別の器で出てくるのが嬉しい。
煮汁は胡椒が利いていてとても美味しく、体も芯から温まる。
僕は煮汁の方が好きで、2、3杯は必ずお代わりをするくらいだ。
タジン鍋
さらし首
人ごみ
部屋での日課
たぶん、同席してきた物乞い少年のハリラ代も払わされている一つの町に慣れた頃、次の日、或いはその翌日にはその町に別れを告げなければならない。
そして再び、移動に宿探し。
毎度同じ難題にぶつかり、僕等は常に不安を抱えている。
気の休まる日は、連泊の日くらいだろう。
しかし、僕は知っている。
一つでも多くの町を精力的に訪れた方が、後々絶対に後悔しないことを・・。
だから僕は今日も明日も攻め続けるのだ。
メクネス・ホテルAGADIR泊-100DHバス代一部返却(-40DH) バス(どこかの町~メクネス10DH×2、荷物大1DH、トイレ0.5DH) サンドイッチ(5DH) 宿代(100DH) コ-ヒ-(5DH) 昼食(ピザ27DH) 地下牢(10DH、子供フリ-) ポストカ-ド(2DH×3) ヘリ・スアニ(10DH、子供フリ-) 屋台(エスカルゴ5DH) ミカン(2kg4DH) 屋台(ポップコ-ン1DH) 夕食(タジン25DH×2、ハリラ3DH×2) 計219.5DH