今こそ政治だ~渚山
平成23年3月11日発生の未曾有の大災害。日本の長い歴史の中では幾度となく起こっているようだ。世間では自粛ム-ドがかなり広がっているが、飲食業や観光業に係っている方々にとって地震、津波、原発に続く4次災害にならないよう願わなければならない。福島原発での危険な作業は今尚続いているが、本当に大変なのは今更言うまでもなく復興後のこれからだ。どれだけ個人の力で募金や節電をしたとしても、今回の被害状況では到底及ばない。今こそ、頼るべきは政治の力。何とか国の力で被災者の笑顔を少しでも多く取り戻して欲しい。僕等日本国民にはその準備は出来ています。
【山域】渚山(1077m)
【日時】平成23年3月27日
【天候】晴れ
【岳人】穂乃花(小3)、僕
神明神社(8:58) 憂鬱な休日、近場の山を目指してみた。高山方面から国道41号線を南下。久々野町渚を過ぎ下呂市小坂町へと入る。”ドライブイン としちゃん”を過ぎ、直ある橋を渡ると岩崎地区。その神明神社が渚山への起点となる。神社の前に延びる舗装道を4分程進み、熊崎邸の右脇に中電の鉄塔案内板(No.23)を見つけた。個人の敷地のような畑の脇を遠慮がちに通り、案内板から5分程で”電サク注意”の看板があり、水路に沿って緑色のロ-プ柵が張り巡らされている。鹿や猪等動物の進入防止の策のようだ。柵を跨ぎ、水路を跨ぎ、山道を登って行く。

神明神社

熊崎邸の右脇が中電巡視路(No.23)の始まり ※看板あり

電柵を跨ぎ、水路を跨ぎ、山に入る
No.23鉄塔(9:44、9:53) たまに山道が分岐している箇所もあるが、目印もあり迷う程でもない。第一関門のNo.23鉄塔が見えてきた。ここからの眺めは良くないが、ここから少し進み振り返ってみると、飛騨の主要道である国道41号線と周囲に広がる長閑な山間の集落が眼下に広がって見えた。

No.23鉄塔と国道41号線

巡視路を行く
No.22鉄塔(10:04) No.22鉄塔はNo.23鉄塔より直に現れた。ここ2、3日降り続いた雪は比較的暖かい南飛騨にも積もっていたが、巡視路はとても分かり易く心配はない。勾配の強い山道に少し踏ん張り、雪面を慎重にトラバ-スすると何やら案内板が2箇所目に付いた。

No.22鉄塔

鉄塔案内板

急勾配を登り切り

斜面を巻く
鉄塔案内板が2箇所(10:43) 鉄塔案内板が2箇所。一つはNo.22とNo.21の分岐標識、そしてもう一つはNo.20とNo.19の分岐標識。No.21鉄塔は無視し、取り合えずNo.20鉄塔へ向かってみるとする。雪面にズボズボはまり根気に歩いていると、ブル-シ-トでも踏ん付けているのか、サクサクとした音が響いてきた。雪を掘り起こし確かめてみると、その正体は笹の葉であった。

鉄塔案内板が2箇所 ※これはNo.20とNo.19の分岐標識の方
No.20鉄塔(10:49) 登り切ると光り輝く純白の新雪が一面に広がっていた。兎だろうか、動物の足跡が彼等の領域を示していた。No.20鉄塔からは眼下に町並みが広がって見えたが、ここがゴ-ルではなさそうだ。広い山頂部に見えるもう一つの鉄塔を目指し、再びズボズボと穴を開け歩く。

No.20鉄塔

山頂を探し、No.19鉄塔を目指す ※左の足跡も自分達のもの

君は誰
渚山(10:54) 山頂では三等三角点がごつい頭を出し、山頂プレ-トも後方の木にくくり付けられていた。雲は多いが、御嶽山も良く見える。No.19鉄塔は山頂から僅かな距離にある。ここからはアンテナ群に支配された可哀想な位山三山の一つ船山が良く望め、送電線はNo.18、17鉄塔へと続いているようだった。山頂は寒く、湯を沸かす炎に手を寄せ暖を取った。火力が妙に弱く、沸点に達しないお湯で飛騨高山ラ-メンを作り、今日も餅とソ-セ-ジを入れて食べた。三角点の石標を囲む石に座っているのだが、槍ヶ岳のように尖っており尻が非常に痛い。

船山とNo.18鉄塔へと続く送電線

三等三角点

御嶽山

山頂プレ-ト
渚山(12:44) 昼食を済まし、コ-ヒ-やス-プを飲み終えたところで山頂を発つとする。気温が上がってきたのだろうか、行きに多かった雪は随分と溶けている。穂乃花は風邪でも引いているのか、終始青鼻を垂らしながら歩いていた。

巨石

町が見えてきた ※No.23鉄塔上部
神明神社(13:36) 神社横の公園脇に停めておいた車まで戻り着替えをしていると、集落の老人に声を掛けられた。『釣りですか・・』。その問いかけにも驚いたが、渚山の存在は地元の長老にも知られていなかった。東京電力を含め電力会社は今最も大変な時期に境遇している。しかし、誰も知らない誰も行かない山の奥深くにまで鉄塔や送電線を張り巡らせているその努力には敬意を称さなければならない。

岩崎のイチョウ
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【山域】渚山(1077m)
【日時】平成23年3月27日
【天候】晴れ
【岳人】穂乃花(小3)、僕
神明神社(8:58) 憂鬱な休日、近場の山を目指してみた。高山方面から国道41号線を南下。久々野町渚を過ぎ下呂市小坂町へと入る。”ドライブイン としちゃん”を過ぎ、直ある橋を渡ると岩崎地区。その神明神社が渚山への起点となる。神社の前に延びる舗装道を4分程進み、熊崎邸の右脇に中電の鉄塔案内板(No.23)を見つけた。個人の敷地のような畑の脇を遠慮がちに通り、案内板から5分程で”電サク注意”の看板があり、水路に沿って緑色のロ-プ柵が張り巡らされている。鹿や猪等動物の進入防止の策のようだ。柵を跨ぎ、水路を跨ぎ、山道を登って行く。

神明神社

熊崎邸の右脇が中電巡視路(No.23)の始まり ※看板あり

電柵を跨ぎ、水路を跨ぎ、山に入る
No.23鉄塔(9:44、9:53) たまに山道が分岐している箇所もあるが、目印もあり迷う程でもない。第一関門のNo.23鉄塔が見えてきた。ここからの眺めは良くないが、ここから少し進み振り返ってみると、飛騨の主要道である国道41号線と周囲に広がる長閑な山間の集落が眼下に広がって見えた。

No.23鉄塔と国道41号線

巡視路を行く
No.22鉄塔(10:04) No.22鉄塔はNo.23鉄塔より直に現れた。ここ2、3日降り続いた雪は比較的暖かい南飛騨にも積もっていたが、巡視路はとても分かり易く心配はない。勾配の強い山道に少し踏ん張り、雪面を慎重にトラバ-スすると何やら案内板が2箇所目に付いた。

No.22鉄塔

鉄塔案内板

急勾配を登り切り

斜面を巻く
鉄塔案内板が2箇所(10:43) 鉄塔案内板が2箇所。一つはNo.22とNo.21の分岐標識、そしてもう一つはNo.20とNo.19の分岐標識。No.21鉄塔は無視し、取り合えずNo.20鉄塔へ向かってみるとする。雪面にズボズボはまり根気に歩いていると、ブル-シ-トでも踏ん付けているのか、サクサクとした音が響いてきた。雪を掘り起こし確かめてみると、その正体は笹の葉であった。

鉄塔案内板が2箇所 ※これはNo.20とNo.19の分岐標識の方
No.20鉄塔(10:49) 登り切ると光り輝く純白の新雪が一面に広がっていた。兎だろうか、動物の足跡が彼等の領域を示していた。No.20鉄塔からは眼下に町並みが広がって見えたが、ここがゴ-ルではなさそうだ。広い山頂部に見えるもう一つの鉄塔を目指し、再びズボズボと穴を開け歩く。

No.20鉄塔

山頂を探し、No.19鉄塔を目指す ※左の足跡も自分達のもの

君は誰
渚山(10:54) 山頂では三等三角点がごつい頭を出し、山頂プレ-トも後方の木にくくり付けられていた。雲は多いが、御嶽山も良く見える。No.19鉄塔は山頂から僅かな距離にある。ここからはアンテナ群に支配された可哀想な位山三山の一つ船山が良く望め、送電線はNo.18、17鉄塔へと続いているようだった。山頂は寒く、湯を沸かす炎に手を寄せ暖を取った。火力が妙に弱く、沸点に達しないお湯で飛騨高山ラ-メンを作り、今日も餅とソ-セ-ジを入れて食べた。三角点の石標を囲む石に座っているのだが、槍ヶ岳のように尖っており尻が非常に痛い。

船山とNo.18鉄塔へと続く送電線

三等三角点

御嶽山

山頂プレ-ト
渚山(12:44) 昼食を済まし、コ-ヒ-やス-プを飲み終えたところで山頂を発つとする。気温が上がってきたのだろうか、行きに多かった雪は随分と溶けている。穂乃花は風邪でも引いているのか、終始青鼻を垂らしながら歩いていた。

巨石

町が見えてきた ※No.23鉄塔上部
神明神社(13:36) 神社横の公園脇に停めておいた車まで戻り着替えをしていると、集落の老人に声を掛けられた。『釣りですか・・』。その問いかけにも驚いたが、渚山の存在は地元の長老にも知られていなかった。東京電力を含め電力会社は今最も大変な時期に境遇している。しかし、誰も知らない誰も行かない山の奥深くにまで鉄塔や送電線を張り巡らせているその努力には敬意を称さなければならない。

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| '11山行記録 | 08:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑