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第4回能登半島すずウルトラマラソン(4)~魂のゴ-ル


・・前回の続き


無事、狼煙を通過した。ここまで80km以上もの長い道のりを共に走ってきたランナ-達。しかしこの狼煙関門で、44名のランナ-が落とされた。『関門』はランナ-の前に厳しく立ちはだかり、どれだけまだ余力が残っていても、関門時刻を過ぎた者はその先には進めない。それどころか、時間を越え関門に辿り着いても、その計測すらしてもらえない。ちなみに第1関門の千枚田(45㌔)で落とされたランナ-は4名、第2関門の曽々木(58㌔)では13名、第3関門の自然休養村(73㌔)では48名のランナ-が関門時刻に間に合わず、リタイヤを余儀なくされた。

狼煙を通過した僕は、次の関門を目指し最後の踏ん張りを続けている。ここまで未知の領域を進んできて、自分でも驚くほど脚は動いてくれている。足裏のマメは若干痛むが、気合いが勝りそれ程気にはならない。脚は全般的に疲労しているが、ロキソニンの効果があるようで致命的な痛みはまだ現れていない。ふくらはぎは順調だし、故障中の右足甲、左足中指の痛みも今のところ出ていない。大会直前に患った風邪の症状も僕の意気込みに吹き飛ばされたようだ。次の本エイドの関門には、まず間に合うだろう。それについて疑いはない。ここで肝心なのが、何時にそこに着くか・・だ。

本エイドを越えた先、ゴ-ルへは19時までに入らなければならない。従って本エイドに門限ぎりぎり(18:10)で入っていたようでは、その先余程真剣に走らないとゴ-ル制限には間に合わない。本エイドには最悪18時、出来ればその10分前くらいには何とか着いておきたい。そうすれば10分弱で1km走り、最後の1時間で残り5km。全て歩いても、充分間に合う安全圏だ。92㌔地点の第22エイド(寺家)に着いた。温かい豚汁は疲れ果てた心身の奥底に染みわたり、美味しく2杯頂いた。 時間はあまりない。誰もがそれは承知するところで、皆長居することなく直ぐにエイドを発っていく。17時半を過ぎると、辺りは闇に包まれた。ヘッドライトとタスキは、狼煙エイドで受け取っている。ランナ-は前後に点々とし、ヘッドライトの明かりが自分の足元を照らしている。第5関門の本エイド(96㌔)の関門に到着。問題は、その到着時が何時か・・だ。到着は17:53。何とか狙い通りの展開に持ってこれた。狼煙からこの本エイドまでの走りが、今回一番の勝負どころだった。
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90㌔通過(16:55)  ※上段は102kmの部、下段は62kmの部
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第22エイド(寺家)  ※豚汁が最高でした
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可愛いワンちゃん
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95㌔通過(17:43)
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第5関門 本エイド(96㌔)  ※12時間52分で根性の通過、関門閉鎖まで残り18分

夜のエイドはとても寒い。こうして夜半まで携わってくれるボランティア、関係者の方々には本当に感謝しかない。せめてその報いに応える為にも、選手としては精一杯最後まで奮闘するだけだ。長い旅もようやく終焉に近づいている。闇の街道を、荒い息を立て走る。ただ『走る』という単純な行為でも、これだけ長距離になると、何とも神聖な気分になってくる。これが”ランナ-ズハイ”なのだろうか。僕の頭の中では、残りの㌔数と残り時間が互いに連動している。後何㌔を何分で・・。並走するランナ-は『もう歩いても間に合いますよ・・』と言っていたが、僕は歩かない。周りのランナ-もそれは同じようで、ここから歩いたとしてもゴ-ルはほぼ確実なのだが誰も最後まで手を抜かない。皆ゴ-ルの瞬間まで、走る姿勢を貫いている。結局は完走出来る者とそうでない者の違いはここなんだろうと思う。ウルトラランナ-は最後まで絶対に諦めないし、手を抜かない。今ある最善の力を尽くし、ゴ-ルの扉を自力でこじ開ける。歩きたいな・・、でも歩かない。ちょっとくらいいいだろう・・、いやもう少しの辛抱だ。僕も心の葛藤を繰り返す。そして終に、嬉しい掛け声が響いてきた。ラスト150m!初めて挑んだ、僕のウルトラマラソン。今こうして長い旅は静かに終わった。
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ラスト5km(17:59)                      ラスト3km(18:16)
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第24最終エイド(正院)                    ラスト1km(18:34)

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旅の終わり
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魂のゴ-ル! 

最後まで走る姿勢を貫けた。感動的なゴ-ルシ-ンのはずが、不思議と涙は出なかった。嬉しさもあまりなく、安堵感の方が大きい。一つ大きな仕事を片付けたような、そんな気分だった。しかし今も尚、闘っているランナ-はまだ大勢いる。続々とランナ-が晴れてゴ-ルに辿り着き、最高の余韻に浸っていた。そして制限時間7分前、最高齢のゼッケン1番が昨年に引き続き見事ゴ-ル。御年77歳。凄すぎて、言葉もない。この大会は年齢順にゼッケン番号が割り振られているのが特徴だ。35年後、第39回能登半島すずウルトラマラソンで、僕はゼッケン1番でこの場所に立っていたい。カウントダウンが始まり、制限時間を迎えた。第4回能登半島すずウルトラマラソンは、こうして幕を閉じた。本エイドを関門時刻ぎりぎりで通過した後、ゴ-ルに間に合わなかったランナ-が2名。同じ距離を走ってきた者として、その無念は人ごとではない。僕自身もこの最悪のシナリオが常に頭の片隅にあり、最後まで気を抜けなかった。全ての関門を突破しゴ-ルに辿り着いたとしても、14時間を超えたということで記録すら出ない。完走証も完走メダルも貰えず、結局はリタイヤ扱いされてしまう。何とも無情な気もするが、努力に比例することも確かだろう。
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ゴ-ル後のソバが嬉しい                   足裏は悲惨なことに
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肩や脚は汗が塩になった


第4回能登半島すずウルトラマラソン

距離:102km
時間:13時間42分52秒
順位:235位/403人(男子) 
完走率:68.9%(278人)
経過:上黒丸26km(2:33:58)、千枚田42km(4:43:56)、曽々木58km(6:35:57)、自然休養村73km(9:06:06)、狼煙灯台86km(11:14:47)、本エイド95km(12:52:58)、100km(13:26:28)


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| 2015 | 15:05 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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第4回能登半島すずウルトラマラソン(3)~第4関門狼煙まで

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心地良い海岸線
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曽々木海岸 窓岩


・・前回の続き


第2関門曽々木エイドで元気をもらい、海岸沿いをひた走る。この辺りには特徴のある奇岩が多く、走っていて飽きることがない。潮の香りが心地良く漂い、こういう道だったら何キロだって走れそうだ。この先、3つのトンネルを抜けていく。今日一日左車線はランナ-用として開放され、車は片側交互通行。地元の方々の応援もそうだが、こういったところで、町を挙げての一大イベントなんだと改めて実感する。珠洲は塩が有名なようで、『塩街道』や『揚げ浜塩田』といった表記が海岸沿いに目立つ。塩田(えんでん)村に入ると、揚げ浜式製塩という500年前の製法を受け継ぐ塩田が随所にあり、木の棒で均す作業風景が一際目を引いた。この珠洲の揚げ浜塩田は、NHKの連続テレビ小説『まれ』の舞台ともなっており、観光客の姿も多かった。時折ランナ-と雑談を交わし、我慢の走りを根気よく続けていく。
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トンネル1つ目                          60㌔通過(12:01)
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塩街道                              トンネル2つ目  ※選手は直進
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海の民                              『まれ』の舞台
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第15エイド(塩田村)                      狼煙23km
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65㌔通過(12:51)                      トンネル3つ目
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揚げ浜塩田
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第16エイド(大谷)
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禄剛崎16km                          70㌔通過(13:36)

少しの間、前後に誰もいない一人旅が続き、道を間違えでもしたかと心配になってきた。そんな頃、ようやく第3関門に到着。ここは73㌔地点の自然休養村。スタ-ト前に預けておいた着替えや後半用のサプリ等をここで受け取る。結局、上下の着替えも靴の交換もしなかったが、靴下のみ新しいものに穿き替えた。既に足にはマメが出来ており、関わるとロクなことがないので、無視することに決めている。ワラ-チで走っている黒田青年が横の椅子に座った。前半少し並走した際、初めて見るワラ-チについて興味本位から幾つか尋ねていた。その時このエイドで2足目に履き替えるといっていたが、結局1足目で最後まで通すようだ。よくこんなサンダルで走れるもんだと、感心せずにはいられなかった。子供達の和太鼓の演奏が、心の奥底に行き届く。温かい味噌汁や珠洲塩で握ったおにぎりは、とても美味しかった。ここでは足のマッサ-ジ(フットケア)のサ-ビスもあるが、この時間帯のランナ-にはそんな時間的猶予はない。休憩も程々に、走り始めようと沿道に出る。法被姿の少女達が横1列に並び、ハイタッチを求めてきた。なんという素敵な子供達なんだ・・、僕は一瞬泣きそうになった。
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ゴジラ岩
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大崎島
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第3関門 自然休養村(73㌔)  ※9時間6分で通過、関門閉鎖まで残り64分
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第17エイド(自然休養村)  ※温かい味噌汁や能登米の塩おにぎりが嬉しい
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75㌔通過(14:32)                      第18エイド(高屋)  ※オロナミンCは直前で完売

そして、ついにラケット道路が現れた。道路のカ-ブがラケットに見えることから、この名前が付けられた(微妙だが・・)。ここはレ-ス終盤、かつ本コ-ス最大の難所で、海抜0mから120mまで一気に上りあげる。レ-ス前半であれば別に大した高低差ではなく、僕が平日朝走っているコ-スの方が余程高低差はある。しかしこの段階での上りは確かに辛い。しかし今日の僕には後半の上りに恐怖心はない。上りは脚休めを兼ね、歩くことに決めているからだ。だから、ようやく休める・・と逆に嬉しい気分で向い入れられる。走りたくても走れないという非力さの裏返しなのだが、この辺りのランナ-は皆同じ作戦を採っている。時折颯爽と走り去っていくランナ-を見ると、どこにそんな馬力が残っていたのだと感心してしまう。早足で歩きながら先の見えない上りを進んでいると、右前方にカメラマンの姿が見えた。そうかここが撮影ポイントなのかと空気を察し、僕は無理して走り始めた。その後又早歩きに切り替え、何とか峠のエイドに到着。先程のエイドでは残念ながら1歩及ばず飲み損ねていたオロナミンCは、このエイドでは残り2本で何とか間に合った。少しだけ元気をもらい、峠からの下りにかかる。
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ラケット道路の登場
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一番辛い場所でカメラマンが待機
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第19エイド(椿峠)  ※オロナミンCはラスト2本だった

上りで歩くランナ-達も、下りになった途端に走り出す。皆勝負どころはわきまえているようだ。後半の上りも走れるようであれば11時間、12時間台でゴ-ル出来るのだろうが、こうして後半の上りを歩くランナ-は必然的に制限時間との闘いとなってくる。しかしそれでも最後まで走る姿勢は崩さず、歩きは極力最小限。里に下り、狼煙がだんだんと近付いてきた。狼煙手前の第20エイド。このエイドのことは覚えている。確か動画の出崎さんは、時間に追われここは素通りしていたな。しかし今の僕には若干の余裕がある。不気味なカカシの間をすり抜け、ついに狼煙を射程圏内に捉えた。85㌔標識を越え、その先で人の声が聞こえてきた。禄剛崎灯台へはここから急斜度の坂道を上っていかなければならない。観光客に混じり、手すりを頼りにゆっくりと上っていく。そして白亜の灯台の手前で関門をクリア。関門閉鎖まで26分と、時間的余裕は既にない。折り返すように灯台を周回し、来た道を戻る。下りも急過ぎて走れない。道の駅に併設された、第21エイド(狼煙)。楽しみにしていた能登牛カレ-はなく残念だったが山菜丼を2杯食べ、いよいよ最後の関門目指しスタ-トを切った。
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80㌔通過(15:22)                      禄剛崎4km
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第20エイド(川浦)                       道の駅狼煙1.5km先  ※多くの案山子さん
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85㌔通過(16:05)                      灯台に向けて最後の急登
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第4関門 禄剛崎灯台(86㌔)  ※11時間14分で無事通過、関門閉鎖まで残り26分
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道の駅 狼煙(のろし)



つづく・・

| 2015 | 17:15 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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第4回能登半島すずウルトラマラソン(2)~大会当日、第2関門曽々木まで


・・前回の続き


平成27年10月18日、第4回能登半島すずウルトラマラソンの当日を迎えた。熟睡とは程遠い車中泊。セットしたアラ-ムに頼ることなく、2時前には目が覚めた。昨夜痛めた腰の痛みは、残念ながら良くなってはいない。3日前にこじらせた風邪は一応は治まったようで、これには安堵した。前週は結局一日たりとも走らず、完全休養を貫いた。しかし右足甲、左足中指の痛みは全く引いていない。多くの不安要素を全部まとめて封印するかのように、ロキソニンSを1錠早々と投入。歯医者で使われる薬として有名だが、関節痛や筋肉痛、頭痛等にも利くという優れものだ。こんな真夜中だというのに、動き出している人もいる。きっと今日の参加者だろう。何かとお金のかかるウルトラマラソン、僕と同じように道の駅で前夜を過ごす質素ランナ-も多少なりはいるようだ。

第1駐車場となるラポルトすずに着くと、既にシャトルバスが停まっていた。早速バスに乗り込むと、直ぐに発車。行く先は珠洲健民体育館。ここが本日のスタ-ト、ゴ-ル地点となる。体育館では当日受付も行われており、選手達が各々最終準備に取り掛かっていた。早速僕も床に腰を下ろし、73㌔エイドへの預け荷物、町野エイドへの食料を各々袋に詰めていく。昨日与えられたゼッケンはTシャツの前面と、ランザックの後面に安全ピンで留めた。朝食にはおにぎりとバナナを腹に詰め、アミノ酸と胃薬も道の駅で飲んできた。今日は究極の消耗戦。体にエネルギ-がなくなったら、前には進めない。随所で栄養を補給し、その養分は効率よく使うのだ。ストレッチを済ませた後、トイレの行列に並んでいたらスタ-ト5分前に迫ってきた。こりゃヤバい、と急いでゲ-トへと向かう。既に開会式は行われており、宇宙人2人が壇上に上がってきた。そして何故かにしおかすみこも壇上に。どうせ誰かが物真似でもしているのか・・・くらいにしか思っていなかったが、ゴ-ル後恐ろしい事実に衝撃を受ける。・・5、4、3、2、1とカウントダウンが始まり、ついに長い旅の幕が開けた。
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健民体育館                           スタ-ト直前  ※スタ-トは朝の5時

この時期、5時ではまだ辺りは真っ暗。選手達は各々ヘッドライトを頭に着け走っている。僕は登山用のものを使用しているが、新品だと思っていた電池が調子悪い。本体は一応2つ持ってきているが、原因は電池にあるようだ。その為使いかけの電池にて、今日の朝晩を凌ぐしかない。そんなこともあり、電池の節約作戦に出た。実際明かりを点けなくても、これだけ周りにランナ-がいれば誰かしらの明かりが僕の足元を照らしてくれ、あまり不便さは感じない。昨日訪れた見附島手前で、宇宙人達と擦れ違う。彼等を見たのは、これが最初で最後。何故なら彼等はかなりの強者で、結局千枚田の折り返しでも見かけなかった。見附島でヘッドライトを預け、タスキも回収。既に辺りは朝の光を取り戻している。
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見附島(8㌔)                          71歳のス-パ-ランナ-(月600㌔は凄すぎ)
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エイドで即座に栄養補給                   古民家を横目に

このウルトラマラソン、何故102㌔なのだろう・・。ずっと、そう思っていた。しかし昨日の説明会曰く、奥能登の全ての観光名所をくまなく盛り込むとどうしてもこうなるのだと言う。最後の2㌔は本当に辛いのだろうなと容易に想像もつくが、確かに初めて遠路訪れた者には大変魅力的なコ-ス設定である。しかし今は肝心な前半の入りの部分、呑気に立ち止まってはいられない。写真も走りながら撮るか、立ち止まって瞬時に撮るかのどちらかだ。この辺りではセ-ラ-服姿の女性ランナ-と並走していたが、彼女もやはり速く、その後見かけることはなかった。坂の上り口に第7エイドが見えてきた。オロナミンCを一気飲みし、八太郎峠へのコ-ス最大の上りに差し掛かる。まだ前半も前半、上りで歩くなんて発想はなく、実際誰も歩いてはいない。さすが皆、100㌔に挑むランナ-ばかりだ。サブ10ペ-スで30㌔を越えた。自分にしてはまずまずのペ-スだ。峠の頂上で輪島市に入る。随分昔、子供がまだ2人か3人だった頃に家族旅行で来たことがある。
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秋の風景が美しい
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第7エイド(八太郎峠)
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30㌔通過(8:02) ※ここまで一応サブ10ペ-ス    輪島市へ

そしてしばらく下り、里に出た。何やら威勢のいい掛け声が聞こえる、エイドのようだ。そこはボランティアの方が自費で設置しているエイドのようで、有り難く飲み物を頂いた。その先に目指す町野エイドがあった。ここは往路36㌔と復路54㌔を兼ねるエイドで、今大会から自分専用の荷物(使い切りの食料のみ)を預けることが可能となった。僕はゼリ-飲料とバナナ、コ-ラを2回分預けておいた。今日の養分摂取として、1時間おきに塩熱サプリ、2時間おきにアミノバイタルプロ、そして適時クエン酸を摂っている。しかし各エイドでの滞在時間は周りと同じように数秒で済ましている為、ザックから呑気に取り出している猶予はない。走りながらザックを空け、エイド到着と同時にサプリを数秒で流し込む。これはかなり面倒で、次回以降は対策が必要だ。
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ようやく里に下りた                       第8エイド(町野)

町野エイドを出ると、ここからは舟木谷峠への辛い上りとなる。ここで是非ともお会いしたかった、PJO動画の出崎さんを発見。しばらく横に並び雑談しながら快走する。狼煙の無念は僕も察するところで、昨年はプレッシャ-から腹の調子を崩し、結果的に30分トイレにロスしたのだという。高山や白山を完走した脚力でも、この大会には3度破れている。里に下り、狭い路地を駆け抜け、海に出た。そう、ここは日本海。既に千枚田を折り返してきた選手達と擦れ違う。千枚田関門は折り返しポイントの少し手前にあった。千枚田折り返しは撮影ポイントでもあるが、ここでのチェックがないのは何故だろう。関門を越えて折り返しに行かずとも、気付かれないような気もする。でもそんなセコイことをする人は、わざわざ100㌔も走ろうと思わないか。誰も絶対に見ていない、そしてそこに自転車がある・・。それでも間違いなく、皆走るだろう。
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舟木谷峠への辛い上り                    40㌔通過(9:11)
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第10エイド(名舟)                        狭い生活路を駆け巡る
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初めて海とご対面  ※既に千枚田を折り返したランナ-達と擦れ違う
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第1関門 千枚田(45㌔)  ※4時間43分で174位、関門閉鎖まで残り1時間37分

そして再び、名舟エイド。先程は急いでいて食べれなかった待望のカレ-をここで1杯頂く。レトルトカレ-は美味しかったが、御飯は明らかに炊き方の失敗。水が少なかったみたい。終盤の狼煙エイドで能登牛カレ-があるようだし(結局なかった)、ここでのお代わりは止めておく。ふとアンパンマンが颯爽と走り過ぎて行った。全身緑タイツのカトルス星人もそうだが、こういう方々は自らハンデを背負っているだけあり、かなりの実力者だ。重いだろうし、体温調整も出来ないだろうし、動き難さもあるだろう。しかし沿道の子供達は大喜びで、辛い表情を隠す意味では僕のような初級ランナ-にも有りかもな・・なんて思った。50㌔通過が5時間半。先月の白山白川郷に迫るタイムで、若干飛ばし過ぎかなと少し焦った。ようやく半分の距離を走り、4時間の貯金もまだ30分しか使っておらず、ここからは慎重に足を進める作戦に切り替えていく。上りは無理に走らず、早歩きしながらザックの整理やら、補給やら、撮影やらをこなす。この辺りで見かけた年配女性のランナ-は大きく荒い息を吐いていたので、歩くことを勧めしばらく並歩していた。しかしその女性、その後一切見かけることはなかった。たぶん僕よりかなり前にゴ-ルしたものと思われる。
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待望のカレ-(再び名舟エイドにて)            アンパンマン  ※11時間10分で見事完走
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50㌔通過(10:30)                       第12エイド(舟木谷峠)

そして再び、町野エイド。お帰りなさい・・の掛け声と共に自分用の袋を手に取り、地ベタにしゃがみ込む。こうして腰を下ろしたのは、これが最初。ダメ-ジはまだ全く感じていない。しかしこれから未知の領域に入り、究極の消耗戦に突入する。慎重に慎重にと、ダメ-ジゼロの距離を少しずつ延ばしていければいい。今日はサプリの他、ロキソニンに頼る部分が大きい。『1日2錠、4時間空ければ3錠目も可』と容量は一応決まっている。しかしそれは平常時の話だろう。今日は通常の何十倍ものエネルギ-を使っている訳であり、ある程度の超過は許されてしかり(強引な結論)。ということで、持ち込んだロキソニンは計6錠。飲んで効果が現れるまでには、30分から1時間かかるらしい。事前に、スタ-ト前、30㌔、40㌔、60㌔、80㌔、90㌔と一応飲むポイントは決めておき、これらの近傍エイドで祈るように摂取した。本大会は大塚製薬が協賛ということもあり、エイド毎に置かれたアミノバリュ-の存在は嬉しかった。
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第13エイド(町野)  ※自分エイドを兼ねた、ここの存在は大きい

55㌔通過、半分を越えた。貯金もあり、撮影ポイントでの立ち止まりに、もう遠慮はいらない。逆に撮影しながら走っていると、必然と風景を探し求め、良い気晴らしにもなり、気が紛れることは確かだった。これからは、このスタンスでウルトラに挑もうと思う。しかし何の変哲もない風景はただ辛いだけで、変化に富んだこの奥能登の情景だからこそ思えた感情なのだろう。(僕は高山市民だから余計にそう感じるが、飛騨高山のあのコ-ス設定では絶対つまらないだろう)。そしてついに『狼煙(のろし)』の文字が現れた。そう言えば出崎さんはどうなったのだろうか・・。僕が町野エイドを出た時に到着していたようだったが、無事走れているのだろうか。
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55㌔通過(11:16)                      何気ない景色は辛い
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二級河川 町野川                        道路看板に『狼煙』が登場

そして第2関門の曽々木(58㌔)に無事到着。スタ-トから、6時間35分。門限までは1時間45分の余裕があり、これも自分にしてはまずまずのペ-スだった。しかし欲を言えば、60㌔で6時間半といきたいところだ。ダメ-ジはさほど感じず、まだまだ充分行けそうだ。このまま何とか次の第3関門(73㌔)まで行き、そこから少し踏ん張り第4関門の狼煙(87㌔)。そこまで行ければ、後はド根性でゴ-ルに滑りこめそうな気もする。歩道のコンクリ-トに腰を下ろし、美味しいパスタを2杯頂いた。ウルトラマラソンはレ-ス中に胃を壊す人が多いらしい。そして食べれなくなったら補給も叶わず、自滅へと追い込まれていく。そんな先人の経験に従い、僕もスタ-ト前に胃薬(ガスタ-10)を1錠摂取した。元々胃が強いこともあるのだろうが、この距離を走っても美味しくどんな料理も食べられる。脚も胃も調子いい。天気もいいし、景色もいい。しかしここは未知なる領域、最後に不吉なドンデン返しが待っているかもしれない。決して油断は出来ないが、スタ-ト前自身の完走の確率は30%にも満たないと思っていたが、この際だからその逆を言い返してやる。リタイヤの確率なんて、今の俺には30%もないゾ!
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第2関門 曽々木(58㌔)  ※6時間35分で208位、関門閉鎖まで残り1時間45分
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第14エイド(曽々木)  ※日本製粉提供のパスタが美味かった



つづく・・


| 2015 | 19:50 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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第4回能登半島すずウルトラマラソン(1)~前日観光、受付、説明会

いよいよ、この日がやって来た。この春から走り始めて7ヶ月半、内心100㌔挑戦はまだ早い気もしていた。勢いでエントリ-したはいいが、60㌔に変更出来ないかな・・そんな弱気な感情を常に抱えていた。練習では50㌔以上走ったことがなく、今回のチャレンジは未知なる部分が半分を占めている。走る前から言うのも情けないが、自信は全くない。自分の実力は自分が一番よく知っている。完走の可能性は30%以下。50㌔の長さを白山白川郷で味わっただけに、余計にそう感じている。しかし完走の可能性がないわけではない。それは裏打ちされた根拠の存在だ。100㌔完走に必要な練習量・・、直近3ヶ月で600㌔。これくらい2ヶ月で到達している。そして週一のロング走・・、これも30㌔から50㌔は毎週末行っておりクリア。足りないのは100㌔という経験値だけであり、練習量的には完走の脚力は身についている・・らしい。これで本番前に予定していた70㌔走もこなしていれば自信にもなっただろうが、直前の故障には精神的にもかなり追い詰められた。

しかし故障も満更悪くもなかった。一番大切な1ヶ月前の1、2週間走れなかったことで、リフレッシュ(疲労の完全回復)も出来たし、何よりウルトラは体力と根性だけでは乗り切れないということを故障期間に学んだ。それは藁にもすがりたいという、切羽詰まった状況が導いてくれた。確かに100㌔ともなれば並大抵の距離ではない。脚力自慢の人間が気合いと根性だけで乗り切れるレベルを超えている。内臓や筋肉のしくみにも大きく左右され、それらを知らずして完走はないということもこの時初めて知った。早速僕も対策として、各種サプリ(アミノ酸、クエン酸、塩熱)や薬品(ロキソニン、ガスタ-10、バンテリン)、カ-フタイツやア-ムスリ-ブといった筋力サポ-タ-等を続々と入手した。特に今ではカ-フタイツなしでは、又ふくらはぎを痛めそうで恐ろしくて走れない。これらを試験的に取り入れ直前期に試した御嶽山周回(45㌔)では効果が現れていたようで、随分と余力を残しゴ-ルした。そしてこの時味わった感触が、唯一100㌔完走の小さな希望の灯となっていた。


前日朝8時に自宅を出た。一般道で富山まで走り、そこから高速に乗る。急いで走ることに集中し、気分が高ぶっていたこともあり、降りるはずの金沢森本インタ-をそのまま通過。金沢マラソンの旗がかかっていたのは覚えており、きっとあの辺りが森本インタ-だったのだろう。なんだたった42㌔か、そりゃほとんど短距離だな・・、そんな事を考えていた。次の金沢東インタ-出口を過ぎた頃、ふと我に返った。何、金沢マラソン、金沢!あ~、やっちまった・・。無駄な時間と余計な出費が、この旅の始まりとなった。平成25年に無料化された『のと里山海道(旧能登有料道路)』は快適そのものだった。結局始点ICから終点ICまで里山海道を走り、珠洲道路に接続。昼過ぎには能登半島最奥の珠洲市へと入った。見附島(別名:軍艦島)、倒スギ(樹齢850年)などの観光名所を見物した後、受付会場となるラポルトすずに向かった。
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見附島(軍艦島)
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倒(さかさ)スギ  ※とにかく凄い
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道の駅すずなり
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珠洲ミックス(320円)

今回が第4回目となる能登半島すずウルトラマラソン。会場には多くのウルトラランナ-が全国各地から集結し、初参加の僕は更に緊張がつのってきた。受付を済ませ、ゼッケンや荷物預け用の袋、記念Tシャツや大会冊子など一式をもらう。おもてなしサロンでは無料のドリンクが振る舞われ、大型モニタ-ではPJOチャンネルの動画が流れていた。それはこれまで何度も見てきたもので、コ-スのイメ-ジをつかんだり、時に涙し、時にやる気を存分なくらい頂いてきた。まさかここでもう一度観れるとは夢にも思っておらず、更に気合いを注入しサロンを後にした。



そして14時、大ホ-ルにおいて説明会が始まった。上映ム-ビ-で軽く気分を高揚し、輪島太鼓虎之介による大迫力のパフォ-マンスで選手達の(僕の)テンションはMAXに。実行委員会会長の話、実行委員長の話、アドバイザ-の話、全てが僕のハ-トに火を注いでくれた。常連のカトルス星人も2階から会場を盛り上げてくれ、1時間半の説明会はとても有意義なものとなった。あみだ湯(銭湯)に浸かり、今宵は道の駅にて車中泊。一人宴会も程々に、明日の準備を済ませ、狭い車内で横になる。が、1時間以上眠れなかった。初めてのウルトラマラソン・・。当然だが、誰だって一度きりしかない。完走出来ても出来なくても、明日の今頃はもう結果は出ている。辛いだろうが、脚が痛むだろうが、最後まで歯をくいしばって頑張りたい。
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選手受付(ラポルトすず)                   説明会冒頭のビデオ上映
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輪島太鼓(虎之介)                      おもてなしサロン(飲み物フリ-)
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特別支援学校児童の応援幕                 道の駅にて夕食宴会



つづく・・



| 2015 | 17:30 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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第3回白山白川郷ウルトラマラソン

第3回白山白川郷ウルトラマラソン。標高差1000m超の白山白川郷ホワイトロ-ド(旧白山ス-パ-林道)を越え、石川県白山市から岐阜県白川村へと抜ける壮大なコ-ス。大会運営、コ-ス設定、2県の参加者を比べてみても、2県の共催というよりは石川県主体のような印象を受けた。前日、道の駅白川郷で選手受付を済ませ、選手説明会に参加。自ずと気分は高まってきた。参加賞として、ロゴの入った赤色の記念Tシャツ、白山のワンカップ(日本酒)やミネラル水(トマト味のいろはす)、立派な大会冊子など。このまま白川郷の道の駅で車中泊したかったが、車で15分の道の駅飛騨白山へと移動。ここには天然温泉しらみずの湯が併設され、足湯もある。それに広い駐車場にはほとんど客はおらず、何の気兼ねもいらない。温泉に浸かり、先程貰った日本酒を飲み、20時過ぎには就寝した。
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道の駅 飛騨白山  ※温泉も併設され、白川郷も近い。前夜の車中泊に最適

翌朝2時過ぎに起床、足湯にも浸かってきた。3時50分に道の駅白川郷集合で、4時前にはバスは発車した。スタ-ト会場はホワイトロ-ドの反対側、白山市。暗闇のホワイトロ-ドを越えていく。ここでハプニング発生。僕の前の席の通路補助席に座る青年が突如奇声を上げ意識を失った。車内は騒然とし、乗客の誰もが慌てふためいた。青年は数分後意識を取り戻し、何事もなかったような仕草で、しきりに『もう大丈夫だ』を繰り返す。当人は自分の状況を客観的に見れるはずもなく、『よくあること、このまま行って下さい』と神妙に言っているが、結局は降ろされた。彼はきっと、癲癇(てんかん)だろう。僕にも癲癇の子が一人いるから余計にそう思う。白川郷までまさか車で来たのではないだろうな。薬も飲まずに車を運転することは、殺人行為に等しい。何らかの交通機関を使ってきたのだとしても、あれでは周りが驚いてしまう。高い宿泊代やバス代、大会参加費を払い、ようやく今日という日を迎えている事は分かる。しかし居合わせた医師も言っていたが、ここはしっかり専門医に診てもらい、自分の体質を知ることが先決だろう。

出だしから冷や冷やしたが、無事バスは白山市へと入った。5時にスタ-トした100kmの選手達が雨の中走っているのが車窓から見える。雨は嫌だな、と気は沈んできた。会場に到着。預け荷物や体のケアなど準備を済ませ、ウルトラの雰囲気を味わいに。無料テ-ピング体験では、脚の随所に疲労止めのテ-プを貼ってもらった。朝食代わりに会場エイドでほうらい寿しと味噌汁を腹に納め、スタ-ト地点へと歩いて移動。雨はポツリ程度で全く気にならない。スタ-ト地点(100kmコ-スにとってはエイド2)でも粥を一杯食べ、ゲ-トにて号砲を待つ。そして7時、50kmの部が100kmの部の2時間遅れでスタ-トした。
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会場へ向かうツア-バス(3000円)             無料テ-ピング体験
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ほうらい寿し                          ふぐの子糠漬け、温泉雑炊
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スタ-ト地点  ※坂本雄次氏の挨拶(今年の24時間マラソンネタ)が印象深かった

スタ-トから1時間15分、ようやく中宮料金所に到着。ここから最高地点の三方岩駐車場までは、完全に上り一辺倒となる。この頃には既に選手はまばらとなり、同じ走力の選手が前後して走っている。マラソンでは身の置き方が重要のようで、初レ-スの奥飛騨トレランの時は最後尾からスタ-トしたが為、選手の走力は低く、闘志が沸き立つ以前に僕自身も自滅した。しかし今回、その反省は生きている。周りはかなり走り込んでいるような人ばかりで、好調なペ-スで抜きつ抜かれつを繰り返す。
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今日は生憎の天候だ
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白山白川郷ホワイトロ-ド 中宮料金所(13.5km)
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蛇谷大橋を振り返る

ウルトラマラソンではエイドが唯一の楽しみであり、一番身近な次の目的地ともなってくる。コ-ス最高地点(1445m)の三方岩駐車場までは、石川県の名物料理が疲れたランナ-をもてなしてくれた。どこだかのエイドでは若い女の子が僕のゼッケンを見て、さりげなく選手名簿で確認。〇〇さん、頑張って下さい!この気の利いた一手間は、深く心に響いた。エイドだけでなく、コ-ス上に配置された関係者(ボランティア)の方々も、傘を差して応援してくれる。本当に有り難い。走行中、三方岩がコ-スの中間地点だと信じ踏ん張っていたが、25km表示はその手前で現れた。目の前にはまだまだ急な坂道が続く。さすがに周りの選手達も堪らず歩き、少し歩いては再び走り出す。この辺りのランナ-は各々の目標があるらしく、互いに切磋琢磨していた。エイドでの休憩も数秒でさっさと済ませ、飲み物や食べ物を急いで口に流し込んでは直ぐに走り出す。そしてようやく三方岩のエイドに着いた。難所を予想外のハイペ-スで乗り越え、5時間台どころか4時間台も夢ではなくなった。
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あんころ(エイド6)
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三方岩はまだか・・  ※堪らず歩くランナ-達(30位前後の方々)
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三方岩駐車場(エイド10、28.2km)  ※順調に難所をクリア、4時間台も狙えるぞ

ここまで辛い上りだったが㌔6分を切るまずまずのペ-スで来た。ここからは一気に標高を落とし、並みの脚力であれば重力でペ-スは上がるくらいだろう。実際周りの50kmランナ-は皆爽快に駆け降りていった。しかし僕は下りに滅法弱く、並みの脚力にはまだ到達していない。白川郷で折り返した100kmのトップ選手が三方岩を過ぎた辺りで上り返してきた。す、す、凄すぎる・・。この頃僕が走っていた辺りでは、後ろから颯爽と抜き去っていく青ゼッケン(50kmランナ-、4時間台確実)、白川郷を目指す白ゼッケン(100kmランナ-、関門危うし)と、もう折り返してきた鉄人ランナ-(100km完走余裕、記録狙い)が入り混じっている。
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眼下に白川郷が見えてきたが、脚が重い
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待っていたぞ、ホットドック(エイド11、32.5km)  ※5個食べた
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馬狩料金所(エイド13、38.4km)  ※コ-ヒ-味の飛騨牛乳が美味しかった
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飛騨牛すったて鍋(エイド14、41.8km)  ※最も楽しみにしていたが、この疲労度で肉は辛かった

ようやくホワイトロ-ドを走り終えたが、まだ少し下りが続く。今回のエイドで最も楽しみにしていたのが、A5等級の飛騨牛を使ったすったて鍋。全国でグルメグランプリを勝ち取ったご当地B級グルメのようだが、こうしてこの大会に参加しなかったら食べる機会はなかっただろう。何杯もお代わりをする予定だったが、この時の胃の状況からして飛騨牛は正直辛い。フル通過時間は4時間半くらいだった。坂道を下り切り、白川郷の端まで国道沿いに進んだ後、観光地区へと入っていく。観光客とランナ-が入り混じった不思議な光景は、この大会独特のもの。観光客に配慮しつつも、選手優先な扱いが嬉しかった。村を挙げての一大イベントであることを肌で痛感。村のお婆ちゃんが雨の中、僕達選手に声援を送ってくれる。僕は歯を食いしばり、顔をかなりしかめ必死の形相でかろうじて走っている。声援に応える余裕はなかったが、走りながら自ずと涙が溢れてきた。雨と涙で濡れた顔面を手で拭い、展望台を目指す。
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世界遺産白川郷を駆け抜ける

荻町城展望台(45.2km)は、白川郷きっての展望場所。しかしビュ-ポイントを前にしても、余韻に浸っている場面ではない。己の限界との闘いは、今も尚続いている。5時間ぎりはもう無理だ。三方岩辺りまで並走していた黄色シャツのランナ-は無事5時間を切れたのだろうか(翌日WEBで確認すると驚きの4時間46分、三方岩辺りの写真に写っていた別のランナ-は更に衝撃の4時間27分)。最低でも5時間15分はクリアしたい・・と目標を落とし(情けない)、僕も最後まで踏ん張った。しかし1km、2kmがほど遠く、白川郷に入って以来軽く15人以上の50kmランナ-に抜かれてしまった。皆馬力が凄い。普段どれだけ走り込んでいるというのだ。展望台以降歩く場面は多くなったが、最後まで諦めず走り抜いた。そして何とかゴ-ルテ-プを切る。地元の小学生が首に完走メダルを掛けてくれた。完走証と記念写真を受け取り、コ-ラ片手に体育館の壁にもたれかかった時、ふとこみ上げるものがあった。しかし100kmを完走するまでは、安易に人前で泣くわけにはいかない。達成感は僕の敗北でもあった。50kmごときの練習レ-スで泣くなんて、歯を食いしばるなんて、まだまだ修行が足りない。来月の本番に向け、更なる追い込みを誓った。それにしても、50kmゴ-ル後に白川村から白山市まで向かう無料シャトルバスがあるのに、なぜスタ-ト前に白川村から白山市へ向かうバスは有料のツア-バスなんだよ。
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展望台から望む日本の原風景
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満足感は敗北の証  ※こんなんじゃ、終われない



第3回白山白川郷ウルトラマラソン

距離:50km
時間:5時間22分11秒
順位:82位/575人(男子) 
経過:55:06(10km)、1:52:22(20km)、3:06:41(30km)、4:09:40(40km)





    

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| 2015 | 15:20 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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