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遥かなる目標

晴れて行政書士の試験に合格し、僕は目標を失ってしまった。この上なく嬉しい悩みではあるけれど、僕は本来何か目標がないと生きていけない性分である。これまでの人生で唯一逃げ出したこと、途中で諦めたことが行政書士の試験だった。10年越しにこうしてリベンジを果たし、僕は以前から頭の片隅にあった次のステ-ジへと進むことにした。

高校生の時、間寛平さんの走る姿に感動し、コタツに潜り一人涙したことを今でもよく覚えている。そして20歳の時、丸2日かけて160kmの帰省ランを行ったが、一番体力があった若かりし頃でさえそれで一杯一杯だった。そして時は経ち、僕は42歳のオッサンになってしまった。近年で言うなら岳登と山に通っていた頃が一番体力があっただろうが、ここ数年は勉強ばかりで体力の低下は著しかった。これじゃ、いかん!

夢は高く、果てしなく・・

昔から何かと因縁のある『250km』、これを真剣に目指さなければそのうち俺は駄目になる。20歳の時、さくら道に出ないかと声を掛けられたことがあった。しかし160kmの距離を体験しているだけに、それは無理だと断った。スパルタスロンのことは高校生の時に知った。ウルトラの聖地?に暮らす者として、生涯かけて、さくら道を目指すこととする。走り始めた今だからこそ、この果てしない大会の凄さが分かる。

フルマラソンの42kmという距離は、ウルトラランナ-にとっては毎週末に走る程度の軽い距離なのだろう。100kmという距離も今は果てしなく遠いけど、単なる通過点でしかない。250kmという距離は想像もつかない。疲れ果て100kmのウルトラマラソンを走り終えたランナ-に、もう一周走ってこいと誰かが言う。この時点で既に正気ではない。死に物狂いで2周目を終えたランナ-を褒めてあげたいところだが、又しても冷酷な誰かが他人事のように言う。続けてフルマラソンを走ってこい・・と。もう完全にいかれている。しかしそれでもまだ8km足りない。そう考えると、100kmくらいで、ましてやフル程度の距離でブツクサ言ってられない。

この(2015年)3月から走り始め、週に2度、1時間も走ればいい気になっていた。4月からは月間目標を立て、練習の励みとした。又、白山白川郷を今年最大の目標に置き、標高差も意識するようになった。月後半に追い込み、何とか最初の目標250kmはクリアした。果てしなく大きな夢に近付くには、小さな目標を一つ一つクリアしていくしかない。『こつこつ進んで行くのが、一番の近道である』。たまたま今日土地家屋調査士カレンダ-をめくったら、5月の標語も僕と同じことを言っていた。

ウルトラランナ-に中高年(40歳以上)が多い理由が、最近何となく分かってきた。若いころは速さを求めたハ-フやフルマラソンでいいかもしれないが、100kmを超えるとほとんど哲学の世界なのだと思う。走っている時間は当然長くなってくるし、苦しむ時間も附随して長くなる。練習も長くて、辛い。この点、若い人より辛い人生を生き抜いた年代の方が辛抱強さが備わっているように思う。それに考える時間があり過ぎるし、歳を重ねる毎に思い出すことも多くなる。僕のような駆け出しでさえ、既にその境地と闘いながら、感傷的に半泣きで走っている。

小学生高学年の時、突然母子家庭になったこと。新聞配達をしていた中学生時代。高校生時代は片道20km(往復40km)を夏1時間、冬2時間の自転車通学で通した。自衛官と夜間大学との二足の草鞋生活のことや、初めて限界と闘った160kmの帰省ラン。補助者として修行しながらの調査士の受験時代。そして辛かった開業時。行政書士の受験地獄は、まだ昨日のことのようだ。資格を貰った天下りになんて負けて堪るか。目まぐるしく思い浮かぶ時々の辛かった光景が、僕の足を前へと押し進めてくれる。

こんなことを考えなくても、景色を楽しみながら何時間でも走れるランナ-になりたい。さくら道を生涯の目標と掲げたが、たぶん成し遂げることは出来ないだろう。しかし僕はそれでも構わない。そこに至るまでの過程を大切にし、夢が夢で終わったとしても結果それ以上のものを得ている・・、そう思える日が来ることを僕は信じている。目指すものが大き過ぎて、目まいしそうだ。まずは5月の月間目標300km。根気に一歩一歩進むしかない。


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