目指せ、ジャンダルム

ブナの大木
日帰りでジャンダルムを目指してきた。ジャンダルム・・、飛騨山脈の雄・奥穂高岳の前衛。その脇役であるはずの風貌は、数ある名峰主峰と比べても一歩たりとも劣らない。完全に日本離れした光景は、一瞬ここがどこだか分からなくなる。一度奥穂の頂きに立った者は、誰しもこの岩峰に何かを感じているだろう。そんなジャンに僕は何度か来ているが、以前から岳登を連れて来たかった。背丈も大人並みに成長してきた、もうロバの耳も克服出来るだろう。
朝3時、新装された新穂高の登山センタ-を発つ。車は歩いて5分程の無料駐車場に停めている。条例に縛られずしても、当然の如く登山届は提出。これは登山者に課された義務であり、万一の場合、心配してくれる家族、探して下さる救助隊の方々にこれ以上迷惑はかけられない。暗闇の右俣林道を黙々と歩く。昨夜見た満天の星空に、今日の快晴を期待している。林道を歩き終え、白出沢出合。穂高分岐の便所小屋は解体されていた。まだ闇は明けていない。やっぱ山はいいな・・、久々の運動は気持ちいいな・・。そんな道中の呑気な会話は、調子の良さを示している。次第に辺りが明るくなってきた。ヘッドライト撤収。間もなく、重太郎橋跡に到着した。こことこの先が最終水場となる。この重太郎橋跡で休止、朝食に特大おにぎりを頬張る。水は豊富で、冷たくて美味しい。白出岩切道へと登る梯子に張り付こうとした矢先、颯爽と単独行の男性が追い越して行った。ヘルメットをくくり付けていたから、西穂へでも難路を越えて行くのだろうか・・。
白出岩切道を慎重にこなし、水のない沢を二つ渡る。そしてようやく最後の難関、稜線直下の長大ガレ場へと到着した。このガレ場、気が遠くなるような登りにうんざりするが、頑張れば高度を一気に稼げ、大幅な時間短縮が期待出来る。今日は朝から雲行きが怪しく、昨夜の星空に期待を裏切られた気分だ。前も後ろも視界はガスで遮られ、自分のいる地点が高度計でしか確認出来ない。対岸の笠ヶ岳の全貌も、目指す先にある稜線の姿も結局最後まで見ることは出来なかった。静まり返るガレ場地帯、時折岩の不気味な濁音が付近一帯に響き渡っている。先を行く単独行の姿は既にない。代わりに先行する別の単独行の男性を捉えた。これまで槍ヶ岳と剣岳に登り、3度目の登山でジャンダルムを目指しているのだという。どこでジャンダルムの存在を知ったのだろう、彼の疲労度からしてもそれはかなり無謀だと思った。危ないことだけは充分伝えると、後方の彼は深い霧に包まれた。

視通のないガレ場を黙々と登る
それにしても中3の岳登の体力は中々のものだ。というより、運動不足の僕の体力が情けない。それでも何とか稜線へと這い上がる。ここで一つ目測を誤った。奥穂の標高を3000m超と安易に考え、そうなると山荘は2800mくらいか・・。この勝手に思い込んだ2800mを目標に、僕は高度計と睨めっこを繰り返していた。だいたい1時間で標高400m、今2600mだから、あと30分くらいだな・・。しかし稜線に辿り着こうとする頃になり、肝心なことを思い出す。そう言えば、奥穂高岳は日本3位の高峰だったはず、標高にして3190m。すると小屋は3000m近い、どおりで遠いはずだ・・。目測の誤りは体力の消耗に直結することを、身を持って知らされた。
稜線に登ると小雨が降り始めた。穂高岳山荘に入らせてもらい、雨具を着込む。次第に雨音は強くなり、本格的に降り出してきた。待っても雨は止む気配はない。ジャンダルムはこの時点で既に断念している。あんな危険極まりない岩場に挑むにあたっては、雨は勿論、濡れた状態でも進む選択は最初から排除していた。ただでさえ失敗すれば即アウトな場所だけに、スリップの可能性が新たに追加され、事故を起こしても何ら不思議ではない。
それならせめて奥穂くらいは・・、と雨の中、山頂を目指す。しかし雨が冷たく素手が寒さに耐え切れず、止む無く撤退。もう一度山荘に避難する。今日はジャンはおろか、奥穂すら無理かもしれないな・・。同じ境遇の他の登山者とともに、外の様子を伺いながら雨が落ち着くのをじっと待つ。そして長らく経過、登山者が数人外に出た。どうやら山頂へ向かうようだ。外の雨は収まっているようで、僕等もここぞとばかりに山頂へと向かう。さすがに今日は人出は少なく、鎖場に行列はない。何とか山頂に到着したが、今日は眺望は皆無、登れただけでヨシとしよう。岳登の写真だけ撮り、直ぐに下山にかかる。そして山荘まで無事下り、そのまま長大ガレ場へと急いだ。

奥穂高岳
気になるのが、朝方すれ違った二人の単独行。最初に出会った青年は、西穂へと向かってしまったのだろうか・・。彼のぺ-スだと、奥穂の山頂に立った時にまだ雨は降っていないはず。その時点で彼は進行を決断していなければいいが。そして僕等に抜かれた登山3度目の青年。ジャンダルムの恐ろしさを、山の恐ろしさを知らないが故に、安易にジャンに進んでいなければいいが・・。出だしの馬の背で腰を抜かし、撤退してくれていればいいのだが。
足場の悪いガレ場を何とか下り切り、荷継沢で昼食とする。ここでもあの二人のことが気にかかる。僕等としては今日はとても運のよい一日だった。登りのガレ場で雨に当たることもなく、ジャンに向かう直前には雨が降り出してくれた。お蔭で進退の決断は容易につき、大切な命を危険にさらさずに済んだ。濡れた白出岩切道は特に慎重に進む。高度感こそジャンダルムには劣るが、ここもスリップすれば即アウト。最大限の注意を払い慎重に進む。無事最後の梯子を下り、難所クリア。沢を渡り、山に入ったところにこの白出岩切道の記念プレ-トがあった。こんな危険な岩に通路を切り開いた、それも僕が生まれた40年以上前の時代に。改めて登山道を開拓してくれた偉大な先人の功績に触れ、僕等は山を歩かせてもらっているという真摯な気分になった

ガレ場を下り切り荷継沢にて

地球に何かが起こっている

濡れた白出岩切道の下山は特に慎重に

記念プレ-ト
林道を目がけ、最後の山歩きに入る。濡れた岩や木の根はよく滑り、岳登はスリップ転倒。ここが白出岩切道だったら、彼はこれでジエンドだ。未だに山を軽視する感がある息子を厳しく罵倒していたら、同じ根で後続の僕もスリップして体勢を崩す。これだから山は怖い、スリップを予想して歩いている慎重な僕でさえこうなってしまうのだ。疲れもピ-クに達し、ようやく右俣林道に到着。ここで僕は先日の増水事故のことを思い出した。
以前僕と岳登は増水した白出沢が渡れず、無理して渡ろうか渡らまいかしばらく悩んだ挙句、ここで撤退したことがある。こうした登山開始の撤退は、自らの諦めの気持ちさえあれば容易に後戻り出来る。しかし登山終盤でこうした事態に出くわした時はどうだろう。確かに奥丸山を越えて、左俣へと迂回する選択も知っていれば可能ではある。しかし、この疲れ果てた体での後戻り、登り返しは相当な覚悟が必要であり、最適とは思えない。疲れが限界に来た今だからこそ、思えた感情でもある。強引に突き進むという選択肢は、疲労を抱えた下山者の心理には当然あり得ることだ。しかしここは最悪を想定し一か八かの無謀な渡渉は諦め、翌日のスケジュ-ルは潔く一切放棄し、テントや小屋での停滞をするのがベストな選択なのだろう。山では絶対にゴミと命だけは落としてはならない。僕は山中でのゴミと命の重きは同じだと思っている。だからゴミを見かけたら必ず拾う。もしゴミを無視したものなら、自分の命にも及ぶと真剣に信じているからだ。僕はたぶん山では死なない。山の神と、こうしたセコイ取引をしているからだ。ぱらつく雨の中、右俣林道を歩き終え無事新穂高へと戻ってきた。今日は拷問のように辛いだけだったが、多くを考えさせられた価値ある一日となった。
新穂高 3:03
穂高平 3:50、3:55
白出 4:28、4:35
重太郎橋跡 5:28、5:45
穂高岳山荘 8:33、9:35(停滞)
奥穂高岳 10:06、10:11
穂高岳山荘 10:40
荷継沢 12:24、12:47
重太郎橋跡 13:29
白出 14:17、14:30
穂高平 15:05、15:15
新穂高 15:53
平成26年8月24日 天候曇り雨 岳登(中3)、僕
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