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下呂温泉の旅(2)~温泉街散策


・・前回の続き


下呂温泉2日目。昨夜は夕食前(3階・つるつるの湯)と夕食後(5階・中浴場)で二度温泉に浸かったが、今日は朝食前に各々の湯に浸かってきた。朝食会場は昨夜と同じで、テ-ブルも同じ。昨夜の夕食には大変満足していたが、朝食もとても美味しかった。朴葉味噌が出てきた時点で、ご飯のお代わりは確定。何杯でもいけそうだが、ここは遠慮して3杯でやめておく。そして今回もまた、次女は妹のお子様メニュ-を羨ましがり、半ば強引に奪っていた。
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大人朝食
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子供朝食
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飛騨名物 朴葉味噌
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みのり荘

こうして下呂の市街地をまじまじと観光したのは、実際のとこ初めてかもしれない。1000年の歴史をもつ、岐阜県下呂温泉。傷ついた一羽の白鷺が温泉の有りかを知らせたという伝説があり、室町時代には高僧・万理集九が、江戸時代には儒学者・林羅山が有馬、草津にならぶ『天下の三名泉』と紹介したことで一躍有名となった。源泉温度は最高84℃、供給温度は55℃。ツルツルスベスベした肌触りから、別名『美人の湯』とも呼ばれている。下呂温泉は織田信長も湯治に訪れ、また武田家の”隠し湯”だったともされる。
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河川敷の無料露天風呂は豪雨災害でなくなり、新しく足湯が出来ていた
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至る所で温泉が溢れている
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万里集九像  ※室町時代の禅僧、歌人
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チャップリン像  ※映画について楽しく語らいながら温泉街散策できるような”映画通り”を目指してのもの
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林羅山像  ※江戸時代初期の朱子学派儒学者
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温泉寺への階段
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温泉寺本堂
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由来  ※画像クリックで拡大
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地蔵様
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白鷺の湯  ※日本三名泉 発祥之地
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足湯も至る所にある  ※勿論どこも無料
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かえる神社

下呂巡りの締めは、思い出作りにと”下呂プリン”へ。まろやかプリン(400円)、レトロプリン(400円)、メロンソ-ダプリン(400円)、抹茶プリン(450円)と、豪華に人数分を購入。値段に割高感はあるが、ここは経験だと思って珍しく奮発。そして帰り際に見付けた、伊能忠敬の碑。僕ら土地家屋調査士(測量士)にとって、伊能忠敬先生は測量の先駆者であり大先輩でもある。
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下呂プリン  ※サイズは小さく、1個400~500円と値段は高い
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味は至って普通だが、ネ-ミングやキャラクタ-など売り方が上手い
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故に『下呂の思い出作りに』と観光客は皆食べたくなる
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抹茶好き
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伊能忠敬測量宿泊跡地
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下呂温泉の旅(1)~みのり荘

全国旅行支援キャンペ-ンに乗っかかり、お隣下呂市へ1泊2日の小旅行に行ってきた。両日とも平日だが、僕は今日は昼過ぎまで仕事をしていたし、明日も午後からは仕事に戻る。子供は融通の利く保育園児と、平日休みの次女だけ連れてきた。下呂温泉、みのり荘。電話予約の際の女性の対応は最悪だったが、この宿の温泉が僕は好きだ。ここは自分の感情はぐっと堪え、家族の為に我慢した。
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下呂富士(中根山)を望む
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客室413号(トイレ付)
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椎茸と銘菓
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天然温泉つるつるの湯(3階)
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下呂温泉分析表  ※画像クリックで拡大
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このつるつる感が僕は好き
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平日だが客はそこそこいた

岐阜新聞に載っていたのが、『飛騨牛食べたい 平日1泊2食付大人お一人様1万円ポッキリ ミステリ-プラン』。何だかよく分からないが、かなりお得に飛騨牛が食べれることだけは確かなようだ。ワクチン3回接種証明等を提示することで旅行支援が適用され、料金は大人6000円(入湯税別途150円)、子供3000円(入湯税なし)となる。更に大人子供とも、1人3000円分(休日は1000円分)の岐阜旅コインが貰える為、実質大人3150円、子供無料ということになる。

飛騨牛すき焼き会席  ※とにかく料理が凄かった
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大人夕食
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子供夕食
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次女(第3子)と母
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飛騨牛すき焼き、豚角煮
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創作料理  ※手前はとうもろこし豆腐
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サラダ、刺身

料理が予想以上に凄く、どれもとても美味しかった。品数も量も多く、かなり満足出来た。まだ21歳の次女からすれば、子供料理の方が良かったらしく、妹の料理を狙っては、自分の料理と交換ばかりしていた。充分満足した頃に出てきたほうとう鍋や天婦羅には皆絶句。この時一緒に出てきたご飯は、全て僕のもとに集まってきた。さすがにご飯3杯を食べ胃袋は完全に満たされたので、お代わりを勧められたがここは有り難くお断りした。
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五女(第7子)
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茶碗蒸し、グラタン
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ほうとう鍋(味噌汁代わり)、天婦羅、ご飯、漬物
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締めのデザ-ト  ※これは子供用、大人用はケ-キなし
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下呂市街地の夜景
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下呂大橋
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みのり荘
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中浴場(5階)
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夜の一時


2日目に続く・・

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東北を巡る旅(3)~日本三景松島と中尊寺

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世界遺産 中尊寺(2011年登録)  ※平泉~仏国土を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群~


【日時】令和3年11月16日(火) 旅行3日目
【場所】松島(宮城県)~平泉(岩手県)~自宅



旅行3日目、最終日。大江戸温泉の朝食バイキングは、僕的には海鮮丼が良かった。具材の種類こそ少ないが、豪華ネギトロの盛り放題。つい調子に乗ってしまい、いつものバカ盛りを前に子供らは白い目で僕を見る。ナナは最近朝カレ-にはまっているらしく、昨日に続いての朝カレ-。握りたてのお手製おにぎりも、子供には好評だった。今日は予定をカツカツに詰めている為、昼食は期待しないようにと予め告げておく。そもそも朝はバイキングで限界まで食べるのだから、その数時間後の昼食など本来必要ないはずだ。ホテルをチェックアウトし、街角のコインパ-キングに駐車。先ずは瑞巌寺へと向かう。
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朝食バイキング
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調子に乗って盛り過ぎた海鮮丼  ※ネギトロ、ホタテ、イカ、じゃこ・・
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お手製おにぎり

国宝、瑞巌寺。瑞巌寺は正式名称を『松島青龍山 瑞巌円福禅寺』といい、9世紀初頭、慈覚大師円仁によって開創された天台宗延福寺がその前身であると伝わっている。 関ヶ原の戦いの後、仙台に治府を定めた伊達政宗は、仙台城の築城と併せ、領民の精神的拠り所とする為神社仏閣の造営を盛んに行っていた。そして戦国時代を経て衰退していたこの寺の復興に政宗は特に力を注ぎ、5年の歳月をかけ、慶長14年(1609年)に瑞巌寺本堂を完成させた。
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瑞巌寺  ※奥州随一の古刹。伊達政宗公の菩提寺
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御成門(国指定重要文化財)
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本堂(国宝)
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庫裏(国宝)

日本三景、松島。江戸時代前期の儒学者・林春斎が、寛永20年(1643年)に執筆した『日本国事跡考』において書き記したのが、この『日本三景』の始まりとされる。それによると、ここ宮城県の松島、京都府の天橋立、広島県の宮島(厳島)の3つの景勝地で三景を成す。これら三景は各々世界遺産の登録にも動いたというが、厳島神社以外は今現在登録に至っていない。 宮島厳島神社にはかなり以前(第6、7子が生まれる前)に家族旅行で訪れている。天橋立は今春の本州縦断の際、直ぐ近くを通過した。
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日本三景碑  ※松島、天橋立(京都府)、宮島(広島県)で日本三景を成す

松島観光と言えば、松島湾一周の島巡りが欠かせない。瑞巌寺見物を終え、何とか10時出航に間に合った。遊覧船『仁王丸』。乗船が出航間際だった為、窓側の席は全て埋まり、中央の最前列に家族でかたまって席を取る。船内アナウンスを聴きながら、ゆったりとした時間が流れてゆく。島の間を縫うように進み、所々名の付いた浮島を遠越しに見物。”島”と言うよりは、完全に”岩”に近い。50分のクル-ズを終え、下船。さすがは有名な観光地だけあり、松島には修学旅行の学生も多く、今回の旅で一番の賑わいを見せていた。船内だったか、どこかの店だったかは忘れたが、『まつしま~の』で始まる民謡・斎太郎節が流れていた。
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松島湾一周クル-ズ
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仁王丸  ※大人(中学生以上)1000円、小学生500円
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所要時間50分、17kmのコ-ス
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鐘島
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仁王島
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航路
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五大堂(国指定重要文化財)  ※瑞巌寺の境外仏堂。東北地方最古の桃山建築
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松かま  ※名物だとは知らなかったが、朝食にも出ていた
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西行戻しの松公園
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松島の眺望が素晴らしい

世界遺産、平泉。中尊寺を含む一帯は”仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群”として、平成23年に世界文化遺産登録されている。中尊寺は奥州藤原氏の栄華を伝える寺院で、嘉祥3年(850年)、比叡山延暦寺の高僧慈覚大師円仁によって開かれた。建武4年(1337年)の火災で多くを焼失したものの、金色堂は中尊寺創建当初の姿を今に伝える。金色堂(国宝)は覆堂内部で大切に保存されており、天治元年(1124年)、藤原氏初代清衡公によって上棟された。讃衡蔵(さんこうぞう)は、昭和30年に開館した中尊寺の文化財を収蔵・展示する施設。大変見応えもあるが、金色堂同様内部でのカメラ撮影は禁止されており、後々思い出にふけることが出来ないのが残念だ。
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弁慶堂
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本堂
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峯薬師堂
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鐘楼
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讃衡蔵  ※3000点を超える国宝・重要文化財を収蔵
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金色堂(国宝)  ※天治元年(1124年)の造立で、現存する唯一の創建遺構
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松尾芭蕉像

東北最後は、岩手県名物の”椀子そば”で〆ようと思っていたが、目星を付けていた店に時間内に出向くも何故かクロ-ズ。ここ平泉から自宅までは670kmの道のり。既に16時の夕刻時となりのんびりも出来ないので、一先ず高速道路に飛び乗った。一昨日、昨日、今日と僕一人で運転してきたが、さすがに疲れてきた。今日は睡魔に襲われ、運転が危うい時間帯もあった。ようやく国見SAへと辿り着き、ここで夕食とする。しかしここの食事処が異様に高かった。時刻は19時前。僕としてはこのSAは諦め、どこか別の場所で夕食を取りたかったが、家族は声にこそ出さないものの、皆食べたそうな目で僕を見る。普段こういう割に合わない店では絶対に食べないが、ここは仕方なく奮発。
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国見SAにて待望の夕食  ※平泉で椀子そばを食べ損ねたのが心残り

食事を終え、以降運転は妻に任す。その後の僕は死んだように眠り続け、結局福島県から自宅まで妻は頑張って一人で運転してくれた。高速道路の深夜料金、その対象時刻は0時~4時らしい。そうとは知らず、当てにしていた30%割引を適用し損ねてしまう。岩手から富山まで距離が長いだけに、この損失はかなり大きい。富山ICを降りたのが、確か24時の少し前。てっきり22時頃から深夜扱いだと思っており、まさか深夜が24時からだとは夢にも思わなかった。頑張って走り続けた妻の運転も裏目に出た。嗚呼、何と悲しき結末・・。だけどそれすら、今となれば良い思い出だ。
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三元豚カツカレ-(1200円)  ※ナナ
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辛味噌牛タンラ-メン(1200円)  ※僕
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三元豚ソ-スカツ丼(1200円)  ※大志、嶺花
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妻(一花)は川俣シャモ丼(1300円)  ※写真とは違う


東北を巡る旅(1)~白虎隊の故郷、会津若松
東北を巡る旅(2)~独眼竜、伊達政宗


おわり

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東北を巡る旅(2)~独眼竜、伊達政宗

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独眼竜政宗、ここに参上!


【日時】令和3年11月15日(月) 旅行2日目
【場所】会津若松(福島県)~仙台、松島(宮城県)



旅行2日目の朝。ここは伊東園、東山パ-クホテル新風月。部屋から望む会津若松の町を前に、旅先での新たな一日が始まった。家族は皆まだ寝ているが、僕一人浴場へと向かう。せっかくの旅先での温泉、一度でも多く入っておかないと何だかもったいない気がする。入浴を終え、荷造りを済ませたところで一同バイキング会場へ。ここぞとばかりに食べまくる我が家族。食べ物に対する執着心は、おそらく普通の人には理解されない。予定通りホテルを8時半にチェックアウトし、一路仙台を目指す。仙台までは170km離れており、高速に乗っても2時間以上はかかる。安達太良SAの辺りで綺麗な虹が現れ、その中を潜り抜けた。
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部屋の一面ガラス(大窓)から望む景色
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荷造りを余所に
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一人ゲ-ム
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朝食バイキング  ※明太子の贅沢食い
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朝からモリモリ
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虹のア-ケ-ド

瑞鳳寺。宮城県仙台市にある臨済宗妙心寺派の仏教寺院で、山号は正宗山。江戸時代初期の寛永14年(1637年)、仙台藩二代藩主・伊達忠宗によって、瑞鳳殿が造営された際に創建された。 安政5年(1858年)に焼失し、現在の本堂は大正15年に落成されたものとなる。
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正宗山 瑞鳳寺

伊達政宗は、永禄10年(1567年)米沢城にて生を受けた。”独眼竜政宗”の異名を持ち、江戸時代伊達62万石の藩祖となった。ここ瑞鳳殿は寛永13年(1636年)70歳で生涯を閉じた政宗の遺命により、その翌年、二代藩主・伊達忠宗によって政宗の霊屋(墓所)として造営された。豪華絢爛な廟建築は昭和6年に国宝に指定されたものの、昭和20年の戦災で焼失。現在の建物は昭和54年に再建され、平成13年に改修がなされたもの。境内には二代藩主・忠宗(1599-1658)の霊屋である感仙殿、三代藩主・綱宗(1640-1711)の霊屋である善応殿も鎮座する。しかしこれらも昭和20年の戦災で焼失し、その後再建された。
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境内地図  ※画像クリックで拡大
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参道と杉木立  ※石造りの階段は藩政時代からのもの
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涅槃門(ねはんもん)
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瑞鳳殿  ※仙台藩祖・伊達政宗公霊屋
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昭和20年の戦災で焼失。現在の建物は昭和54年再建、平成13年改修
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感仙殿  ※二代藩主・伊達忠宗公霊屋
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善応殿  ※三代藩主・伊達綱宗公霊屋

ラ-メン☆ビリ-。仙台には本家二郎もあるが、あいにくの月曜定休。ただ昨日の会津若松にも本家ラ-メン二郎はあったし、二郎系は大概どの町にもあるようなので、その気になればいつでも食べることは出来る。ここは我が子に二郎系の素晴らしき(凄まじき)世界を見せてあげよう。朝食バイキングがまだお腹に残ってはいるが、”二郎体験”の名目のもと、早速ビリ-に入店。ただでさえ量の多い二郎系のラ-メン。今の腹具合からして1人1杯は明らかに無理なので、ナナと僕で大盛り(+100円)を1杯。嶺花ら3人で同じく大盛りを1杯オ-ダ-。野菜、にんにくなどは当然全て増し。後ろのテ-ブルの嶺花らは、さすが3人がかりなので汁まで飲み干す余裕の完食。こちらのテ-ブルは『一人で食べれる』と豪語したナナをメインに、僕は娘が根を上げた時のバックアップ要員に徹す。二郎を完全に舐めていたナナは素直に降参。味、量、値段、その全てにおいて◎。二郎系にハズレはないが、ビリ-も例外ではなかった。
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ラ-メン☆ビリ-  ※子供初めての二郎系
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メニュ-表  ※画像クリックで拡大
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ラ-メン大盛り(950円)  ※野菜増し、にんにく、カラメ、アブラ
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ナナ、心の中でビビッてる
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後ろのテ-ブルの嶺花と一花
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ナナと僕で1杯ほぼ完食(左は取り皿)           嶺花、大志、一花で1杯完食

史跡、仙台城跡。仙台城は別名・青葉城とも呼ばれていた。慶長年間に伊達政宗が築城してから廃藩置県・廃城令までの約270年に亘り、伊達氏代々の居城であり、仙台藩の政庁であった。建物は何も残っていないが、城跡に佇む伊達政宗騎馬像を前にして、仙台に来ていることをまじまじと実感。ここは 雨の中、傘を差しての散策となった。
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本丸跡地に建つ、護國神社拝殿
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仙台市内
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伊達政宗騎馬像

大崎八幡宮。社殿(本殿・石の間・拝殿)は国宝に指定されており、どんと祭の裸参りでも知られる。鳥居を抜けるとしばらく参道を歩くことになるが、地元中学の女子バスケ部が道を占領して練習しており、それが嫌で年頃の娘(特にナナ)らはついてこなかった。 対抗意識でも持っているのか、これを思春期とでもいうのか、中々面倒な年頃ではある。
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国宝 大崎八幡宮
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割拝殿様式の長床

予定していた観光を全て終え、宿泊先の松島へと移動。チェックイン予定を30分過ぎ、日が暮れた17時半、大江戸温泉・ホテル壮観に到着。本日の宿泊代は6人で37,970円。部屋は和室10畳が一間、それに窓際に小さな寛ぎスペ-スがあるくらい。昨日と比べたら極端に狭く感じるが、子供らにはこちらの宿の方が好評だった。何せ数種類ある露天風呂が大変良く、記憶にも残る。そして夕食バイキングは昨日のようにアルコ-ル飲み放題こそ付いていないが、食べ物はとても充実。仙台名物の牛タン、松島名物の牡蠣や生マグロなど、普段食べれない贅沢な一品を心行くまで堪能した。食後のデザ-トまでしっかり頂き、食べまくりの2日目が終わる。この旅に出て以来、僕の体重は5kg程増えている。その為、浴場で体重計に乗るのが何よりも怖い。
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卓球
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松島温泉・ホテル壮観(大江戸温泉)  ※1泊2食付き、6人で37,970円
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夕食バイキング  ※牛タン焼き、牡蠣、生まぐろ・・
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ひたすら食べまくる
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食後のデザ-ト  ※僕は甘い物好き
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純米酒 森ノ菊川 (仙台市・森民酒蔵)


つづく・・

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東北を巡る旅(1)~白虎隊の故郷、会津若松

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会津若松に乾杯!


【日時】令和3年11月14日(日) 旅行1日目
【場所】自宅~会津若松(福島県)



4年ぶりの家族旅行は遠路東北へ。今春の本州縦断フットレ-スで初めて東北(日本海側)は一人訪れていたが、今回は太平洋側を家族と観光で巡る。買って間もない新車のHONDAフリ-ドに乗り、早朝3時、高山の自宅を出発。富山から高速道路に乗り、一路福島県を目指す。そして無事、会津若松に到着。先ず訪れたのが、飯盛山。白虎隊の少年らが自刃(じじん)した、あの場所だ。ここで城下町が燃え上がるのを目にした白虎隊士20名は、それが鶴ヶ城の落城であると錯覚し、絶望の末に自刃した。そしてこの時1人だけ生き残った飯沼貞吉(改め、貞雄)の証言により、白虎隊の最期が世に知れ渡ることになる。昔僕が中学生だった頃、テレビで見た年末時代劇『白虎隊(1986年)』は、堀内孝雄の『愛しき日々』とともに深く記憶に残っている。
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山頂まで183段  ※有料のスロ-プコンベア(動く歩道)もある
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飯盛山
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鶴ヶ城を望む白虎隊士の像  ※城下町の炎を鶴ヶ城の落城と見誤り、絶望の上自刃に及ぶ
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白虎隊士自刃の地  ※次男、四女、五女、三女
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飯沼貞雄之墓  ※他の十九士と自刃に及ぶも、死に切れず蘇生
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白虎隊十九士の墓
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自刃隊士の氏名と年齢が刻まれている
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三十一士の墓碑
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さざえ堂(国指定重要文化財)
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戸ノ口堰洞穴  ※白虎隊士が通った洞穴

白虎隊記念館には貴重な品々が所狭しと並び、館内はさほど広くないが、僕の脚は中々次へと進まなかった。中でも自刃に用いた短刀は衝撃的で、実物を前にしてしばし呆然とし、様々な思いや情景が頭に巡る。国の為、誰かの為に自らの命を捧げるという壮絶な生き方に、胸から熱いものが込み上げてきた。ここには新撰組局長近藤勇の鉢がね等も展示されており、子供に急かされなければ本当はもう少しゆっくり見ていたかった。飯盛山参道にて”会津名物・あわまんじゅう”を食べてみる。その土地の名物には元々興味を引く方だが、『かの白虎隊士達も食べたのであろう・・』との触れ込みにまんまと引き込まれた。作りたてはとても美味しく、子供達にも大好評だった。
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白虎隊記念館  ※自刃に用いた短刀を前に言葉を失った
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小池菓子舗 飯盛山店
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会津名物 あわまんじゅう(1個108円)
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子供にも大好評

そして昼食は事前に色々調べた結果、”十文字屋”でとることに。会津若松ではソ-スカツ丼が名物らしく、少し足を延ばせば有名な喜多方(喜多方ラ-メン)もある。しかしこの店ではその両方が味わえ、”磐梯かつ丼”のボリュ-ムにも惹かれた。僕とナナは、磐梯かつ丼(1200円)。一花は、喜多方ラ-メン(650円)。そして嶺花と大志、妻はその両方が味わえる、喜多方ラ-メンとミニかつ丼のAセット(1000円)を注文。磐梯かつ丼のボリュ-ムは想像以上で、味も良く、かなり食べ応えがあった。喜多方ラ-メンも見た目以上に美味しかった。
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十文字屋
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磐梯かつ丼(1200円)  ※肉のボリュ-ムは想像以上
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喜多方ラ-メン(650円)  ※見た目以上に美味い
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喜多方ラ-メンとミニかつ丼のAセット(1000円)
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巨大な像

会津・鶴ヶ城。別名を若松城、黒川城ともいう。幕末の戊辰戦争では、約1ヶ月に及ぶ戦いがこの鶴ヶ城を舞台に行われた。砲弾にさらされ傷つき荒れ果てた結果、戊辰戦争後、政府の命により天守閣は取り壊された。しかしその後市民の願いが叶い、昭和40年天守閣は復元される。戊辰戦争(慶応4年/明治元年-明治2年)は、王政復古を経て新政府を樹立した薩摩藩・長州藩・土佐藩らを中核とした新政府軍と、旧幕府軍・奥羽越列藩同盟・蝦夷共和国(幕府陸軍・幕府海軍)が戦った日本最大の内戦であった。名称は慶応4年/明治元年の干支が”戊辰”であることに由来する。この戦争では新政府軍が勝利し、それ以降同政府が日本を統治する合法政府として国際的に認められることとなった。
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鶴ヶ城
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館内の展示
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天守閣からの眺め
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冠雪した飯豊連峰
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磐梯山(標高1819m)  ※日本百名山
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しばし休憩

野口英世(明治9年-昭和3年)。福島県猪苗代に生まれた英世(幼名、清作)は1歳半の時囲炉裏に落ち左手に大やけどを負った。しかしその14年後に受けた左手の手術により医学の素晴らしさを実感し、自らも医学の道を志すようになる。手術は会陽医院の渡部医師によって行われ、英世はやがて渡部医師の下に住み込み、上京するまでの3年半をここで過ごした。ここで医学以外にも英語やフランス語、ドイツ語などを学び、後に世界的な細菌学者となる礎が築かれた。アメリカのロックフェラ-医学研究所を拠点に世界で活躍した英世は、ノ-ベル賞の候補にも度々挙がる。しかし昭和3年、西アフリカで黄熱病の研究中に感染し、51歳の若さで亡くなった。ここ野口英世青春館には、英世が勉学に励んだ部屋が残っている。
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野口英世青春館
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会陽医院の看板
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貴重な展示品
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英世の生涯をアニメで紹介  ※大変分かり易いし、子供はこういうのが好き
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清作(英世)が使用していた机
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英世先生と嶺花

伊東園・東山パ-クホテル新風月。当初、和洋ミックスの部屋で申し込んでいたが、遥々遠方から来ること、大家族であることを宿側が配慮してくれ、追加料金なしでワンランク上の特別室に代えてくれた。12畳と6畳の和室に広い応接室まで付き、眺めの良い一面ガラスの大窓からは市内が一望出来る(ホテルHP写真3枚目の部屋)。そして伊東園と言えば欠かせないのが、アルコ-ル飲み放題付きバイキング。美味しい料理をがつがつ頬張りながら、生ビ-ルや地酒を何杯も飲んだ。食べ放題だと、腹の容量的に酒の量も幾分抑えられるので、悪酔いしなくて済む。大人5人(実際は大人2人、小中高生計3人)、幼児1人の合計6人で、占めて32,815円也。館内には広い温泉もあるし、翌朝はもちろん食べ放題のバイキング。何という素晴らしいコスパだろうか。
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銘菓
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伊東園の夕食バイキングはアルコ-ルフリ-  ※ただし制限時間が異様に短い
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しゃぶしゃぶは何皿も
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締めは地酒(辛口純米)で
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中身は・・
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1泊2食付き、6人で32,815円


つづく・・

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