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長女二十歳の振袖姿

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長女(第1子)二十歳

僕ら夫妻が24歳の時に授かった第1子(現在大学2年生)が、めでたく今年成人を迎えた。自由気ままに生きていた21、22年前(今でも自由だが)、当時同棲中の僕らは世界を旅していた。インタ-ネットもスマホも(今でも持っていないが)、勿論デジカメもない遠い昔のことである。その頃の僕らは、日本でお金を貯めては外国に行くという生活を2年ほど繰り返していた。しかし僕らも例外なく歳を重ね、『いつまでもこんなことをしていちゃイカン・・』と真剣に思い始めていた。これで最後の旅にしよう・・とユ-ラシア大陸横断の計画を練り、バイトに明け暮れる日々。朝から晩まで工場で機械のように働いていた。そんな時に判明したのが妻(当時未婚)の妊娠・・。この出来事を機に僕らは結婚し、僕の地元へと移った。そんなキュ-ピット的な運命の第1子。長女がこの世に生を受けていなかったら、僕らは未だに外国を彷徨っていたかもしれない。もう十分楽しんだだろ、そろそろ真面目に働けよ・・という、神のお告げなのだと感じた。それから20年以上もの歳月が流れ、気が付くと僕らは40代半ばになっていた。しかし昔と変わらないこともある。第7子が誕生したことで、一人子育てを終えた今でも、またゼロから子育て(振り出しに戻った)という、若しこの感覚。周りはこのことを、『±0(プラマイゼロ)』と簡単に言うが、とても一言で済ませれるものではない。我が家では毎年誰かしらの卒業と入学が必ず有り、子育て歴は全うすれば通算40年にも及ぶ。人生の半分を子育てに費やすということは、ある意味凄いことではないだろうか。
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成人式の前撮り撮影
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振袖を着て20ポ-ズ

成人式にどれくらいお金がかかるのか・・。これは実際に娘を成人させた親にしか分からない。何せ振袖が驚く程に高く、娘のもので45万円(そう言えば昔僕が借金を払わされていた妻の着物は一体何処へ)。勿論もっと高いものや、もっと安いものは当然あるが、いずれにせよバカ高い。妻はこの冬僕がスリランカに行っている際(それも帰国直前に慌てるように)、僕に一言も相談することなく無断購入という強行策に出た(買わせないと思ったのだろう)。当然後に大喧嘩となり、しばらく重い空気が流れていた。ただ、購入でまだ良かった。購入代の高さなら多少は納得出来るが、何故レンタルに20万円もするのかが僕には到底理解不能だ。長女の後に妹が4人控えていることを考えると、妻がした購入という選択は正しかった。振り袖姿での記念撮影は成人式当日ではなく、前撮りという形で事前に行われる。購入に際して僕は関われていないので、あの45万円に何が含まれているのかは知る由もない。しかしこの前撮り撮影(その際の着付け、ヘア-メイクも)は当然含まれているということで一安心。

・・そして迎えた8月12日。帰省した長女を筆頭に、家族(長男以外)全員で着物屋へと出かけた。家族の見守る中、慌ただしく撮影は進んでいき、20ポ-ズ(1ポ-ズ当り3枚~6枚)をもって撮影は終了。その後僕ら夫婦と長女が画面の前に座り、各ポ-ズの中からベストな写真を選んでいく。・・はいいが、驚くことにアルバム代は別料金らしい。その金額は更に驚きの、12万円(+税)。2枚までの台紙印刷なら無料らしいが、写真を増やしてアルバムにするとそれくらいの金額になるという。1ポ-ズ追加に1万円とあるので、単純に計算しても20ポ-ズでは20万円相当の撮影となる。そう考えると、折角撮影したポ-ズも商品化しないと勿体なく思えてしまう。半ば誘導的な、考える隙を与えないセコい商法に負け、10面15ポ-ズという上から二番目に高いプランに渋々決定。・・それから1ヶ月半、僕的にはアルバムの仕上がりに不満足。全画像(単独で購入だと2万円+税)の入ったCDが貰えるのは嬉しいが、写真容量が小さく2Lサイズまでしか対応出来ないのにはガックリした。次以降はもう少しアルバムの作製に吟味し、二度と同じ過ちを犯さないようにしたい。

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妹弟と  ※大泣き(五女)、靴下穴開き(四女)、裸足(三女)、欠席(長男)

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一歳の一升餅

一歳の一升餅。1歳までに歩くことが出来たなら一升餅を背負わせてお祝いをする、という風習がある。祝いの詳細は知らないが、15年前に第3子の穂乃花の際も、このお祝いをしていた。それ以来1歳前に歩いた子は何人かいたと思うが、このお祝いは我が家では長らくご無沙汰であった。しかしこの一花、さすがに歳の差43も離れれば孫のように可愛い・・。という訳で、今回に至った。つい先日までのハイハイが大変懐かしくさえ思う。僕が実家で死にかけていた頃(佐渡208㌔の代償)、久々(9/23)に会った一花は上手に歩けるようになっていた。その以前から2歩3歩ヨチヨチ歩きはしていたが、もうこんなに歩けるんだ・・と病状の僕は驚いた。そしてその出来事を機に、僕は地獄の底から這い上がった。

『一升餅(一生餅)』とは、一升分のお米(約1.8kg)を使って作る餅のこと。実際は蒸して餅をつく為、2kgくらいの重さになるようだ。 一升餅の一升(いっしょう)と、子供のこれからの一生(いっしょう)を掛け、一生食べ物に困らないようにと願いが込められている。 満1歳の誕生日に一升餅を背負わせてお祝いをする、というのが全国的な慣わしのようだが、呼び名や方法など地域によって異なっている。あまり早くに歩き始めると、大きくなってから親から離れた所に行ってしまうということで、わざと重い餅を背負わせて遠くに行かないでと願うものなのだ。
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一花(第7子、五女)1歳  ※平成29年10月1日撮影
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1歳前に歩いたので一升餅を担がせた

今頃になって”一升餅は何なのか・・”の詳細を知ると、我が家の一升餅はかなり適当だったのだと恥かしい気分になった。まず”一升餅”とは言いつつも、重さは800㌘(市販の丸型餅で代用)しかなかった。それに”誕生日に行う”ということは、全くの想定外。先程はパジャマ姿で撮っていたので、余所行きの服に着替え、テイク2。しかしいい加減飽きてきたようで、終始大泣きだった。子供にとってはただのいい迷惑で、『何をこんな重いものを背負わせているんだ・・』と親を不審に思っていたに違いない。しかし子供には申し訳ないが、大概こういう場面で親は笑っている。親から遠く離れた所に行ってしまわないように・・・。このテイク2の泣き様から、この子は大人になっても僕ら夫婦の近くに居てくれそうな気がした。
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先程はパジャマだったので、いい服に着替えたが
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終始大泣き
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おしるこで頂いた

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七児誕生

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分娩室  ※歩き回って陣痛の波を誘発
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子宝草

平成28年9月22日(祝)9時25分、第七児誕生。身長50cm、体重3054g。激戦を終えた妻の表情は、実に晴れやかである。前回は運悪く出産に立ち会えなかったが、今回は祝日ということもあり、子供共々その一部始終を見届けてきた。女性が命を懸けて挑む大仕事、出産。鼻の穴からボ-リング玉が出る程痛い・・んだとか。その痛みは男では耐え難いこともあり、神様は強い女性の方にその使命を与えた。男の僕には、妻が味わう苦しさは分からない。しかし幸いにもウルトラをやっている今だからこそ、出産を何度も経験してきた妻の凄さにようやく気付くことが出来た。

一見辛いだけのウルトラマラソン。僕は走ることは好きではないし、目標としてしまったが故、仕方なく毎日走らされている。僕はこの『出産』というものは、ウルトラでいう『250㌔(さくら道、スパルタスロン)』に匹敵する偉業だと思う。胎児を身ごもり(大会出場を決意し)、日々耐え難い程のつわり(練習)に苦しむ。その期間1年弱。そしてその辛さに打ち勝ちようやく立つことが出来た夢舞台、出産(大会)。しかしその本番では、これまで味わったことのない辛さ苦しさが何時間も容赦なく襲い続ける。もうヤメてしまいたい・・。しかし昔から、この世の女性達はこの大仕事をいとも簡単に成し遂げてきた。そして果敢にも250㌔に挑んだランナ-達、幻覚や幻聴と闘いながらも夜通し走り続け、強い意志のみでゴ-ルの重い扉をこじ開けた。僕はまだ、何者でもない。ただ、こんなにも近くに、こんなにも偉大なランナ-がいたなんて今まで知らなかった。

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命を懸けて
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得たもの
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それが、母子の絆

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胎児(第7子)エコ-画像

すごい時代になったものだ。それは最新技術しかり、サ-ビスしかり。実は僕の妻はこの秋(9/16分娩予定)、第7子を出産する。さすがにもう子供は増えないだろうと、赤ちゃん用品をほとんど処分してしまった矢先の出来事(妻からの懐妊の知らせ)であった。一番上の長女(第1子)がこの春から大学生だから、19歳離れた姉妹となる。それを考えると、孫であっても別段おかしくはない。ただでさえ第6子が孫のように可愛いのに、43歳で授かったベイビ-は一体どれくらい可愛いのだろうか。今では想像も出来ない。

さすがに20年近く(第7子が成人するまでとなると40年)子育てに関わっていると、時代の進化というものを少なからず感じることになる。白黒のエコ-画像は20年前からあったような気もするが、3Dのリアル画像まではなかったように思う。それに3Dのリアル画像が出るようになってからも、それをデ-タ(MP4ビデオ)で頂ける(専用のUSBメモリ-のみ最初に2000円で購入)なんて、少なくても4年前の別の産院ではなかった。ついにサ-ビスもここまで来たか・・。そう思わざるを得ないほど、夫婦して心底驚いた。

閉じた目や鼻や口はもちろん、顔の骨格や手や足、その指先までもが鮮明に映し出されている。リアル過ぎて正直怖く感じるが、胎児は母の腹の中で精一杯今を生き抜いている。僕や子供達は腹の中の赤ん坊とは当然まだ会話は出来ていないが(妻はたぶん出来ている)、既に我が家の仲間入りを果たしているかのように思えた。問題は第6子のタイシ。これまでが天下だっただけに、間違いなく赤ちゃん返りするだろう。家を出て行った長女とは、ほとんど面識のない姉妹となる。その長女が早く子供を産んでくれれば、サザエさん状態(カツオとタラちゃんのような関係)も狙える。自分で墓穴を掘ってしまったので、最低でももう20年は必死に頑張らなければならなくなった。
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僕がみた世界

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春の大型連休や夏休みに、多くの日本人が外国に旅行に行くニュ-スを見ます。行き先は人気の高い観光地がほとんどです。皆さんの中にも行った方がおみえになると思います。もちろん僕も『ハリ-ポッタ-』の舞台になったイギリスへ行ってみたいと思います。

でも、世界には楽しい国ばかりではありません。世界にはおいしい食べ物が食べたくても食べれない人、学校に行きたくても家事を手伝わなければならない人がたくさんいます。

僕は六歳の頃から、多くの国へ行っています。そのほとんどは、貧しい国です。五年生の時に行ったインド、六年生の時に行ったバングラデシュ。日本と比べると少し貧しい国です。そこで見たのが『難民』です。やぶれた服、土でドロドロになった靴、日本とは違う環境にとても驚きました。

インドのある村に行った時に家の中を案内してもらいました。家は土とわらで作られています。想像してみてください。そんな家で生活できますか。僕にはできないと思います。この体験から、世界にはとても貧しい暮らしをしている人がいるということがわかりました。

僕の家にはその貧しい生活をしている人達と撮った写真が、たくさん飾られています(ここで特大写真を掲げる、HPにも出ているインドの写真)。写真に写っている人を見てみると、みんな笑顔です。その時僕は『誰が見ても苦しくて、大変な生活をしているのに、どうしてこの人達は笑顔なんだろう?』と疑問に思いました。

一つ目は『こんな遠くまで、外国の人が来るなんて』と興味をもっている笑顔。もう一つは、歓迎の意味を込めた笑顔。でも、それだけではないということに気付きました。

僕は今まで、アメリカ、ベトナム、タイ、フィリピン、エジプト、ヨルダン、シリア、イスラエル、パレスチナ、インド、バングラデシュ、中国に行ってたくさんの人を見てきました。その中で見た人たちは、裕福ではないけれど、とても優しくて明るい人がたくさんいました。陽気な人や、ものすごくたくさんしゃべりかけてくる人もいました。そして笑顔をたくさん見せてくれました。よく考えてみるとその笑顔には、僕が考えていたよりももっと深い意味があるように感じました(写真を下ろす)。

僕達日本人はどうしても他の人と比べたがるし、毎日の生活に不満を言うことがあります。機嫌が悪くて人に冷たくすることもあります。でも、僕が見た人達は、誰かと比べることはせず、自分達の毎日の生活を精一杯生きているということに気付かされました。僕はこの世界に、そんな生活の差があってはいけないと思いました。

僕の将来の夢は、山岳救助隊員になることでした。でも、『難民』の人達に出会ってからこの人たちを助けるボランティアをしたいと思うようになりました。食料を運んだり生活の手助けなどをしたりする仕事です。

ではその夢を叶えるために、今僕にできることは何か?一つは、できるだけ多くの人に『難民』の人達の現状を、知ってもらうことです。この問題を人事にしないで深刻に受けとめてほしいです。二つ目は、自分たちが精一杯毎日を生きることです。このことを知ってもらいたかったから、父は多くの国に連れていってくれたのだと思います。だから僕は今の学校生活を精一杯生きて、明るくてゆうかんで、そして笑顔あふれる人になりたいと思います。

(以上、岳登の発表原文のまま)

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