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七児誕生

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分娩室  ※歩き回って陣痛の波を誘発
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子宝草

平成28年9月22日(祝)9時25分、第七児誕生。身長50cm、体重3054g。激戦を終えた妻の表情は、実に晴れやかである。前回は運悪く出産に立ち会えなかったが、今回は祝日ということもあり、子供共々その一部始終を見届けてきた。女性が命を懸けて挑む大仕事、出産。鼻の穴からボ-リング玉が出る程痛い・・んだとか。その痛みは男では耐え難いこともあり、神様は強い女性の方にその使命を与えた。男の僕には、妻が味わう苦しさは分からない。しかし幸いにもウルトラをやっている今だからこそ、出産を何度も経験してきた妻の凄さにようやく気付くことが出来た。

一見辛いだけのウルトラマラソン。僕は走ることは好きではないし、目標としてしまったが故、仕方なく毎日走らされている。僕はこの『出産』というものは、ウルトラでいう『250㌔(さくら道、スパルタスロン)』に匹敵する偉業だと思う。胎児を身ごもり(大会出場を決意し)、日々耐え難い程のつわり(練習)に苦しむ。その期間1年弱。そしてその辛さに打ち勝ちようやく立つことが出来た夢舞台、出産(大会)。しかしその本番では、これまで味わったことのない辛さ苦しさが何時間も容赦なく襲い続ける。もうヤメてしまいたい・・。しかし昔から、この世の女性達はこの大仕事をいとも簡単に成し遂げてきた。そして果敢にも250㌔に挑んだランナ-達、幻覚や幻聴と闘いながらも夜通し走り続け、強い意志のみでゴ-ルの重い扉をこじ開けた。僕はまだ、何者でもない。ただ、こんなにも近くに、こんなにも偉大なランナ-がいたなんて今まで知らなかった。

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命を懸けて
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得たもの
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それが、母子の絆

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胎児(第7子)エコ-画像

すごい時代になったものだ。それは最新技術しかり、サ-ビスしかり。実は僕の妻はこの秋(9/16分娩予定)、第7子を出産する。さすがにもう子供は増えないだろうと、赤ちゃん用品をほとんど処分してしまった矢先の出来事(妻からの懐妊の知らせ)であった。一番上の長女(第1子)がこの春から大学生だから、19歳離れた姉妹となる。それを考えると、孫であっても別段おかしくはない。ただでさえ第6子が孫のように可愛いのに、43歳で授かったベイビ-は一体どれくらい可愛いのだろうか。今では想像も出来ない。

さすがに20年近く(第7子が成人するまでとなると40年)子育てに関わっていると、時代の進化というものを少なからず感じることになる。白黒のエコ-画像は20年前からあったような気もするが、3Dのリアル画像まではなかったように思う。それに3Dのリアル画像が出るようになってからも、それをデ-タ(MP4ビデオ)で頂ける(専用のUSBメモリ-のみ最初に2000円で購入)なんて、少なくても4年前の別の産院ではなかった。ついにサ-ビスもここまで来たか・・。そう思わざるを得ないほど、夫婦して心底驚いた。

閉じた目や鼻や口はもちろん、顔の骨格や手や足、その指先までもが鮮明に映し出されている。リアル過ぎて正直怖く感じるが、胎児は母の腹の中で精一杯今を生き抜いている。僕や子供達は腹の中の赤ん坊とは当然まだ会話は出来ていないが(妻はたぶん出来ている)、既に我が家の仲間入りを果たしているかのように思えた。問題は第6子のタイシ。これまでが天下だっただけに、間違いなく赤ちゃん返りするだろう。家を出て行った長女とは、ほとんど面識のない姉妹となる。その長女が早く子供を産んでくれれば、サザエさん状態(カツオとタラちゃんのような関係)も狙える。自分で墓穴を掘ってしまったので、最低でももう20年は必死に頑張らなければならなくなった。
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僕がみた世界

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春の大型連休や夏休みに、多くの日本人が外国に旅行に行くニュ-スを見ます。行き先は人気の高い観光地がほとんどです。皆さんの中にも行った方がおみえになると思います。もちろん僕も『ハリ-ポッタ-』の舞台になったイギリスへ行ってみたいと思います。

でも、世界には楽しい国ばかりではありません。世界にはおいしい食べ物が食べたくても食べれない人、学校に行きたくても家事を手伝わなければならない人がたくさんいます。

僕は六歳の頃から、多くの国へ行っています。そのほとんどは、貧しい国です。五年生の時に行ったインド、六年生の時に行ったバングラデシュ。日本と比べると少し貧しい国です。そこで見たのが『難民』です。やぶれた服、土でドロドロになった靴、日本とは違う環境にとても驚きました。

インドのある村に行った時に家の中を案内してもらいました。家は土とわらで作られています。想像してみてください。そんな家で生活できますか。僕にはできないと思います。この体験から、世界にはとても貧しい暮らしをしている人がいるということがわかりました。

僕の家にはその貧しい生活をしている人達と撮った写真が、たくさん飾られています(ここで特大写真を掲げる、HPにも出ているインドの写真)。写真に写っている人を見てみると、みんな笑顔です。その時僕は『誰が見ても苦しくて、大変な生活をしているのに、どうしてこの人達は笑顔なんだろう?』と疑問に思いました。

一つ目は『こんな遠くまで、外国の人が来るなんて』と興味をもっている笑顔。もう一つは、歓迎の意味を込めた笑顔。でも、それだけではないということに気付きました。

僕は今まで、アメリカ、ベトナム、タイ、フィリピン、エジプト、ヨルダン、シリア、イスラエル、パレスチナ、インド、バングラデシュ、中国に行ってたくさんの人を見てきました。その中で見た人たちは、裕福ではないけれど、とても優しくて明るい人がたくさんいました。陽気な人や、ものすごくたくさんしゃべりかけてくる人もいました。そして笑顔をたくさん見せてくれました。よく考えてみるとその笑顔には、僕が考えていたよりももっと深い意味があるように感じました(写真を下ろす)。

僕達日本人はどうしても他の人と比べたがるし、毎日の生活に不満を言うことがあります。機嫌が悪くて人に冷たくすることもあります。でも、僕が見た人達は、誰かと比べることはせず、自分達の毎日の生活を精一杯生きているということに気付かされました。僕はこの世界に、そんな生活の差があってはいけないと思いました。

僕の将来の夢は、山岳救助隊員になることでした。でも、『難民』の人達に出会ってからこの人たちを助けるボランティアをしたいと思うようになりました。食料を運んだり生活の手助けなどをしたりする仕事です。

ではその夢を叶えるために、今僕にできることは何か?一つは、できるだけ多くの人に『難民』の人達の現状を、知ってもらうことです。この問題を人事にしないで深刻に受けとめてほしいです。二つ目は、自分たちが精一杯毎日を生きることです。このことを知ってもらいたかったから、父は多くの国に連れていってくれたのだと思います。だから僕は今の学校生活を精一杯生きて、明るくてゆうかんで、そして笑顔あふれる人になりたいと思います。

(以上、岳登の発表原文のまま)

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与茂助とがんごろう

むかし、むかし・・
こう始まる言い伝えが、僕の血筋にも残っている。
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今年の初胡瓜

むかし、むかし、川の渕にがんごろうが住んでいたそうな。『河童』のことをこの地方では『ガオロ』とか『がんごろう』と呼んでいた。このがんごろうは夜になると与茂助の川原畑の胡瓜をとりに来た。それも毎晩のことであり、不思議に思った爺さんは、ある夜こっそり畑に隠れて見ることにした。すると、がんごろうが川から上がって来ては、勝手に胡瓜を取り食べているではないか。爺さんは必死に胡瓜を食べているがんごろうの後からそ~っと忍び寄り、難なくがんごろうを捕まえた。がんごろうは、許してくれるよう泣いて爺さんに頼みこんだとさ。

爺さんはがんごろうに向い、こう言った。『お前は人の物を盗ったり、子供を川へ引き込んだり悪い事ばかりする。今後このような事を絶対にしないのなら助けてやろう』。すると、がんごろうは言った。『これからは子供や馬にもいたずらはしません、物も絶対に盗りません。ただ私は胡瓜が大好物なので、いつ悪心が起こるかもしれません。これから毎年初なりの胡瓜を一本でよいから川に流してくれませんか。そしたら必ず約束を守ります』。がんごろうはそう言い、川に帰って行った。

爺さんは約束通り毎年初物の胡瓜一本を川に流し、それからでないと家で食べなかった。それからは子供の事故もなく平穏に過ぎ、いつの頃からか川に流した胡瓜をがんごろうが取りに来なくなっていた。爺さんは、きっとがんごろうは死んでしまったのだと思い、川から石を拾って来て川原畑の隅に墓を建て、胡瓜を供え松の木を一本植えた。

母や祖母から何度かこの言い伝えは聞いていた。僕も胡瓜を作った時は必ず初物は川に流している。それは毎年ご先祖様の墓参りの後に、必ず立ち寄る場所が僕ら子孫にはあるからだ。与茂助爺さんの血を引く者として、大切にこの昔話を我が子に伝え、一本の大木の下に佇むただの石ころを、子孫の大切な守り神としていつまでも崇めていきたいと思っている。
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河童さん、食べてね!

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六児誕生

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平成24年6月7日、第六児誕生。母子共に健康、本当に何よりである。
本日の出来事を生涯忘れる事のないよう、記念に書き留める。

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5時、僕起床。5月の連休から始めた行政書士試験の一発合格に向け、毎朝勉強に励んでいる。子供等の為にも落ちる訳にはいかない。
6時、妻が起きてきた。夜中も頻繁に起きているようだが、昨日に続き激しい腹痛が辛いようだ。いよいよ今日出てくるだろうか。
7時、小学生組2名元気良くバス登校。3年生嶺花は朝からハヤシライス2杯、食パン1枚の大喰らい。オイオイ、家計を潰す気かい。
7時半、中学生組2名静かに自転車通学。中1岳登の買ったばかりの自転車は既にボロボロ。修理代は絶対払わないと最初に約束したのだから、学校の点検に落ちたら頑張って歩きな。
8時、保育園年中のナナ、妻に見送られ通園バスに乗り込む。これで彼女をもう”赤ちゃん”と呼べなくなるのが残念だ。
9時、出産予定日の妻に無理を言い現場の測量作業を頼む。無事1時間程で現場は終了。世間体は悪いが、妊娠期は通常期よりもかなり間に合う。何せ妊婦は怒らないし、僕も妊婦には怒れない。
10時、事務所に戻り産院へ電話。直ぐに来て下さい・・。自宅で入院支度を済ませ、急いで産院へ直行。
11時、産院に到着。直ぐにベットに横たわり、点滴が始まる。
11時半、点滴中の妻に”まだ産むなよ・・”の言葉を残し、用事の為一旦産院を離れる。
12時13分、産院から僕の携帯に電話が入る。妻の様態が一変、今分娩室に入ったと言う。産院までは車で20分、急いで戻っても際どいところ。止む無く出産の立会いを諦め、看護婦に妻への励ましを依頼。
13時前、お客様が約束の時間より少し早く来所。理由を説明して断る事も出来たが、結局僕はこの約束の為に戻って来た。腹の子が、僕に仕事を優先させてくれたのだろう。
14時、お客様退所。新たな業務依頼に繋がったから良しとしよう。急いで産院に電話するも、赤ん坊はやはり産まれていた。その時刻、12時18分。あの電話の5分後の事だったようだ。へその緒を切れなかったのは非常に残念だが、妻の苦しみを考えるとこれも仕方がないか。
15時21分、次男と初対面。何とも微妙な面構え、まるでガクそのもの。
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妻は大きなお腹を抱え、ここ1週間非常によく頑張ってくれた。出産予定日5日前に現況測量300点、予定日2日前にも現況測量150点。そして予定日も出産の2時間前まで、ポ-ルを持って動いていてくれた。現場で、事務所で破水しなくて幸いである。

それにしてもこの次男坊、たいした男だ。出産予定日に出てくるとは何て律儀なんだ。そして産まれる曜日、時間帯まで完璧、何て空気が読める男なんだ。ましてや母の腹の中で、直前までよく耐えていてくれた。それはまるで父の仕事の進捗具合を見計らっていたようにも思えてならない。僕はこの子に付ける名前は、だいたい決めている。士業で生きる父親として、彼の名に士(さむらい)の血を注ぎ込みたい。どうせ男としてこの世に生を受けたのなら、侍のように誇りを持って生きて欲しい。それが父である僕の願いだ。
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母子の絆

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