FC2ブログ

| PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

スコピエへと向かう夜行列車~東欧周遊編(21)

2018年1月8日
ベオグラ-ド(ノヴィサド)~



031_convert_20180712135824.jpg
どこか趣のあるセルビア第2の都市、ノヴィサド
055_convert_20180712140159.jpg
見たこともない超特大バ-ガ-  ※味も最高!

セルビア・ベオグラ-ドからマケドニア・スコピエへと向かう夜行列車はかなり辛いものだった。
6人用ボックス部屋を娘と独占出来たまでは良かったが、時間が経つにつれ本性が明らかに。

18:10にベオグラ-ド本駅を発った夜行列車は、今回もまた落書きだらけの心配車両。
それでも車内は比較的空いており、一応席は決まっていたが、自分らの部屋に先客が居るのを確認し、直ぐに隣の空室へと移った。
ボックス部屋が尋常でないくらい暑苦しいことは既に経験済み。
しかし今回貸し切りということで、自分らの意思だけで窓の開閉が出来、ストレスは感じない。
靴を脱ぐことも通常はマナ-違反だが、ここも遠慮する必要はなく、直ぐに脱いだ。

乗車前に慌てて買った超特大バ-ガ-を、大口開けて早速頂くとする。
こんなにも大きなハンバ-ガ-は、僕自身これまで見たことがない。
ハンバ-グは娘の顔程の大きさで、厚みはマックの3倍はある分厚さ。
値段も安く、コスパ的には申し分ない。
その上最高に美味く、手作り感も相まって、マックよりも数段に美味いと感じていた。
純粋にハンバ-ガ-だけで腹が満たされたのは、おそらく2人ともこれが最初で最後だろう。

満足の食事を終え、ぼちぼちと宴会の準備に取りかかる。
先程ス-パ-で買っておいた最安のワインを取り出し、丁寧に付けられた封をちぎる。
さてコルクでも開けるとするか・・、とコルク抜きをバックから取り出して用意したが、コルク栓ではなくまさかの瓶栓だった。
これでは開けることも出来ず、そもそも一度開けたら一気に飲んでしまわなければならない。
激しく揺れる車内では、安易にテ-ブル(そもそも傾いている)に置くことも出来ない。
その上、今日に限って1㍑の大きいサイズを買っていた。
飲み切る自信もないので、宴会は早々に諦めるしかない。

『地球の歩き方』を入念に読み、今後の計画を練り直す。
スコピエ(マケドニア)の後、コソヴォ、アルバニアと順につなぎ、ギリシア・テッサロニキへと入るつもりでいたが、思い切って大きく行程を変えることにした。
日程的に厳しい為で、アルバニアを止め、翌日未明にスコピエに着くことを逆手に捉え、そのまま一気にコソヴォへと抜ける。
スコピエのバスタ-ミナルで4時間無駄に過ごす必要もなくなり、コソヴォ、マケドニア、ギリシアと自然な流れでの旅が可能となった。
旅の計画が一段落し、溜まっている日記でも片付けるかと向った。

・・・?

20時頃、突如、車内の電気が一斉に落とされた。
これでは本も読めないし日記も書けない、このまま大人しく寝入る以外選択肢がない悲惨な状況に陥った。
貸し切りのボックス部屋、片側3席を自由に使い、各々の側で横たわる。
だが、電気が落とされたことによる一番の不都合は、実は凍えるような寒さだった。
消灯時こそ心地良く眠りに就けたが、夜中あまりの寒さに何度か目を覚ますことになる。

3:06、出国のパスポ-トチェック。
既に到着予定時刻に迫っているが、慌てて地図で確認したら、位置的には問題ないようだ。
そして3:44、今度は入国のパスポ-トチェック。
無事それらをやり過ごした後、パスポ-トに押されたスタンプの確認。
しかしどこにも出国スタンプが見当たらずかなり焦ったが、入国スタンプはゲット出来たのだから今となってはどうでもよい事なのだろう。

ところで先程入国審査の際、警官に続き現れた税関か何かの男は一体何だったんだ。
ペンライトを持った男が暗闇の中、ドルやユ-ロの手持ち金を全て見せるよう要求してきた。
本能的に僕はセルビア札数枚とクレジットカ-ドのみ見せ、これだけだと言い張り無理に通した。
しかし札束を手に取って確かめるという怪しい仕草からも、やはりまともな役人ではないだろう。
くそ真面目に日本円の1万円札を10枚以上も見せていたものなら、確実に何枚かは抜き取られていたに違いない。

車内は真っ暗で、ペンライトなしでは歩くことすらままならない厳しい状況下は尚も続いている。
時間的にはもう到着してもいい頃で、どこで降りるのかが、この先一番のポイントとなってきた。
しかし誰かに尋ねたくても車両内には既に誰もいない。
他の数少ない乗客は、どこかの町で皆降りてしまったようだ。
まさかその駅がスコピエだったのではないだろうな・・
一気に動揺し、焦り始めた。

そんな時、運良く一人の若者を発見。
英語は全く通じないが、彼に『スコピエ!スコピエ!』を連発し、”僕らはスコピエで降りたいんだ・・”という意思を全身全霊で伝えた。
言葉は通じなくても、都市名だけ連呼すればこちらの思いは充分伝わる。
今一信用ならない雰囲気が終始気になったが、もはや彼を信じるしか道は残されていない。
到着予定時刻を過ぎ、彼の合図を得て、ようやく下車。
無事、そこがマケドニアの首都スコピエだった。
暗い、寒い、誰もいない、どこで降りるのか分からない・・。
スコピエへと向う夜行列車は中々レベルが高かった。

≫ Read More

スポンサーサイト

| '18東欧周遊編 | 15:45 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

ちょっと寂しいクリスマス~東欧周遊編(20)

2018年1月7日
~セルビア・ベオグラ-ド



047_convert_20180712094606.jpg
ホワイトライオンの夫婦
074_convert_20180712095018.jpg
色々と良くしてくれた土産屋のオバちゃん
002_convert_20180712103302.jpg
旧ユ-ゴスラビア時代のハイパ-インフレ紙幣  ※5000憶ディナ-ル


セルビアの首都ベオグラ-ドには、翌朝の6時10分に到着した。
僕らより高い乗車賃を払っていた日本人も、6人ボックスを一人占めし、ゆっくりと眠れたそうだ。
アンダンテから一緒に来たその大学生と駅の外で別れ、早速僕らは宿探しの為、深い闇夜へと消えてゆく。
一見朝の時間帯にも思えるが、まだまだ夜は続いており、宿探しの試練は容易に想像出来た。
過去には深夜未明でも運良くチェックイン出来た例は幾つか記憶にあるが、ヨ-ロッパでは正午のインが基本で、せいぜい荷物を預かってもらいチェックインは後程というのが大概となる。

≫ Read More

| '18東欧周遊編 | 12:40 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

国境の町、コマ-ロム~東欧周遊編(19)

2018年1月6日
ブダペスト(コマ-ロム、スロヴァキア・コマ-ルノ)



041_convert_20180608172549.jpg
ようこそ、スロヴァキアへ!
065_convert_20180608173131.jpg
国境を結ぶエルジェ-ベト橋  ※スロヴァキア側から

ドナウ川沿いに位置する国境の町、コマ-ロム(komarom)。
ドナウ川に架かる鉄橋を越えると、対岸は隣国スロヴァキアのコマ-ルノ(komarno)。
コマ-ルノは1920年までコマ-ロムの一部でハンガリ-の領土だったが、第1次世界大戦後にドナウ川を境に、スロヴァキアの領土となった。
コマ-ロムは古くから外部からの侵入を防ぐ要衝の町であり、当時の皇帝はここを拠点にナポレオン戦争を戦ったとされている。

≫ Read More

| '18東欧周遊編 | 17:15 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

日本人宿アンダンテ~東欧周遊編(18)

2018年1月5日
ブダペスト(センテンドレ)



013_convert_20180321173347.jpg
芸術の町センテンドレ  ※尖がり坊やが愛らしい
021_convert_20180321182922.jpg
丘の上のカトリック教会

伝説の日本人宿、アンダンテホステル。
『伝説』とは少し大袈裟に聞こえるが、世界にはこう言った日本人宿が少なからず存在する。
アンマンのマンス-ル、クスコのヤワタ、バラナシの久美子ハウス等、直ぐに浮かぶ宿は多い。
大概は日本人の経営で、日本人長期旅行者の溜まり場となっており、外国人の姿はない。
ロビ-には日本の漫画やガイド本が棚に並び、日本のテレビ番組だって見ることが出来る。
当然居心地は良く、何週間(何ヶ月)も滞在する長期旅行者、いわゆる沈没組が自分の家にでも居るかのように居座っている。

夜毎ロビ-に集まってくるのはそんな沈没組を中心に、大学を休学した若者、仕事を辞めて旅に出た社会人など、今も昔も大差はない。
ただ最近の学生はしっかりしており、40歳半ばの僕なんかより、余程知識も経験も豊富だった。
現在この宿で管理人をしている、金髪ロン毛のダイスケさん。
35歳の時に偶然訪れた本屋で世界を旅するバックパッカ-の存在を知り、それがきっかけで旅に出て早4、5年経つと言う。
それだけ長く旅していても、未だ帰国の予定すらないと言うのだから、実に羨ましい限りだ。
そして今夜はもう一人、とても興味深い男性が加わった。
僕の更に二回り上の方で、沢木耕太郎世代の古株旅行者であった。

スマホに全てを委ねる現代のバックパッカ-、これが100人中90人。
宿はスマホで事前に予約し、町では観光以上にブログの更新に忙しい。
次に、未だ『地球の歩き方』に頼る一昔前のバックパッカ-、これが100人中9人。
僕はここに属し、20年前と現在との違いは、カメラがデジタルになったことと、歩き方がカラ-になったことくらい。

そして最後に残るのが、100人中1人いるか否かの伝説の『深夜特急』世代のバックパッカ-。
ガイド本には頼らず、地図と現地で集めた情報だけを頼りに切り開いていく旅本来のスタイル。
この古株旅行者の方にしても、当然スマホなどは持っておらず、歩き方は一応持ってはいるがほとんど見ないらしい。
ただ何の為か(たぶん自己紹介と話題作り)、マッタ-ホルンに登った20代の頃の写真をレシ-トや航空券等とともにファイリングして持ち歩いていた。
この辺りの国のことは大抵知っており、政治のこと、外国情勢のこと、プロレスのこと音楽のこと等、何でも知っていてとても興味深い方だった。
046_convert_20180607210218.jpg
夜更かしは続く  ※伝説のバックパッカ-が力説中
002_convert_20180608162853.jpg
3月のライオン

≫ Read More

| '18東欧周遊編 | 08:30 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

ドナウの真珠~東欧周遊編(17)

2018年1月4日
~ハンガリ-・ブダペスト



070_convert_20180321153005.jpg
世界遺産 ドナウ河岸、ブダ城地区及びアンドラ-シ通りを含むブダペスト (1987年、2002年登録)

王宮の丘から眺めるペストの夜景は、正に、”ドナウの真珠”と呼ぶに相応しかった。
ライトアップされた『くさり橋』、国会議事堂や聖イシュトヴァ-ン大聖堂は強い光を放し、ライトを点灯した無数の車が、連なるホタルのように暗闇の中でうごめいている。
もともと独立した町であった『ブダ』と『ペスト』。
1849年ブダ側とペスト側は、10年の歳月をかけて完成したくさり橋によって初めて結ばれた。
そして1873年、オ-ブダ、ブダ、ペストの3市が合併され、現在のブダペストとなった。
038_convert_20180321164135.jpg
王宮の丘に建つ 国立美術館

≫ Read More

| '18東欧周遊編 | 08:30 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

| PAGE-SELECT | NEXT