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旅はこれから~倉井選手の挑戦は続く

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島根県津和野町(5/29)  ※以下写真は全て中村カメラマン撮影

本州を最短ル-トで縦断すると、日本海沿いのR7(国道7号線)・R8・R9をメインに通り1550km。従って本州を往復するとなると、その倍で3100km。この”31”という数字から、倉井選手はあることに気付いたらしい。単純に毎日100km走り続ければ、1ヶ月で本州を往復出来るのではないだろうか・・。そして次の瞬間から、倉井選手の挑戦は始まった。そんなことが本当に出来るのか。口で言うのは容易いが、さすがの倉井選手でも正直厳しいだろうと内心思った。しかもその上、片道1550kmでも記録更新を狙うのだと言う。倉井選手の闘いは4月の時点で既に始まっていた。普通、大会の前月くらい、疲労を溜めないよう練習量は落とすものだ。しかし彼はやはり普通ではなかった。復路中盤に差し掛かった5/21の富山県内。幸いにも一緒に走らせてもらう機会があり、その時倉井選手は僕にこう語ってくれた。『確かにあんな(4月に1000km走るという)宣言しなければ良かったと思う部分はある。しかし3000kmも走ればどうせ脚は壊れるだろうし、4月の1000kmがあったからこそ、疲れを溜めない走り方を習得出来たのかも。それに一度口から出したことを途中でやめてしまうようでは、おそらく本州往復も出来ないだろう』と。
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島根県大田市(5/28)  ※縦断ランナ-は正に命懸け

往路での記録挑戦は、倉井選手が尊敬してやまないレジェンド林原選手の影響による。『ここで目指さなければ男じゃない!』。その一言に触発され、初日160km(当初予定180km)、2日目140km、そして以降120kmの驚異的なペ-スで本州最北端の青森駅を目指す。日数が経つにつれ当然疲労も溜まり、1日のノルマである120kmを終える時間が徐々に遅くなってきた。まるでバックヤ-ドウルトラ(次の出走時間が決まっている為、遅れると休憩時間が短くなる)を闘っているようだとも言っていた。ちなみに倉井選手、この秋バックヤ-ドの日本代表として世界戦に出場する。往路と復路の新潟で倉井選手を出迎えた友人によると、往路の倉井選手は本当に辛そうで、とても見ていられなかったと言う。しかし不屈の精神で青森駅へと走り抜き、日本記録を大幅に更新。1日平均120kmという超人的な快走は、有言実行の証でもある。日毎に周囲は盛り上がり、応援コメントもカンパも徐々に増えていく。同行する中村カメラマンの支えも大きかった。本業である撮影の傍ら、野営場所や浴場の下調べ、夕食の買い出しや洗濯などサポ-ト内容は限りない。通常縦断レ-スでは毎日同じ服を着て、髭も伸び放題で進む。しかし今回の倉井選手は毎日のようにウェアが変わり、無精髭もなかった。復路は90kmに落とし極力楽しむんだと言っていただけに、毎夜焼肉と地酒を堪能したらしい。
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島根県浜田市(5/28)  ※これだけ海を見たランナ-は他にいないだろう

だが終盤に差し掛かり、さすがの倉井選手にも疲れが見えてきた。決して人に弱音を見せない倉井選手ほどの男でも、その日1日を片付けるのに必死だったのだろう。熊に襲われるのも悪くない・・。これは気の利いたリップサ-ビスなんかではなく、紛れもない彼の本音だ。自分から逃げ出すことだけは絶対にしたくないが故、不可抗力でのジエンドを心のどこかで期待する。29日でゴ-ルした暁には、関門海峡を越えて西郷隆盛像(鹿児島)を目指せ!富山での並走以降、まるで他人事のように倉井選手や中村カメラマンにそう言ってきたが、当の本人からしたらただの迷惑だったのかもしれない。そして迎えた5月30日、最終日。倉井選手はついに下関市へと入った。FBのコメント欄も次第にヒ-トアップし、日本中が倉井選手一人に釘付けとなった。しかしそれは倉井選手本人が望む状況でもあり、今後を見据える上でも大きな意味があった。走行中にも関わらず頻繁に挙げてくれるFB投稿や、律儀に応じてくれるメッセンジャ-の返信は、きっと寂しさを紛らわす為のものだったのだろう。ゴ-ルも差し迫る中、残りハ-フ分との投稿を最後にしばらく空白の時間帯が続いた。余力もない中、必死に頑張っているのだろうと思っていたが、倉井選手はここで何か企んでいたのだ。
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山口県下関市(5/30)  ※関門橋を過ぎればゴ-ルまで残り5km

そして久々に更新されたFBから衝撃のライブ映像が流れてきた。『・・30日間、3100km闘ってきた本州もあっちに霞んで見えています・・』。そう言われても、最初何のことかさっぱり分からなかった。しかし映像が進むにつれ、ようやく空気が読めてきた。さすが倉井選手、僕は絶対やってくれると信じていた。シャンソン歌手として日々華やかなステ-ジに立っているだけはあり、先ず何より話しが上手い、そして面白い。それにさすがはエンタ-テインメントを生業としているだけあり、皆が喜ぶツボを心得ている。あのライブ映像は何度見ても未だに笑えてしまう。しかし当の本人曰く、直前まで関門海峡を越えるべきか随分悩んだらしい。ここで決め手となったのが、『ここでやっておかないと一生後悔する』、との思いだった。ただ実際、あそこで九州に入ったことで、確実にこの歴史的快挙に箔が付いたことは間違いない。
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人道トンネル(関門海峡)  ※全長780mの歩行者用海底トンネル
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北九州市門司区  ※本州縦断フットレ-スの選手が何故か九州に?

そして次に挙がってきたライブ映像は、皆が待ち望んでいたものだった。それは下関駅ゴ-ルの一部始終。ここはカトルス星人に扮しての登場となるが、ここに来てようやく大会登録名(倉井カトルス)と格好が一致した。倉井選手の本州往復1ヶ月チャレンジは予定を1日繰り上げ、715時間8分(30日切り)という歴史的大記録を持って終了となった。明日から何を楽しみに生きていけばいいのか・・。それは全国の応援者共通の心境だろう。今回の倉井選手の快進撃を日々目の当たりにし、日本中がともに笑い、涙し、心震わせた30日間であった。僕としてもスタ-ト時の下関駅、復路中盤の富山高岡間で応援に駆け付け、ブログでも勝手に思いを綴らせてもらった。倉井選手との並走時、”頑張れおじさん”の話題になった。今回のチャレンジ期間、FBの全投稿にコメントしていた倉井選手の歌のお客様だが、ゴ-ル後どんな言葉を送ってくれるだろうと二人で予想した。しかし二人とも見事予想が外れたので、その時の言葉を頑張れおじさんに代わって送りたいと思う。倉井選手、ゴ-ルしても頑張れ!これからも頑張れ!
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ウイニングロ-ド  ※この姿を見た人はさぞかし驚いたことだろう
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下関駅ゴ~ル  ※距離:3100km、タイム:29日19時間8分

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偉業記念に心を込めて

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北アルプス(右から穂高連峰、笠ヶ岳、黒部五郎岳、薬師岳)  ※画像クリックで拡大

走史に刻まれる大記録を間もなく打ち立てようとしている、ス-パ-ランナ-倉井克幸(カトルス)選手。その偉業を祝おうと、そのゴ-ル前々日、地元飛騨の山中に山菜採りに出かけた。予定では80kmの山菜ランニングだったが、採取にかかる停滞時間が嵩み、実際は51km(△2125m)止まりとなった。5/28(土)、朝8時過ぎに自宅をスタ-トし、幾つか峠を越えながら深い山中を目指す。大量収穫を見込み、バックの中は最低限とした。一旦家を出たら、その先店もなければ、自販機もない。食糧は菓子パン7個、水は谷水で充当。車も人も通ることのない一つ目の峠道を越えると、そこが最奥の集落。ふと道路脇にワラビの群生を発見!誰にも見向きもされず若干伸び切ったワラビをこぞって収穫。菓子パンが減っていない為、バックはこれでほぼパンパンになった。幸先がいいのか悪いのか自分自身よく分からない。
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林道を抜けて高所集落に出ると、ワラビ祭りが開催されていた
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入山前にバック半分が埋まる

大量ワラビの写真とともに、ここで倉井選手にメッセ-ジを送る。集落を抜け、今度は今日の本命竹の子山へ。この山ではコシアブラも採れることから今回はコシアブラ狙いのつもりだったが、どうせなら竹の子も採ろうと想い直した。きつい勾配に汗が噴き出し、水路を見かける度にしゃがみ込み、顔や頭、腕や脚に水をかけてアイシング。前回4月頃に来た時は雪で道が完全に塞がっていたが、さすがにもう6月なので雪は全て解けていた。ふいに路肩で山ウドを発見!当初今日はウド狙いで別の山に行こうかとも思っていただけに、これで一石二鳥となる。やがて峠に着くと、そこには天空の牧場が広がっていた。ここから更に林道を左方面へと進み、しばらく坂道に苦戦し、ようやく竹の子山に到着。
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コシアブラ  ※里での旬は既に終わっているが、標高1500mならまだ採れる

どれどれ・・。藪際に立ち、周りをざっと観察。直ぐに程良いサイズの竹の子が目に留まった。この竹の子のことを僕は”笹の子”と呼んでいるが、一般的には”根曲り竹”とか”姫竹”と言った方が通用するかもしれない。僕の笹の子歴は2010年かそれ以前からだが、近年ではより効率の良い淡竹(ハチク)に心移りしている。何せ笹の子は採るのがあまりにも大変で、その上皮剥き作業も尚大変。皮剥きは家族総出の大仕事となる為、あまり採り過ぎると逆に嫌がられてしまう。笹藪との格闘はそれは凄まじく、正に総合格闘技と呼ぶに相応しい。転倒、滑落、脱臼、傷は日常茶飯事で、当然完全防備で藪に入る。作業ズボンは破れるし、汗だくでも我慢して長袖シャツは必須。一度目を突き刺されたこともある為、ゴ-グルやメガネの着用は欠かせない。これ以上ハ-ドな山菜採りはまずないだろう。
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意を決して笹藪に突入  ※軽装が故、深入りはしない

しかし今回は短パンにTシャツのランニングスタイル。ズボンが平気で破れるくらいだから、それが生脚だったらと考えると恐ろしい。しかしその恐怖心よりも、今日中にどうしても採らなければという使命感が勝った。傷も嫌だが、柔いランシャツや短パンが破れるのはもっと嫌。慎重に慎重を重ね、無駄に深入りもせず、最低限の範囲で最小限の動きに徹した。甲斐あって少しばかりの収穫(傷)をもって藪を脱出。一度山頂まで登り、そこで倉井選手にここまでの収穫を写真で送り、メッセ-ジを添えた。直ぐに返ってきた返信によると、倉井選手はどうやらコシアブラが大好きらしい。そうきたか・・。何せコシアブラは僕の得意中の得意分野で、コシアブラに関してはおそらく飛騨人の誰よりも採っているだろう。コシアブラを再度探しつつ笹藪へと戻り、意を決して再び藪に突入。と言っても、林道沿いの藪境がメイン。今日はこれを背負って走らなければならないので、程々で笹の子採りは強制終了。時刻は既に17時に迫っている。往路ここまで寄り道しながら33km要しているが、帰りは最短コ-スで町へと下る。
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今日は珍しく探さずして採れた
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多少の傷も想定内  ※普段こんな無茶はしない
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バックの中はほぼ山菜  ※笹の子の重みがグッとくる

林道を颯爽と走って下っていると、ふとウド祭りに遭遇した。これは実際祭りが開かれているという意味ではなく、沢山採れるという僕なりの表現だ。山菜は目が慣れるまでが大変で、一旦慣れてしまえば似たような草むらの中から、ウドの茎、葉だけを瞬時に見抜くことが出来るようになる。往路(上り)でもこの林道で数本ウドを採取しており、僕の目は完全にウド目と化していた。スピ-ドを上げて走っていても、不思議とウドだけが目に入る。ちなみに車で走っていても、僕は道端のウコギ科(タラ、コシアブラ)くらいだったら見つけることが出来る。バックは既に山菜でパンパンになっており、ウドは両サイドにくくり付けた。ここでも倉井選手に写真付きで報告。直ぐに返してくれるから、こちらもつい調子に乗り送ってしまう。
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山ウド  ※下山時、ウド祭りに遭遇
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本州縦断を共にした初代TRロケットは、今では山菜バック

最奥集落のバス小屋の時点で19時。ヘッドライトなど夜間装備に切り替え、10㌔以上先の下界の町を目指す。背負う荷物は、結局家で計り損ねたがおそらく10kg以上はあっただろう。どっしりくる重荷を背負い、両サイドに何やら怪しげな袋をぶら下げ、ヘッドライトを付け、両手両足に傷を負った怪しげなランナ-が坂道を走っている。ようやく町へと下り、実家にて山菜を下ろす。予定ではこの後最低10kmは走ろうと思っていたが(別に走るのが好きな訳ではなく、次戦に向けたトレ-ニングの為)、1本ビ-ルを飲んだらその気が失せてしまった。あまり距離は延ばせなかったが、そこそこ山菜が採れたから結果オ-ライということで。そして翌日午前のク-ル便で、飛騨の採れたて山菜に漬物(めし泥棒)を添えて、島根の奥様実家宛に送った。おそらく倉井選手より先に島根に着くだろう。既に本人には山菜を送る旨は伝えてあるのでサプライズにはならないが、喜んでくれるといいのだが。
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20:20、無事帰宅  ※バック外付けの袋はウド

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複雑な思い

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難所松尾寺を越えて(5/24)  ※以下全て、中村カメラマン撮影

倉井選手の本州往復チャレンジも、いよいよ終盤へと差し掛かっている。1ヶ月(31日間)で本州を往復(3100㌔)するという、僕にはよく分からない企画だが、そのフィナ-レが数日後に迫ってきた。この切なさは一体どこから来るのだろうか・・。この寂しさは一体どこから来るのだろうか・・。倉井選手自身も、それは僕が並走させてもらった数日前の時点で既に覚悟しており、その感情は日に日に増しているようだ。これは僕にも経験がある。昨年参加した、本州縦断フットレ-ス2021スペシャル。日々耐え難き苦しみの連続で、あの時僕は精神的にかなり追い詰められていた。橋を渡れば飛び降りたくなったし(倉井選手も同じことを言っていた)、トンネルを通れば『誰か俺を轢いてくれ!』と真剣に思っていた。
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兵庫県朝来市(5/25)

それなのに・・。ずっと目指し続けたゴ-ルが目前に迫っているというのに、それを望まない自分が確かに存在した。想像を絶する苦しみを乗り越えたことで、不思議な感情が芽生えてきたのだ。今回僕は傍から眺めているだけの応援者の一人に過ぎなかったが、全国の倉井ファン同様に、倉井選手が無事下関にゴ-ルすることで、確実に毎日の楽しみが一つ無くなってしまう。お疲れのところ倉井選手には本当に申し訳ないのだが、いっそのこと再び折り返し、再度青森駅に向かってくれないだろうか。中村カメラマンのブログ代筆も最近好調のようで、今になって投稿頻度が増してきた。きっと倉井選手本人と同じように、どこか心の片隅で、この旅がいつまでも続いてほしいと願っているのだろう。頑張れ、倉井選手!頑張れ、中村カメラマン!泣いても笑っても、後数日の辛抱だ。
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鳥取市福部町(5/26)

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倉井選手の現地応援(3)~スペシャルな一体感

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福井裁判所前(5/22)  ※見るからに余裕有々、完全に復路を楽しんでいる 
~写真は全て本人のブログより。中村カメラマン撮影


往路を120㌔平均で攻め抜いた倉井選手。睡眠時間は自ずと短くなり、2時間程しか取れない時も多かったのだと言う。その分復路は90㌔程度に抑えている為(これでも普通無理だが)、疲れはほとんど無く、野営地点で焼き肉宴会をして結構楽しんでいるようだ。そして5/23、倉井選手のFBを覘いてみると、そこには同じくスペシャル仲間の中村(奏かおる)ちゃんが載っていた。鈍行列車に揺られ、遥々東京から駆け付けたそうで、初日は70㌔、更に翌日も60㌔並走していた。さすがはスペシャルでもトップクラスの実力を誇るだけはあり、並走する距離からして違う。3月に行われた”板橋CityマラソンONLINE”では一人だけ異次元の走りを見せ、圧巻の優勝を果たしている。

間もなくR8区間を終え、ラスト区間のR9ステ-ジへと入る倉井選手。ここまで来れば目標達成はほぼ間違いないだろう。この本州往復1ヶ月チャレンジのことを、これまで僕は、倉井選手にとっての大きなチャレンジだと思い見守ってきた。しかし少しばかり行動を共にし、本人と色々と話をする中で、それは僕の勘違いだったのだと気付くことになる。倉井選手の限界は、まだまだ遥か先にあった。本人すら予測出来ない底知れぬパワ-が、彼の奥底にはみなぎっている。
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倉井選手とかおるちゃん(左)  ※倉井さん、スペシャルの皆が見守っているぞ!

| 本州往復応援 | 20:58 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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倉井選手の現地応援(2)~幸せな時間

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倉井選手と並走  ※画像クリックで拡大

さて、無事倉井選手を発見しドッキリを成功させたまでは良かったが、その後しばらく倉井選手を見失ってしまった。車で横を過ぎ去る際に僕が告げた場所(R41との合流地点先)にて、ストレッチをしながら倉井選手を長らく待っていたが、ちっともやって来ない。やけに遅いなと心配になり、1㌔程遡り倉井選手を再捜索するも、全く現れる気配がない。駐車場所まで一旦戻り、作戦を練り直す。その時、ふいに電話が鳴った。その発信元はスペシャル仲間のコジカニ(小島)さんだった。どうやら倉井選手はまたも僕の思いとは全く別のル-トを辿っていた。この大会はCP(チェックポイント)さえ繋げば、基本どこを進もうが自由である。さすがは本州縦断の4回目(片道2回完走、そして今回往復の復路)だけに、近道は誰よりも知り尽くしている。正規ル-トしか頭にない僕にとって、倉井選手がどこを通るのか全く読めなくなってきた。

ここは富山城址CPに先回りしておけば、絶対にやって来るはずだ。コジカニさんにその旨を伝え、急いで富山城址へと向かった。近くの大型量販店に駐車させてもらい、2、3㌔走り、城址交差点前のセブンに到着。倉井選手が既にここをも越えてしまっていたら一貫の終りだが、倉井選手のFBから察するに、まだ着いていないようだった。やがて一台の車が停まった。車から出てきた男性は、何やら大きなカメラを持っている。倉井選手の応援者の方だろうか。そしてふと車のナンバ-に目を移すと広島ナンバ-が目に留まった。もしやと思い声を掛けたところ、やはりこの車はスタ-ト時に下関で一緒に倉井選手を見送ったサポ-タ-の方の車で、そこに居たのは同行の中村カメラマンだった。話しながら一緒に待っていると、やがて倉井選手が颯爽と現れた。



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同行のカメラマン兼専属サポ-タ-の中村さん
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無事倉井選手と合流し、ここからしばし並走  ※富山城址公園前交差点にて

倉井選手との並走は、とても心に残るものとなった。往路で圧巻の日本新記録を打ち出し、更に往復でも前人未到の大記録に挑んでいる。そんな最中での並走。これは例えようのないくらい、僕にとって幸せな時間だった。スペシャル仲間の命を懸けた挑戦に少しでも貢献出来れば・・。こんな機会が与えられたのも、スペシャルがもたらしてくれたご褒美なのだろう。道中は途切れることなく、色々な話をした。昨年のスペシャル(本州縦断一斉レ-ス)のこと、家族のこと、仕事のこと、往路のこと、今の調子、今後の目標など・・。僕がしようとしている四国お遍路(1200㌔)のことや、先日行った九州縦断の話でも盛り上がった。

復路はすこぶる好調のようで、時間の貯金もかなり出来ている。30日ゴ-ルが現実的だが、いつからか僕の中では29日がゴ-ル日となっていた。ランネットの皐月ラン(5月の走行距離を競うイベント)にも参加している倉井選手。ぶっちぎりの優勝、圧倒的な記録更新は確実だが、ここまで来たらゴ-ル後の2日間(30日、31日)も大切にし、皐月ランでも永久的記録を打ち立ててほしいと切望した。越えろ、関門海峡!目指せ、西郷隆盛!僕がこの日倉井選手の前に現れたのも、きっとそれを伝える為だったのかもしれない。
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高岡市  ※正規ル-トを外れた為、ここが何処だがさっぱり分からない
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日本一たい焼で日本一のお祝い
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23㌔の楽しい並走だった  ※未だに、㌔6分半ペ-スの驚異的な走り
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高岡駅で思い出のカレ-  ※TAISHO CURRY 『ぜったい勝カレ-(1050円)』

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