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雪路


・・前回の続き


新聞少年は、やがて高校生になった。
『昭和』の時代が終り、時は新たな元号『平成』へと移り変わっている。
その移り変わりの日は、テレビでは昭和特集ばかりが流れ、子供にはとても退屈だった。

少年の家から高校までは、約20㌔の距離。
入学当初は他の学生と同じように汽車で通っていたが、いつの頃からか少年は自転車で通うようになっていた。
別に自転車が好きな訳でもないし、特別体力がある訳でもない。
家の長男坊だったその少年は、自分の家が貧しいということを子供心にも気にかけており、その経済的負担を減らそうと思ったのかもしれない。

そして少年が自転車通学に切り替えたもう一つの理由に、皆と同じように、毎日のほほんと汽車に揺られているのが心底嫌になったこともあった。
俺は俺、皆と一緒にしないでくれ・・という反骨心的な感情は、この頃から芽生え始めていた。
”その他大勢”ではなく、一つの個。
少年は決して人に流されることはなかった。

高校までは通常であれば片道1時間も自転車を漕げば着いたが、大変なのは冬場だった。
ここは雪国、豪雪地帯。
普通の感覚で言えば、冬に自転車に乗る人などいないし、そもそも乗ることすら出来ない。
しかし少年は片道2時間かけ、冬の間も自転車で通学した。
2時間のうち半分はサドルに跨ることなく、自転車を押し歩いていた。

冬の自転車通学の過酷さは、想像を絶するものがある。
歩道は完全に雪で埋まり、自ずと雪で狭まった車道を走ることになる。
しかしその車道ですら雪に覆われ、前後の車輪には直ぐに雪が詰まり、タイヤが回らなくなる。
その為、傘が必需品だった。
冬場の傘は差す為に持つのではなく、車輪に詰まった雪を先端で突き落す為のものである。

大雨の日も大雪の日も根気に自転車を漕ぎ続け、無事3年間の高校生活を終えた。
近所の爺さんや、少年の母親が勤める土建会社の社長さんは、少年が最後まで自転車で通い続けたことに感銘を受け、自分のことのように人に自慢していた。
少年にとって自転車通学は確かに大変だったかもしれないが、誰にも気兼ねすることもないし、少年の性格には合っていたのだろう。

サイクル



つづく・・
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くさかべの爺ちゃん

昭和60年代、雪深い山間の町に一人の少年が母親、弟と狭い公営アパ-トで暮らしていた。
小5の時、突如母子家庭となったその少年は、中学生になると新聞配達を始めた。
果たしてそれが自分から言い出したことなのか、親に勧められたのかは定かではない。
ただ母親はフルタイムでの正社員の他に、毎夜日付けが変わるまで1個何円の内職をして家計を支えていた。
必死で働くそんな母親の姿をアパ-トの一室で見ていたから、きっと少年の方から新聞配達の話を切り出したのかもしれない。

新聞配達は見た目以上に大変な仕事だった。
雨の日も雪の日も休刊日以外に休みはないし、何より朝早いのが一番辛かった。
毎朝5時前には母親に起こしてもらい、眠気眼をこすりながら町の新聞店へと急いで向かう。
新聞は何種類かあり、どの家に何を配るのかを覚えるのが大変だった。
しかし少年はそれを3日で全て覚えた。
くさかべの爺ちゃんはそれを褒めてくれ、少年の心にはその時の嬉しさが鮮明に刻まれた。

当時、少年隊の『仮面舞踏会』という歌謡曲が流行っていた。
少年はその歌を口ずさみながら、来る日も来る日も無心で新聞を配っていた。
まだ寝静まっている、真暗な街道沿い。
新聞配達店の明かりと、少年の乗る自転車のライトだけが眩しく輝いていた。

毎朝頑張って働いても、1ヶ月の給料はせいぜい2万円程だったのだろうと思う。
子供心には大きなお金に見えていたが、今となればその金額の安さに滅入ってしまう。
少年は迷うことなく、その稼いだお金の全てを母親に渡していた。
生活の為に稼いだお金を自分の小遣いにするなんていう発想は微塵もなかった。
とにかく家族3人、生きるのに必死だった。

配達ル-トの一番奥にある家は、余程お金にゆとりがあるのか、中日スポ-ツを取っていた。
その家の子が家族で海外旅行に行ったと、学校の噂話で聞いたことがある。
この境遇の差は何なんだ・・と悔しくもなったし、絶対に負けたくないと思った。
それ以来、毎朝この家に中日スポ-ツを配る度に、言いようのない悔しさが込み上げてきた。
だから少年はいつまでもそのことを覚えていた。

その後大人になった少年は、母親が新聞配達の給料に全く手を付けていないことを知った。
お金は全て通帳に貯めてあった。
いくら生活が苦しいとは言え、子供が必死に稼いできたお金を、そう易々と使う訳にはいかなかったのだろう。
長男坊だった少年は中学3年の受験期を迎え、2つ下の弟にその役目を引き継いだ。
そしてその弟も、嫌な顔一つせず、毎朝くさかべの爺ちゃんの元へと元気に向かった。

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つづく・・

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