第7回能登半島すずウルトラマラソン
4年連続4回目の出場となる、能登半島すずウルトラマラソン。先月の佐渡で燃え尽きた感はあるが、今年は是非とも最高齢ランナ-(80歳)の102㌔完走を見届けたいと思い、締め切り間際になってエントリ-を決めた。このゼッケン1番の男性は昨年も79歳で無事時間内完走をされていた。それは通常では到底考えられない、絶対に有り得ない快挙だと思う。走っていない人から見れば、100㌔も走るなんて信じられないと思うかもしれない。同じ走る者からしてみても、その距離を身をもって知っているだけに制限時間内に走り切ることがどれだけ大変なことか、それを80歳で・・。なんて考えると、『凄過ぎる・・』以外、適当な言葉が見当たらない。
前夜、一路珠洲へと向かう。受付会場となる『ラポルトすず』に到着すると、既に説明会は始まっていた。早速受付を済ませ、先に到着していた地元のラン友と、サロンにてフリ-コ-ヒ-を飲みながらしばし談笑。当初説明会には出るつもりだったが、結局その間、終始サロンで友人と話をしていた。その後、友人とス-パ-で夕食を買い出し、道の駅で家族への土産を購入。見附島の『のとじ荘』へと移動し、ゆっくり温泉に浸かる。そして明日の準備を済ませたら、いよいよ海辺の小さなベンチを陣取り宴会を開始。寒空の下で、友と語り合いながら飲むビ-ル。ラジオからはいかした音楽が流れ、目の前には夜空に輝く軍艦島。この友人とは長い付き合いのような気がするが、連絡を取り合うようになったのは昨年のこの大会の直後。知り合ってまだ1年しか経っていないことを互いに驚きつつも、とても楽しい一時が流れていた。

リピ-タ-特典 ※残り一つとなっていた揚げ浜塩(左下)をゲット

大会前夜、軍艦島を眺めながら友と宴会
そして大会当日の朝を迎えた。毎年体育館の長いトイレ待ちに苦慮していたが、今頃(参加4回目)になって、外に仮設トイレが沢山あることを知った。佐渡で痛めた膝の故障を抱えており、以降長い距離は全く走れていない。距離に対する不安は大きかったが、膝は何とか持ち堪えてくれ、一応ここまで順調に走れていた。友人にはスタ-ト会場以降、名舟のカレ-エイドで会うのみとなった。僕は往路、友人は復路となり、この時点で既に4㌔先行されている。このエイドのカレ-ライスが最高に美味く、ただのボンカレ-なのだが、僕はこの大会で一番心待ちにしているくらい好きだ。たらふくカレ-を食べ、復路の舟木谷峠へと向かう。先程擦れ違っていたランナ-は皆走って上っていたが、あれは皆サブテンクラスのランナ-達だ。ここで関西の男性と知り合い、その後長らく一緒に走ることになった。共に自衛隊経験者、山好きという共通点も相まって、話が途切れることはなかった。そのお蔭で苦手な曽々木関門までの区間がとても楽しく、あっと言う間の曽々木到着となった。

スタ-トは5時 ※この時期、体温調整が難しい

佐渡以来の20㌔越え ※故障だらけの僕の脚だが、一応持ち堪えている

今年はオロナミンCが最低3ヶ所のエイドにあった

一番楽しみにしていた名舟エイド(43㌔、47㌔)のカレ-ライス ※往路で3杯、復路で2杯食べた

千枚田(45㌔)の第1関門

曽々木(58㌔)の第2関門 ※50㌔手前の坂入口から併走した西田さんと共に通過
かなりの健脚の持ち主でもある西田さんは、とにかく明るい方だった。擦れ違う人には大概フレンドリ-に声を掛け、一緒にいる僕までもが不思議とポジティブになってくる。いつしかペ-スも復活し、中盤以降にも関わらず、㌔6分程で走れていたことには自分でも驚きだった。このまま行けば11時間も切れるだなんて西田さんは言っていたが、僕的にはこのペ-スが最後まで持つとは到底思えない。それでも次の関門までは一緒についていきたいと思っていたが、終に僕の膝が悲鳴を上げた。ここまで持ち堪えてくれただけでも僕的には予想外ではあった。西田さんと互いに写真を撮りまくり、握手をして悲しき別れ。その後は時折立ち止まり屈伸をしたり、少し歩きを交えたりしながら自分のペ-スで進んだ。膝は痛いが、食欲はいつまでも旺盛だった。珍しくご飯系も最後まで胃が求め、脚はくたびれてきたが、エネルギ-が切れることはなかった。

とにかく明るい西田さんと

ウエハ-スエイド

塩田村エイド以降、ジャガイモも度々登場 ※塩をたっぷりかけて食べると最高

さすが珠洲、塩だけには困らない

今年はポカリゼリ-を置くエイドが続発 ※全体的にエイドがバ-ジョンアップしていた

自然休養村(73㌔)の第3関門 ※味噌汁におりぎりを入れ2杯食べた。来年は梅干しを置いて下さい

ミカンやオレンジも多かった ※町野エイドでは塩を振っていた

銘菓満載エイド ※昨年までは確か無かったような

カカシ街道
狼煙関門も難なく通過したが、今年もまた、この狼煙道の駅エイドで屈辱のタスキとヘッドライトを渡される。もう1時間も早ければ、きっとそんな扱いはされないのだろうけど、未だその経験はない。その後しばらく最後の奮闘を続け、ついに100㌔到達。残り2㌔となるが、この大会は最後の2㌔が本当に余計だと毎回思う。今年からはスタ-ト・ゴ-ル地点が若干変更になっている。苦戦の末、今回も無事能登すずのゴ-ルテ-プを切ることが出来た。それにしてもあのゴ-ル手前の赤の盛り上がりが、本当に走り難くてどもならん。疲れた脚を苛め抜くだけの、あの意味不明な赤のステップはいい加減やめてほしい。タイムは遅いが、昨年の自分には勝ったこと、辛うじて12時間台で終えれたことで良しとしたい。

狼煙(86㌔)の第4関門

狼煙エイドでは山菜能登丼を2杯、ビ-フシチュ-丼を1杯食べた ※今年は売り切れもない

今年は会えたね、豚汁犬

100㌔(17:38) ※いつも思うが、ここからの2㌔が余計

何とかゴ-ル ※来年こそは明るいうちに

ゴ-ル後の蕎麦とジャガイモ ※バナナも2房貰った
そして帰路の、車の中。僕のガラケ-に友人からショ-トメ-ルが入った。どうやら友人は11時間35分でゴ-ルしたらしい。大幅な自己記録更新のようだが、あっさりと僕のベストも抜かれてしまった。中盤を共にした明るい西田さんに最後までついていけたら友人といい勝負が出来たのに・・。そう思うと少し不甲斐無い。年々パワ-アップする年上のこの友人にも最近全く敵わないが、TJARをぶっちぎりで優勝した康介、次回TJAR出場を目指す船場さん(僕と同じでたぶん康介に対してすごい嫉妬心を抱いている)など、同じ町内にはいい刺激が多い。そして今回、僕が一番気にしていたこと・・。ゼッケン1番の80歳持原さんは、最後まで辿り着いたものの、敢え無く僅か7分、たった7分、14時間のゴ-ル制限に間に合わなかった。ル-ル上はリタイア扱いになるのだろうが、この快挙は優勝者以上に称えるべきだと思う。本人は凄く悔しいだろうに、それだけに最後の2㌔が本当に余計だ。是非とも来年は81歳で再チャレンジしてほしい。持原さんを目標とする、その快挙を心待ちにしているファンは、きっと僕以外にも多いだろう。何よりもスタ-トラインに立つまでの日々の努力を想うと、心底鳥肌が立つ。

完走証と完走メダル ※これで100㌔超15回出場し全完走。目標の100回はまだまだ。
前夜、一路珠洲へと向かう。受付会場となる『ラポルトすず』に到着すると、既に説明会は始まっていた。早速受付を済ませ、先に到着していた地元のラン友と、サロンにてフリ-コ-ヒ-を飲みながらしばし談笑。当初説明会には出るつもりだったが、結局その間、終始サロンで友人と話をしていた。その後、友人とス-パ-で夕食を買い出し、道の駅で家族への土産を購入。見附島の『のとじ荘』へと移動し、ゆっくり温泉に浸かる。そして明日の準備を済ませたら、いよいよ海辺の小さなベンチを陣取り宴会を開始。寒空の下で、友と語り合いながら飲むビ-ル。ラジオからはいかした音楽が流れ、目の前には夜空に輝く軍艦島。この友人とは長い付き合いのような気がするが、連絡を取り合うようになったのは昨年のこの大会の直後。知り合ってまだ1年しか経っていないことを互いに驚きつつも、とても楽しい一時が流れていた。

リピ-タ-特典 ※残り一つとなっていた揚げ浜塩(左下)をゲット

大会前夜、軍艦島を眺めながら友と宴会
そして大会当日の朝を迎えた。毎年体育館の長いトイレ待ちに苦慮していたが、今頃(参加4回目)になって、外に仮設トイレが沢山あることを知った。佐渡で痛めた膝の故障を抱えており、以降長い距離は全く走れていない。距離に対する不安は大きかったが、膝は何とか持ち堪えてくれ、一応ここまで順調に走れていた。友人にはスタ-ト会場以降、名舟のカレ-エイドで会うのみとなった。僕は往路、友人は復路となり、この時点で既に4㌔先行されている。このエイドのカレ-ライスが最高に美味く、ただのボンカレ-なのだが、僕はこの大会で一番心待ちにしているくらい好きだ。たらふくカレ-を食べ、復路の舟木谷峠へと向かう。先程擦れ違っていたランナ-は皆走って上っていたが、あれは皆サブテンクラスのランナ-達だ。ここで関西の男性と知り合い、その後長らく一緒に走ることになった。共に自衛隊経験者、山好きという共通点も相まって、話が途切れることはなかった。そのお蔭で苦手な曽々木関門までの区間がとても楽しく、あっと言う間の曽々木到着となった。

スタ-トは5時 ※この時期、体温調整が難しい

佐渡以来の20㌔越え ※故障だらけの僕の脚だが、一応持ち堪えている

今年はオロナミンCが最低3ヶ所のエイドにあった

一番楽しみにしていた名舟エイド(43㌔、47㌔)のカレ-ライス ※往路で3杯、復路で2杯食べた

千枚田(45㌔)の第1関門

曽々木(58㌔)の第2関門 ※50㌔手前の坂入口から併走した西田さんと共に通過
かなりの健脚の持ち主でもある西田さんは、とにかく明るい方だった。擦れ違う人には大概フレンドリ-に声を掛け、一緒にいる僕までもが不思議とポジティブになってくる。いつしかペ-スも復活し、中盤以降にも関わらず、㌔6分程で走れていたことには自分でも驚きだった。このまま行けば11時間も切れるだなんて西田さんは言っていたが、僕的にはこのペ-スが最後まで持つとは到底思えない。それでも次の関門までは一緒についていきたいと思っていたが、終に僕の膝が悲鳴を上げた。ここまで持ち堪えてくれただけでも僕的には予想外ではあった。西田さんと互いに写真を撮りまくり、握手をして悲しき別れ。その後は時折立ち止まり屈伸をしたり、少し歩きを交えたりしながら自分のペ-スで進んだ。膝は痛いが、食欲はいつまでも旺盛だった。珍しくご飯系も最後まで胃が求め、脚はくたびれてきたが、エネルギ-が切れることはなかった。

とにかく明るい西田さんと

ウエハ-スエイド

塩田村エイド以降、ジャガイモも度々登場 ※塩をたっぷりかけて食べると最高

さすが珠洲、塩だけには困らない

今年はポカリゼリ-を置くエイドが続発 ※全体的にエイドがバ-ジョンアップしていた

自然休養村(73㌔)の第3関門 ※味噌汁におりぎりを入れ2杯食べた。来年は梅干しを置いて下さい

ミカンやオレンジも多かった ※町野エイドでは塩を振っていた

銘菓満載エイド ※昨年までは確か無かったような

カカシ街道
狼煙関門も難なく通過したが、今年もまた、この狼煙道の駅エイドで屈辱のタスキとヘッドライトを渡される。もう1時間も早ければ、きっとそんな扱いはされないのだろうけど、未だその経験はない。その後しばらく最後の奮闘を続け、ついに100㌔到達。残り2㌔となるが、この大会は最後の2㌔が本当に余計だと毎回思う。今年からはスタ-ト・ゴ-ル地点が若干変更になっている。苦戦の末、今回も無事能登すずのゴ-ルテ-プを切ることが出来た。それにしてもあのゴ-ル手前の赤の盛り上がりが、本当に走り難くてどもならん。疲れた脚を苛め抜くだけの、あの意味不明な赤のステップはいい加減やめてほしい。タイムは遅いが、昨年の自分には勝ったこと、辛うじて12時間台で終えれたことで良しとしたい。

狼煙(86㌔)の第4関門

狼煙エイドでは山菜能登丼を2杯、ビ-フシチュ-丼を1杯食べた ※今年は売り切れもない

今年は会えたね、豚汁犬

100㌔(17:38) ※いつも思うが、ここからの2㌔が余計

何とかゴ-ル ※来年こそは明るいうちに

ゴ-ル後の蕎麦とジャガイモ ※バナナも2房貰った
そして帰路の、車の中。僕のガラケ-に友人からショ-トメ-ルが入った。どうやら友人は11時間35分でゴ-ルしたらしい。大幅な自己記録更新のようだが、あっさりと僕のベストも抜かれてしまった。中盤を共にした明るい西田さんに最後までついていけたら友人といい勝負が出来たのに・・。そう思うと少し不甲斐無い。年々パワ-アップする年上のこの友人にも最近全く敵わないが、TJARをぶっちぎりで優勝した康介、次回TJAR出場を目指す船場さん(僕と同じでたぶん康介に対してすごい嫉妬心を抱いている)など、同じ町内にはいい刺激が多い。そして今回、僕が一番気にしていたこと・・。ゼッケン1番の80歳持原さんは、最後まで辿り着いたものの、敢え無く僅か7分、たった7分、14時間のゴ-ル制限に間に合わなかった。ル-ル上はリタイア扱いになるのだろうが、この快挙は優勝者以上に称えるべきだと思う。本人は凄く悔しいだろうに、それだけに最後の2㌔が本当に余計だ。是非とも来年は81歳で再チャレンジしてほしい。持原さんを目標とする、その快挙を心待ちにしているファンは、きっと僕以外にも多いだろう。何よりもスタ-トラインに立つまでの日々の努力を想うと、心底鳥肌が立つ。

完走証と完走メダル ※これで100㌔超15回出場し全完走。目標の100回はまだまだ。
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| 2018 | 23:00 | comments:5 | trackbacks:0 | TOP↑