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焼槍大周回(5)~新穂高


・・前回の続き


槍山頂での僅かな一時を満喫し、グル-プの後出に回らぬよう、急いで下山へとかかる。上高地で追い越してきた尋常でない数の登山者は、その大半が涸沢紅葉の穂高方面へと流れていった。そのおかげで人気の槍が珍しくひっそりとしている。この穂先への往復で一番警戒しなければならないのが、”滑落(踏み外し)”以上に”落石(貰い事故)”。この取り付きには大概長い行列が出来ているし、一度(ひとたび)行列の一員に加われば、上の登山者に命を預けることになる。上の登山者の落とした小石は、下の登山者に脅威となって襲い掛かる。それは逆に自分が加害者になる可能性をも秘めている。今日は時間帯が良かったからか、この行程でほぼ人とは重ならなかった。無事、槍の肩まで下山。岩陰に隠しておいた木の杖2本を手に取り、いよいよ新穂高に向けて帰路に発つ。東鎌尾根の稜線上に建つのは、ヒュッテ大槍。そのダイナミックかつ非現実的な光景を目の当たりにし、ふとメテオラが頭に浮かんだ。
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山頂からの下り
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槍の肩
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常念と赤沢山(中央)  ※稜線上に建つのは、ヒュッテ大槍
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槍ヶ岳
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飛騨乗越

先ずは飛騨沢の下り。先程登ってきた槍沢と違い、ここの登りは何の楽しみもないが、下りは正面に笠ヶ岳が望めるだけまだマシだ。しかし標高2439mの奥丸山がまだまだ下に見えているのが若干気にかかる。仮にこの先、奥丸山と同じ目の高さまで下ったとしても、ゴ-ルはそこよりも遥か下。そんな事実に戸惑い、少し憂鬱になった。そして、千丈分岐点。西鎌尾根からダイレクトに下りると、ここに出る。その先のコ-ス上では水を得ることが出来る。
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笠を見ながら下る
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千丈分岐点

綺麗な紅葉に癒されながら、黙々と下る。14:42、槍平小屋。ここも水は豊富。新穂高から飛騨乗越まで4時間・・と僕の頭にインプットされているので、下りはせいぜい3時間程だろうと見積もっていた。しかしここまでの疲れがあるからか、白出が異様に長く感じた。登山道を終え、右俣林道。最後の林道くらい走り切りたかったが、時折歩きを交えないと厳しかった。ここまで何人かの下山者を点々と追い越してきたが、上高地の混みようを見てきただけに、本当に同じ山域かと疑う程だった。後に(2年ぶりに帰省した)長男から聞いて知ったが、現在新穂高から穂高岳山荘へと向かう白出沢ル-トは通行止らしい。今回の山行が焼・穂高の周回だったらと思うとゾッとする。岳登が小学生の頃、僕らはほぼ毎週山に登っていた。その反動でてっきり山が嫌いになったのではないかと心配していたが、岳登が未だに山を好きでいてくれたことが何より嬉しかった。
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紅葉
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槍平小屋(14:42)
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登山道情報
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滝谷出合
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白出沢出合(15:55)
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右俣林道
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穂高平小屋と蒲田富士(左)
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新穂高(16:49)

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焼槍大周回(4)~槍ヶ岳


・・前回の続き


槍の肩から穂先へと向かう。今のところ渋滞はなく、混み合わないうちにさっさとこの往復を終えておきたい。毎年最低1度はここに来ているような気がするが、穂先に取り付く長い列を見て、ここ数年山頂はパスしている。久々に登る槍の穂先は多少緊張した。そもそも僕は高い所が大の苦手で、本当はこういう恐ろしい所にはあまり来たくない。極度の高所恐怖症の分際で山に通っているこの辻褄の合わない理屈は、おそらく僕のランニングにも通ずるものがある。走ることが好きではないくせに、半ば勢いだけで世界最長のマラソン大会(本州縦断フットレ-ス)に出場した。好きではないけど、結局は続けている。それを巷では”好き”と言う。
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小槍  ※ここを登るクライマ-もいる
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大喰岳
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明方越えてきた焼岳  ※背後には乗鞍岳
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穂先へと取り付く
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最後のハシゴ

ここは天下の名峰、槍ヶ岳。”飛騨山脈(北ア)の源”、”大日本山脈の中心”と言っても過言ではない。何年か前に読んだ新田次郎の”槍ヶ岳開山”は面白かった。播隆上人に想いをはせ、開山当時とさほど変わらないであろう景色にしばし見とれる。ふと祠の横手から登山者がひょっこりと姿を見せた。これはよく見る光景、北鎌からの登頂の瞬間である。居合わせた登山者達から一斉に拍手が沸き起こる。困難であればあるだけ、やり切った感は一入だろう。
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槍ヶ岳(標高3180m)  ※祠の裏が北鎌尾根
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硫黄尾根
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西鎌尾根
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笠ヶ岳
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北鎌から参上  ※居合わせた登山者から拍手喝采を浴びていた

山頂は非常に狭く、あまりうろうろ出来ない。全方向を一通り見渡し、大概の山は把握出来た。その中で一際気になったのが東鎌尾根の先にある、赤沢山。西岳テント場も目視出来、そこから右(南側)に離れた再端の位置にある。ちなみにこの赤沢山、百高山を目指している人以外絶対に行かないような、崖の先にあるヤバ気な山である。当時小学6年生だった長男(岳登)と最後にチャレンジしたのが、この赤沢山と赤岩岳(西岳の北側)だった。あの日僕らはこの2山を片付け、何とかぎりぎり岳登が小学生のうちに百高山を終えるはずだった。ラストの赤沢山で掲げる記念タオルとクラッカ-もザックに忍ばせていた。あれから10年もの歳月が流れ、せっかく作った完登タオルは一度も日の目を見ることなく、未だに押し入れで眠り続けている。
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手前からヒュッテ大槍、東鎌尾根、西岳、赤沢山(右端)、奥に常念、横通岳(左)  ※画像クリックで拡大
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燕岳(左)と大天井岳
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槍ヶ岳山荘と奥丸山(中)
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槍穂高稜線  ※画像クリックで拡大


つづく・・


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焼槍大周回(3)~絶景ル-ト


・・前回の続き


横尾の分岐以降、登山者の数は急激に減った。一の俣を過ぎると、その先が槍沢ロッヂ。ここには三脚が設置されており、当初誰かが写真でも撮っているのかと思っていた。しかし去り際、それが望遠鏡だということに気付き、覗いてみると槍の穂先が遠くに見えた。まさかこんな場所から槍が見えるとは・・。驚きと同時に、この有り難いサ-ビスに感謝した。
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一の俣
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槍沢ロッヂ(9:51)  ※←横尾4.0km、槍ヶ岳5.9km→
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槍見  ※本物の槍ではない
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槍沢キャンプ場(ババ平)の水場
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大曲  ※東鎌尾根(水俣乗越)へと上がれる

紅葉はちょうど見頃を迎え、確かに綺麗ではあるのだが、目を見張るような美しさは感じなかった。つい先日の新聞でも涸沢カ-ルの写真が1面に載っていたが、今年は長雨の影響で若干色艶が薄いらしい。今回のル-トの最大の目的は、”槍を眺めながらの登り”にあった。しかし稜線は見えているが、槍は一向に姿を現してくれない。『もうそろそろ槍、見えますか?』、擦れ違う登山者に何度かそう尋ねてみたが、望んだ返答はなかった。標高2500m弱で最後の水場。僕が寄ったのは少しコ-スを離れた所だったが、この先、コ-ス上でも水が得られた。
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稜線は見えたが、槍はまだ
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紅葉
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最後の水場

そして、ついに槍ヶ岳が目の前に現れた。雲一つない青空に栄える、鋭鋒・槍ヶ岳。日本一ビジュアルの優れたカッコいい山だと言っても、決して言い過ぎではないだろう。上高地は交通の融通が利かない分、反対側の新穂高を登山口とした方が圧倒的に利便性はいい。しかし新穂高を基点とした飛騨沢の登りでは槍の勇姿は一切見えず、その登りの時間はただ苦しいだけで正直つまらない。稜線に出てようやく槍と向き合うことになるが、その時間もそうは長く続かない。しかしこちら上高地側のル-トは、最後の辛い登り区間を槍の眺望とともに過ごすことが出来、辛いながらも感慨深さを味わえる。だからこそ、上高地ル-トを使うなら絶対に快晴の日限定としたい。
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ここまで来てようやく姿を見せた
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名峰、槍ヶ岳
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右は稜線上のヒュッテ大槍
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富士山
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常念岳

次第に脚は疲れ、立ち止まる回数も増えてきた。しかし見上げれば、そこには槍ヶ岳。南岳から槍ヶ岳を目指す天空尾根はまさに”絶景”と呼ぶに相応しいが、ここの登りはそれに匹敵するものがある。稜線上の槍山荘も肉眼ではっきりと確認。右手に殺生ヒュッテを通り過ぎ、やがて稜線へと這い上がる。ここは槍ヶ岳山荘。岐阜県高山市奥飛騨温泉郷神坂に建つ、標高3080mの山小屋である。昔、穂高岳山荘を登記したことがある・・。そんな羨ましい話を、調査士の修業時代、親方から聞かされたことがあった。槍ヶ岳山荘増築登記・・、そんな夢みたいな仕事の依頼があったなら、ヘリでの送迎無しでも喜んでお受けしたい。
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この景色を見ながら登りたかったのだ
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殺生ヒュッテ
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槍ヶ岳山荘(12:34)
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山荘テラスから望む東鎌方面  ※常念(右)の威圧感に圧倒される
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反対の西鎌方面
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薬師岳(奥)と黒部五郎岳(手前右)


つづく・・

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焼槍大周回(2)~上高地


・・前回の続き


新中の湯登山口へと早々に下山し、ランモ-ドに切り替える。地べたに腰を下ろし、登山ズボンの膝下部分を切り離す。テキパキと補給を済ませ、貼り忘れていたテ-ピングを膝の皿下に施す。ここで腰を下ろした7分足らずの休憩が、今回の山行で唯一とも言える休憩となった。先程中尾峠を目指して歩いている闇の中、右膝に僅かな痛みを感じていた。”撤退”の二文字も頭を過ったが、取り敢えず新中の湯までは様子見がてら進み、最悪ロ-ドを周回して中尾に戻ろうと思っていた。しかし幸い膝の痛みはいつしか消え、その後痛みを感じることはなかった。激坂を一気に下り、中の湯温泉旅館を右手に通過。やがて国道158号へと合流。ここまで思いの外長かったし、結構下った。
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激坂を一気に下る
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国道158号にて左折  ※右折は高山方面

上高地と国道を隔てるのが釜トンネル。この釜トンの存在が、上高地を高貴かつ遠い存在にしている。この先自家用車では入れない為、通常平湯(岐阜県側)か沢渡(長野県側)でバスに乗り換える必要がある。ただ歩行は可能なので、その点だけは有り難い。釜トンネルは一度バスで通過したことがあるだけで、こうして自分の脚で進むのは今回が初めて。距離はさほどでもなかったが、まさか上り一辺倒だとは夢にも思わなかった。そして斜度も中々で、ここは無理して走らず(走れず)、休足も兼ね歩くことにした。後ろから自転車が1台やって来る。自転車にもこの斜度はきついらしく、進む速度は歩く僕より少し早いくらい。時折雄叫びを上げながら、必死にペダルを漕ぐ姿が印象的だった。
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釜トンネル(延長1310 m)は上り一辺倒
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斜度が辛過ぎて走れない
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上高地トンネル(延長590 m)
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こちらも上り一辺倒

トンネルを2つ抜けると、やがて大正池が左手に見えてきた。水面には穂高連峰の雄大な山並みが映し出されている。穂高こそ直ぐそこに見えてきたが、本日目指す槍ヶ岳はここからまだまだ先にある。上高地帝国ホテル。まるで高級志向のない僕にとって、帝国ホテルの思い出などあるはずもない。しかし”帝国ホテル”と聞いて、一つだけ思い出すことはある。僕は大学(名城の夜間)を卒業後、2年程外国と日本を行き来していた。いわゆる当時まだ珍しいバックパッカ-だった僕は、この時次の旅に向け、名古屋でバイトに精を出していた。名古屋観光ホテルの高級中華料理店『北京』でウェイタ-として働き、この店が確か帝国ホテルにも店を出していた。あそこの賄いは最高に美味しかったな・・。反射的にそんなことを思い出す。
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大正池と穂高連峰
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上高地帝国ホテル

そして上高地バスタ-ミナルに到着。ようやく槍ヶ岳に向けての登山口までやって来た。タ-ミナル裏の水場にて存分に喉を潤し、先を急ぐ。何時までには何処そこへ・・、特段そういう目標は定めてはいない。北ア南部は大概頭に入っているので道中地図を見ることもまずない。ただ時間設定を5割強くらいで考えているので、休まずひたすら動き続けることだけは心掛けている。河童橋まで来ると、人出が一段と多くなってきた。登山者に自粛は関係ないと先日来の山行で度々感じているが、おそらく観光客が自粛解除とともに一気に増えたのだろうと思う。”河童橋”に対する思い出も、あいにく僕は持ち合わせていない。しかしここでも一つだけ思い出すことはある。どの子だったかは忘れたが、確か小学校だったか中学校だったかの遠足か社会見学で、お隣上高地を訪れ、河童橋で合唱をしたことがあった。その場面を実際見た訳ではなく、子供に聞いただけの話ではあるが、僕の中では”河童橋”と聞くと、子供達が合唱する姿が頭に浮かぶ。
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上高地バスタ-ミナル(7:36)  ※左から、西穂・奥穂:前穂高岳、明神岳
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水場
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河童橋  ※正面に奥穂高岳

明神、徳沢、横尾とおよそCT1時間毎に目印となる拠点がある。明神からは霞沢岳へと向かうことが出来る。いつか中尾から日帰りしたいと以前から思っている。徳沢からは蝶ヶ岳へと向える。その先の常念までは行けるかどうか分からないが、これも是非中尾からの日帰りで挑戦してみたい。登山者の数は凄まじく、途切れることなく続いていた。上高地以降調子良く走れており、時間もそこそこ短縮出来ただろうか。そして、横尾到着。ここは穂高方面への分岐点。ここまで見かけた重装備の登山者はほとんどが、ここで大橋を渡り、穂高方面へと消えていった。紅葉の名所、涸沢。皆の目的は、やはり涸沢でのキャンプにあった。
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明神岳と明神館
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徳澤キャンプ場  ※幕営代・大人1400円は有り得ない
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徳澤園
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横尾大橋  ※登山者のほとんどは穂高方面へ


つづく・・

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焼槍大周回(1)~中尾峠

令和3年10月3日(日)。絶好の登山日和となった今日は、新穂高を発着とし焼岳、槍ヶ岳をぐるり周回する。3年前に槍焼周回を行ったが、槍ヶ岳はやはり上高地から登った方が断然景色がいい。そう言えば、あの景色見ながら登ったことなかったな・・。そう思い立ち、今回逆ル-トでの、そして多少大回りでの周回となった。この時期日照時間は短く、12時間程しかない。夜が明ける前にどれだけでも進んでおきたい。予定通り2時に新穂高の無料駐車場をスタ-トし、中尾へと向かう。新穂高の無料駐車場が前夜満杯だったら中尾発着にしようと思っていたが、土曜夜ということで少しの空きがあった。最初の関門は、中尾峠。昔の飛騨人はこの峠を越えて信州安曇野へと渡っていた。僕もこの峠は毎年のように利用させてもらっている。暗闇の登山道を黙々と歩く。これまで何度も歩いてきた道なので不安や迷いはないが、初めての道だと中々こうはいかない。出だしこそ寒さを感じていたが、次第に汗ばむようになってきた。時折背後に現れる謎の明かり。先日の裏銀座でも似たような場面に遭遇し一瞬ひるんだが、今回も気のせいで、結局それは中尾集落の明かりだった。僕は何かに怯えているのだろうか。
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新穂高無料駐車場(2:02)
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中尾橋
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焼岳登山口
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中尾峠、焼岳小屋分岐

程なく中尾峠に到着。辺りはまだ真暗だが、黒く聳える焼岳北峰が前方に確認出来た。そしてその直ぐ真上ではオリオン座の三つ星が綺麗に輝いている。幻想的な光景を前に、しばし呆然と立ち尽くす。今日の稜線は風もなく過ごし易い。山頂へと延びる岩稜帯に取り付く。やがて噴煙地の硫黄臭が立ち込め、焼岳の懐に入り込んだのだと実感。新穂高の駐車場はほぼ満車だったが、先程横目に通過した焼岳駐車場は1台しか車が停まっていなかった。岩稜帯を登り切ると、そこが焼の肩。ここが長野県側登山口となる”新中の湯ル-ト”との合流地点。てっきり僕以外誰もいないだろうと思っていたが、ここで男女の3人ペアに出会う。そしてその先の山頂でも先客が2人佇んでいた。いずれも長野県側から登ってきた登山者だが、彼らの目的は明らかに山頂で迎える御来光。焼岳北峰、標高2393m。東の空に微かな明るみが見え始めたが、日の出にはまだ30分以上かかるはずだ。さすがにそんな時間はないので、写真を数枚撮り、直ぐに下山開始。『あの人、一体何しに来たんだろう・・』。居合わせた登山者の胸の内は、きっとそんなとこだろう。
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中尾峠(4:11)
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焼岳北峰(4:50)
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新中の湯分岐
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東の空が色付いてきた

広場まで下りると、ようやく辺りは完全に明るくなってきた。ちょうど今頃山頂では御来光が見えたことだろう。ここまで下りてくる間にも、擦れ違う登山者は点々といた。皆、日の出の時刻から逆算し、それに間に合うよう頑張って登っていた。そして難なく、新中の湯登山口へと下山終了。新穂高からここまで4時間。水も食料も一切口にせず、ここまでひたすら動き続けてきた。最近の僕はすごく燃費がいい(ただ単に食欲がない)。この日は結局15時間、まともな休憩は一度も取らずひたすら動き続けていたが、おりぎり1個半とゼリ-飲料1個だけで充分足りた。それとて体が求めていた訳ではなく、さすがに何か摂らないとまずいだろうと、無理に流し込んだものだ。ちなみに今日の総距離は55.8km、累積標高は△4816m。この夜明け前の行程は、正しく朝飯前の準備運動に過ぎなかった。
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広場(5:28)  ※ようやく夜が明け、振り返ると焼岳が
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新中の湯登山口(6:04)
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次目指すは、上高地


つづく・・

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