自分で言うのもなんだけど、僕は巷で言う”ビックダディ-”なんだろうと思う。親の世代であれば子供7人くらいは普通だろうが、何かと面倒くさい今の時代、7人も子供がいること自体、かなり稀であることは確か。何年前だったか、大家族のランドセルネタでNHKが『美の壷』の取材に来たことがあった。しかし、そもそも我が家は全員が目立つことが大嫌い。それを察してか、『これは画にならないな・・』と先方から断りを入れてきた。基本、僕は仕事以外、家事も育児もほぼしない。だからこそ、妻の忍耐と頑張りがあってこそ今がある。子供7人のうち4人は既に成人し(4人目は18歳の社会人1年生だが、この4月の民法改正により18歳で成人となった)、残す子育ては中3と小4と年長の3人を残すのみとなった。
五女と次女 ※五女は昨年、年中にしてめでたく叔母さんとなった
次男 ※大志叔父ちゃん孫は目に入れても痛くない程可愛い・・。よくそんな表現を耳にする。世のジジババの大半はこの例えに同感なのだろうが、正直僕には今一その感情がよく分からない。そして孫が可愛いと思える最大の理由は、おそらくこうなんだろうと思う。可愛く無邪気だったチビッ子(保育園、小学校)時代の子育てを終え、その後しばらくは難しい思春期の子育てに入る。そして10年、20年が経ち、久々に現れたチビッ子が孫。親はここで、我が子がまだ初々しかった面影を、おそらく孫に重ねているのだろうと思う。当然顔も我が子に似てくるだろうし、懐かしかった良き時代にタイムスリップした感情に浸ることになる。だからこそ愛情の全てを孫に捧げる。
初孫(長女の子)のハ-フバ-スデイしかしこの辺りが、我が家は若干環境が異なってくる。何せ我が家には未だ保育園児の可愛いチビッ子がいる。いつだったか、随分失礼な警官がいた。外国への旅発ち前夜、翌朝飛行機が早い為、七宗の道の駅で車中泊していた(妻と7子は送迎)。車内で宴会中の僕らに対し、誰かがガラスをコンコンと外側からノックした。それが初めて職務質問で、相手は若い警官だった。そして僕と妻に向かってその警官はおもむろにこう訊いてきた。お孫さんですか・・、と。互いに失笑したが、傍から見たらそう見えてもおかしくないのだろう。ただ実際、僕はまだ現役バリバリの子育て世代。だからこそ、孫と言われても(実際孫が出来ても)、何だかピンとこない。これで孫が話すようになり、『ねぇ、じぃじ・・』なんて呟けば、僕も一気ににやけてしまうかもしれないが。
寝返り先日、弟が何年かぶりに帰省した。母は初めて弟の子を生で見て、それはたいそう喜んでいた。弟は昨年47歳で鹿児島大学の医学部教授に就任し、宮崎大学医学部准教授からステップアップした。ハンデを抱えて生を受けた姪は、強い生命力を持って今を強く生きている。弟はそんな一人娘を、是非ドクタ-にさせたいんだと言っていた。今年から幼児塾に通わせ、来年鹿児島大学の付属幼稚園を受験するのだと言う。その話を三女らに伝えると、”お受験”や”将来は医者”の言葉に即座に反応し、将来の立場をわきまえてか、皆一斉に姪に媚を売り始めた。人を最も強くするのはハングリ-精神だと思う。何かハンデを背負って生まれた者、育った者は、その正反対で生きてきた者にだけは絶対に負けたくないと強く思う。僕も弟もそうやって這い上がってきた。だから姪は間違いなくドクタ-になるだろうと思う。
姪(弟の子)と三女
駅でお別れ