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雨の稜線に心尽く

せっかく梅雨が明けたと言うのに、この先雨マ-クの日しか目につかない。そこで急遽仕事を休み、金曜の仕事日に強引に山へと向かった。前夜新穂高に車中泊。世間は既に盆休暇に入ったのか、平日なのにやたら車が多い。ただ都会ナンバ-が多いので、コロナが持ち込まれないか、感染者未だ1名の地元民(飛騨人)としてはかなり心配である。そして迎えた8月7日の金曜日。今日は単独の為若干スタ-ト時刻が緩み、1時10分に新穂高の登山指導センタ-を発つ。相変らずきつい左俣林道の出だしに喘ぎ、今日は遠慮なしに時折歩く。僕の仲間は皆とてもタフなので、一緒に山行すると正直辛い。程なく、笠ヶ岳新道入口に到着。今回の行程、これ以降双六小屋まで水場はないので、ここで計1.5㍑の容器を満タンにしておく。今日は先週の教訓を活かしてカッパ下も持ってきたし、容量的にも重量的にも一気に増してきた。丁度その頃後ろで一瞬明かりが見えたが、何故だか直ぐに消えた。僕はここまで走って来たし、道中登山者は抜いていない。誰か走って来たのだろうか・・。その正体が気になったが、明かりは突如見えなくなったし、それ以上は深く考えなかった。
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新穂高登山指導センタ-
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笠新道入口  ※後ろに謎の明かりが一瞬見えた
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Gショックの標高はぴったし  ※18年程愛用したプロトレックは先週お蔵入り

ここは激坂で有名な笠新道。しかし幸い僕はこの坂道を得意とし、ここに取り付けば、相手が誰だろうと一切負ける気がしない。そんなホ-ムとも言うべき散歩道を、休憩なしで黙々と登っていく。勾配が急であればある程、腕時計が示す標高は急激に増し、その上がり具合を見るのも心地良かった。先週の赤牛ではストック代わりの杖に苦しんだので、今回は何としても森林限界を超える前に最適な太さと長さの杖を確保しておかなければならない。しかし満足のいくものは結局1本しか見つからず、辛うじての2本体制。標高2000mも早々と突破し、時折下界が望めるようになってきた。そんな頃、ふと謎の明かりが再び目についた。きっと麓の明かりが見えているのだろうと最初のうちこそ思ったが、次第にその明かりは現実のものとなってきた。やはりこれは何かがおかしい。ここは泣く子も黙る笠新道。そして僕はここを休みなしのハイペ-スでガンガンと攻めている。正体は彼女か・・。しかし仲間の波であれば、『ホイホイ』と叫んでいるはずだが、その掛け声は一切聞こえない。一体誰だ・・。笠ヶ岳まで逃げ切ろうとも思ったが、その正体がやけに気になった為、杓子平に先着した僕はそこで後続を待った。ザックを広げ防寒の用意をしていると、後続が直ぐに現れた。正体は仲間のほっしゃんだった。
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杓子平  ※後続の正体は仲間のほっしゃんだった

山仲間は皆、僕が1時に新穂高を発ち笠五郎へと向かうことは知っていたので、既に休暇に入っていたほっしゃんが僕をこっそり追いかけてきたのであった。笠新道入口で明かりが突如見えなくなったのは、『ヤバイ、見つかる!』と、少し手前でライトを慌てて消したようだ。そして僕の得意とする笠新道の登りでは、僕は完全に逃げ切ったと勝ち誇っていたが、どうやら実はそうではなく、ほっしゃんは追いつかないようにとペ-スを調整していたのだと言う。恐るべし、ほっしゃん。仲間の中での僕は既に最下位の位置にいる。杓子平からはほっしゃんと行動を共にし、暗くて多少迷いつつも、何とか笠の稜線へと這い上がる。それにしても寒い。今日しかないと決行したはずであったが、ほっしゃん曰く、昨夜の時点で山の天気が一変したという。僕はガラケ-なので、昨日の夕方時点での情報を最後とし、昨夜の星空を見ても、その情報を疑う余地はなかった。
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稜線に立つほっしゃん

暗い稜線はとても危うく、思うようにペ-スも上がらない。それでも話をしながら楽しく進み、ようやく笠ヶ岳山荘まで辿り着く。この辺りでは唯一、この山荘だけはコロナ感染を警戒し今年は一切営業をしていない。一先ず山頂を目指す。そして新穂高から丁度4時間で、先ずは最初の目的地である笠ヶ岳に到着した。いつもより15分程遅かった。ブロッケンは出ていないが先週に続き、笠ヶ岳にちなんだ播隆上人の物語を少し話す。眺望は一切なくただ寒いだけなので、写真を数枚撮り直ぐに山頂を発つ。山荘まで下り、風の除けれる場所を選び、そこで少し休憩とする。あまりにも寒いので、ここでカッパの下も履く。
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笠ヶ岳(標高2898m)
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何も見えないし寒い
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コロナ禍の為、今シ-ズン営業中止の笠ヶ岳山荘
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抜戸岩

せっかく待望の朝を向かえたと言うのに、何処にいても眺望はない。しかし太陽というものは実に偉大なもので、こんな濃霧の中でも、最低限の明るさだけは提供してくれた。来た道を戻り、抜戸岳に登る為、一旦縦走路を外れる。抜戸岳に登るには一旦笠新道稜線に立ち、そこから踏み後を辿る必要がある。そしてその先一度偽ピ-クが現れ、その先に朽ちた標柱を備えた抜戸岳が登場する。笠を訪れる大概の登山者はパスしがちだが、一応日本百高山に入っているので、滅多に来れない遠方の登山者は、後悔しない為にも確実に押さえておいた方がいい。抜戸から縦走路への取り付きは、視界がないことで多少手こずったが、ハイマツをかき分け何とか無事縦走路に合流。
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抜戸岳(2813m)  ※縦走路から外れるが、ここも一応百高山(59位)

本来であればこの稜線は終始槍穂高の稜線が望め、この上なく心地良い稜線歩きを楽しむことが出来る。そして今日はそんな稜線歩きを当然期待していただけに、そのショックはかなり大きかった。ほっしゃんの予報通り、いつしか雨も降り出しており、既に黒部五郎へと向かう気力は失せていた。しかし、こんな時しか出来ないこともある。普段は慌ただしい行程を組むので、ゆっくり岩茸採りをする暇なんてないが、幸い今日はまだ朝を迎えたばかりなので時間だけは腐るほどある。おまけに雨の日の岩茸は水を含みしんなりとしており、快晴の日とは比べものにならないくらい採り易い。先週に続き、今日も仲間に岩茸採りの極意を伝授する。今では体力は到底仲間に敵わないが、こうした山での過ごし方だけは登山歴23年の経験がある。しかし生憎この稜線に岩茸はほとんど無く、経験程度の収獲に終わった。登山道脇のハイマツから大きな雷鳥が驚いて、バタバタと数m空を飛び逃げていった。何の楽しみもないこの雨の稜線、せめて雷鳥との一時を楽しみたかったが、雷鳥は直ぐに僕らの前から姿を消した。
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雨の日の岩茸は採り易い
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一瞬の雷鳥
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雨の雫の美しさ
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チングルマ

既に弓折からの下山を決めている。当初、雨でも先週妥協した双六岳と三俣蓮華岳くらいは行こうと思っていたが、眺望もないことだし、こんな雨の状態で先に進んでも、辛いだけで楽しいことは何もない。稜線を歩いていて、『あの岩、何だかカッコいい!』とほっしゃんが言ったあの岩こそ、何を隠そう秩父岩である。大ノマ岳と弓折岳を確実に踏み落とし、後悔だけを残し、泣く泣く稜線を後にする。
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大ノマ岳(2662m)  ※標柱はない
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大ノマ乗越
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弓折岳(標高2586m)  ※縦走路から少し離れている
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弓折岳分岐  ※雨の稜線程つまらないものはないので、迷わず下山

雨の小池新道がこの日一番の難所だった。僕は足の置き方が相当悪いようで、5、6度石に足を滑らせ大転倒し、その都度派手に転んでいた。次第に転び方にも慣れてきて、受け身を取れるようになってきたが、これは何の自慢にもならない。いつまでもこんなことをしているようでは、そのうち大怪我をしてしまう。急ぎ足で下山していたのがいけなかったが、一旦転び始めると癖になるようだ。無事小池新道を終え、後は林道を走るだけ。左俣の林道を㌔5分程で走り切り、10時16分、新穂高にゴ-ルした。何とも煮え切らぬ、不完全燃焼な一日に終わった。下山届を出すべく、ザックをベンチの上に下ろす。たったそれだけの仕草で僕の右肩は脱臼し、しばらく関節が入らなかった。先程下山での大転倒で2度肩を外し、今日はこれで3回目の脱臼。元々僕には自衛隊時代に出来た脱臼癖があり、右肩にはその時入れたボルトが入っている。そして久々の脱臼は、昨年の白山白川郷での大転倒以来だ。
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シシウドヶ原  ※雨は降り続いていたが、二人ともカッパ上下を脱ぐ
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小池新道入口
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新穂高  ※行程の半分で終わった
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赤牛(3)~地獄からの復活

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やはり長距離には復活がある


・・前回の続き


本日二度目の登頂となる水晶岳から先へと進み、ワリモ北分岐道標で進路を右へ。岩苔乗越から黒部源流目掛け、一旦下降する。登山道は涼しげな沢筋に並行しているので、随所で水を得ることが出来るのが嬉しい。この区間を通る度に思うことだが、ここでの時間短縮は全く期待出来ない。普通に下ったつもりだが、何故かコ-スタイムより余計にかかってしまった。明らかにここの時間設定(40分)は短過ぎると思う。
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進む稜線最奥に鷲羽岳、その手前にワリモ岳  ※右の尾根に広がるのが雲ノ平
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ワリモ北分岐
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黒部源流に向け、一旦下降  ※随所で水が得られる
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黒部川水源地標(黒部源流)

ようやく現れた黒部源流碑を過ぎ、その先三俣山荘に向けて登りが始まる。ここも沢筋に並行した涼しげな登山道なのだが、この辺りから僕の調子が何故か急激に落ち始めてきた。鷲羽以降、ここまでも登りの度にペ-スは若干落ちてはいるものの、僕でなくても登りは誰だって辛いだろう。しかしこの時の僕は、それにも増して明らかに様子がおかしかった。思うように脚が上がらない。正確に言うなら、脚はまだ残っているが、登りに対しての心拍が全く残っていなかった。普段走り込んではいるが、追い込んだ練習は全くしていないので、当初その影響かと思った。時折後ろを振り向くと、相方の波がどうしたらいいか分からない暗い表情をしている。誘っておいて申し訳ないが、これが今の僕の実力なのか。苦し紛れに花の写真を撮り、撮影に専念する振りをして、少しの間息を抜く。その後も苦しみは続き、何とか25分かけて三俣山荘まで登り上げた。コ-スタイムが45分だから、辛いなりには頑張った。
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クルマユリ

しかし、この時の僕は明らかにくたばっていた。到着早々倒れ込むようにテント場の石に腰掛け、しばらく休憩。波は未だに疲れは全く見せておらず、数少ない休憩場所でも決して座ろうとはしない。そんな彼女を下から見上げ、僕は思った。よくよく考えれば、ここまで長い行程をこなしてきたのだから、僕でなくても普通誰だって疲れるだろう。傍から見ると、僕ばかりが情けない人間に映ってしまいそうだが、実際は僕もそこまで落ちぶれてはいない。ただ比べる相手が悪いだけで、今日の相方が特別強過ぎるのだ。そんな弱気で力無い僕の言葉がテント場の男性に届いたようで、一瞬目が合い、失笑(同情)されたような気がした。
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三俣山荘テント場

重い腰を上げ、再び登り地獄へと立ち向かう。次のコ-スタイムは40分。通常であれば15分もあれば楽に辿り着ける距離だ。しかしこの区間が今回の山行で最も辛かった。何せ脚が前に出ない。しばらく頑張って進むが、直ぐに疲れて立ち止まる。その繰り返し。相方との会話はなく、まるで喧嘩でもしたかのような会話の無い気まずい時間帯が続く。それでも29分で何とか三俣峠まで登り切った。後ろに同行者がいるというプレッシャ-が、駄目なりにも僕に休む隙を与えてくれなかった。地べたに座り、しばし休憩。本来ここから三俣蓮華岳の稜線へと上がり、更にその先の双六岳を目指す予定でいた。しかし時間はかなり押しているし、そもそもここから登りに向かうという気力は持ち合わせていなかった。
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三俣峠  ※とても稜線に登る気にはなれなかった

波には申し訳ないが、已む無く三俣蓮華岳と双六岳は諦め、往路と同じ巻道を進むこととする。この区間でも所々現れる登りに苦しめられ、眠さでフラフラになり始めた。相方には高山病かと心配されたが、その症状は出ていないので、僕はそうではないと思っていた。この大ブレ-キの最たる要因は、どうやら睡魔のようだった。その旨を告げると、波は僕に眠気覚ましの錠剤を2錠くれた。そして僕は思い出したようにアミノバイダルとクエン酸を摂り、食料でエネルギ-も補充した。何とか最後の登りも終え、巻道分岐へと辿り着く。
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巻道分岐  ※予定では双六岳山頂から下りてくるはずだった

これで登りが無くなったという安堵感からか(実際は双六小屋以降まだあった)、眠気覚ましの錠剤が効いてきたのか、僕に会話をする余裕が出てきた。つい先程までの顛末を、その時の互いの心境などを笑い話に、颯爽と双六小屋まで駆け下りる。僕は地獄の底から蘇り、無事完全復活を果たす。元々脚は使い切っていない感覚はあったし、要因は幾つか思い当っていた。例年ならこの時期までに100㌔のウルトラを4、5本は走っているが、今年はエントリ-していた5本が全て中止となった。その為、限界を超えるトレ-ニングはまだ一度もしていなかった。その上、今回が実質今年の初山行となる。赤牛くらい・・と、舐めてかかっていた部分も大きい。
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眠気覚ましの薬が効いたのか、次第に元気になってきた
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双六小屋で完全復活
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再び現れた如来様(ブロッケン)

双六からは休むことなく走り続け、鏡平小屋、シシウドヶ原、秩父沢と一気に通過。先程までの死にかけた状態は一体何だったのか・・、そう思える程調子は完全に戻った。双六小屋から2時間18分で林道に出る。ここからは更にペ-スを上げ、㌔6分で走り始め、直ぐに㌔5分程にペ-スアップ。そして終盤は時間も意識し、最終的には㌔4分半を切るようなペ-スになっていた。せめて19時までにはゴ-ルしたいと追い込み、何とかその最低目標はぎりぎりクリア。本来であれば三俣蓮華岳と双六岳も含めた上でのリミット時刻が19時だった。
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弓折岳分岐
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鏡平山荘
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秩父沢
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奥丸山と下丸山(右下)  ※槍の穂先も見える
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左俣谷に出た
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新穂高  ※終わってみれば余力充分、+CT4時間はいけそう

一度地に落ちた僕が言うと負け惜しみに聞こえるが、ゴ-ルを終えて余力はまだまだ残っていたので、後2時間くらいは充分に走れそうな気はする。今回の山行で、さぞかし落胆したかと思いきや、僕の思いはその逆だった。様々な要因やミスがあった今回の最悪な状況の中、最終的に18時間行動は余裕を持って終えられた。長距離、長時間になればなるほど復活があることも再確認出来たし、それにはやはり日々の鍛錬がべ-スとなることも痛感した。7月走り込んだ600㌔も満更無駄ではなかった。そして何より相方の波、赤牛日帰りを準備運動の如く何喰わぬ顔で終わらせた彼女の強さはやはり本物だった。明日も明後日も赤牛に行って来い・・と言えば、おそらく彼女はニコニコしながら普通にやり遂げるだろう。彼女が日本一になる日はそう遠くない。今回の山行で僕はそう確信した。

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赤牛(2)~赤牛岳とレッドブル

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赤牛でレッドブル  ※これがやりたかった


・・前回の続き


賑わい始めた水晶を発ち、本日の折り返し地点、赤牛へと向かう。水晶からの標準コ-スタイムで2時間40分もかかるが、途中大したピ-クも無さそうだし、走って行けば直ぐ着くだろうと甘く見積もっていた。滅多に来ることはない北ア最深部の稜線。とにかくここからの眺めが大変素晴らしく、正面には赤牛や剱、左手には薬師や黒部五郎、振り返れば鷲羽や槍穂高、そして笠や乗鞍までもが確認出来る。右手には野口五郎など裏銀座の峰々。ここまで眺望の良い稜線は他にあったかなと思えるくらい、数多くの名峰が見えていた。温泉沢ノ頭を通過する。計画当初、赤牛往復だけでは若干物足りないので、高天原も日帰りの行程に含めようかとも思っていた。高天原を目指す登山者も何人かいたが、いずれも三俣起点のようだ。”日本最後の秘境”と呼ばれる『雲ノ平』、そこから更に奥にある『高天原』は、秘境中の大秘境。何日も歩かないと辿り着けない、熟練した登山者が最後に求める桃源郷なのかも知れない。
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この先進む稜線
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槍穂高、笠、鷲羽など
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黒部五郎岳
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赤牛岳と剱岳(奥)
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赤牛は見た目以上に遠かった
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温泉沢ノ頭
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薬師岳(左)と赤牛岳(右)は一見似ている  ※場所によっては見間違えた箇所があった
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軽快に下る

稜線を辿っていると、草むらから何かが勢いよく飛び出した。一瞬何かの動物だと思ったが、バタバタと宙を数m移動したその光景を見て、その正体は直ぐに分かった。雷鳥が気持ちよさそうに空を飛ぶ姿こそ見たことはないが、このように羽をバタつかせ数m移動する姿は何度か見たことがある。是非とも今日は雷鳥に会いたいと思っていただけに、この遭遇はとても嬉しかった。雷鳥を見て真っ先に思い出すのは、第5子ナナ(当時小2)と11月下旬に歩いた笠の稜線でのこと。他に登山者などいるはずのない静まり返った初冬の高峰で、白雷鳥が僕らの道先案内人をしてくれた。僕はこれを雷鳥ウォ-クと名付けた。雷鳥は僕らのことを特に警戒するでもなく、滅多に人間が訪れないこの時期だからこそ、彼らの棲みかに快く迎えてくれたのだろう。
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雷鳥

いざ赤牛へ

ふいに僕は右腕を負傷した。先程からハイマツが煩くて、カ-フタイツに穴を開けてしまった。しかし今度は僕自身が深い傷を負い、血がタラタラ垂れている。これはヤバい!とザックを広げ、絆創膏で血を止める。絆創膏を考えた人は本当に素晴らしい、この時ほどそう思ったことはない。無事応急処置が終わり、僕はザックに突っ込んでいたキュウリの存在を思い出す。すると次の瞬間、キュウリを手にした僕が何故か相方に笑われている。しかし僕は何を笑われているのか、さっぱり分からない。これまで23年の登山歴の中で僕は大概キュウリを持って山に登っているが、そのことを突っ込まれたことはこの時が初めてだった。彼女曰く、『みんな(トレイルランナ-のこと)、少しでも荷物を軽くする為に苦労しているのに、キュウリなんてカロリ-もないしパワ-も出ん。重くて嵩張るだけだし、もうやめた方がいいよ!』とのこと。まさか登山歴2年の小娘に小馬鹿にされるとは夢にも思っていなかったが、そもそも僕はトレイルランナ-ではない。今日は3本持ってきたことを白状すると更に笑われたが、僕はこれからも我が道を行く。
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キュウリの何が悪い
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牛の正体が中々掴めない  ※杖が折れてかなり使い難い
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雷鳥

そして10時ぴったしに赤牛岳に到着した。意識はしていなかったが、正に計画通りの時刻だった。新穂高からここまで9時間。水晶から2時間弱もかかっており、ケガの手当てやル-トミスなども相まって、この区間には多少てこづった。ここに来るのは10年ぶり2回目となる。当時小5の岳登(第2子)と黒部源流の峰々を2泊3日のテント行で巡った。三俣のテント場は僕が好きな場所の一つであり、ここで息子と対した三俣の戦い(将棋)は永遠に僕の記憶から消え去ることはないだろう。そしてお決まりのレッドブル。お決まりかどうかは実のとこ知らないが、赤牛の山頂でレッドブル(赤牛)を飲むという発想くらい誰でも思いつきそうだ。ここでも相方曰く、レッドブルはキュウリと違ってパワ-が出るのでお勧めらしい。本気で日本一を目指している、新進気鋭のトレイルランナ-。かたや、”山行も結局は旅の延長・・”と捉えている、ただの旅人。山に求めるものは多少違えど、より遠くへ・・という思惑だけは一致する。
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赤牛岳(標高2864m)
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レッドブルで乾杯!

赤牛岳で少し休憩し、いよいよ帰路に発つ。この長い道をまた戻るのかと思うと精神的に堪えるが、進む方角が変わるだけで当然景色も変わり、同じ道を歩いているという感覚はなかった。稜線上には、幻の高級食材として知る人ぞ知る岩茸が随所で見られた。これが食べれる高価食材だと知っている人は、登山者の中でもまずいないだろう。採り出したら確実に何時間でもかかってしまいそうなので、今日は相方波の経験程度に抑えておく。三俣から水晶まではそれなりに登山者もいたが、水晶から赤牛の稜線では1人か2人と擦れ違っただけだった。薬師岳から目を下に逸らすと、高天原が目に入る。そしてその中央部に赤屋根の山荘も確認出来た。日帰り山行だと忙し過ぎるので、いつかテントを担いで子供とのんびり訪れてみたいと思った。  
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岩茸
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稜線
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赤牛を振り返る
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薬師岳と高天原山荘(中央の赤屋根)  ※画像クリックで拡大
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雲ノ平と雲ノ平山荘(右端)  ※画像クリックで拡大
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再び水晶岳


つづく・・

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赤牛(1)~播隆上人に想いを寄せて

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黒部五郎を背に


・・前回の続き


前夜新穂高の無料駐車場で車中泊し、迎えた翌8月1日(土)。起床時間が早い為結局1時間半しか眠れなかったが、少しでも熟睡出来たことで、翌日を迎えたという感覚はあった。登山指導センタ-で登山届を提出し、各々準備を済ませ、計画通り深夜1時には新穂高を発つ。出だしから辛い勾配の林道となるが、脚を止めず黙々と走る。今日の相方は今一番の成長株、波。昨年までの彼女とは全く別人で、今では男性陣でも彼女に付いていくのに必死である。程なく、笠新道入口に到着。ここで一度喉を潤し、その先少し走って、わさび平小屋。まだ時間が早い為、全く人の気配はない。そしてようやく小池新道入口に到着し、苦手な林道上りが終わった。
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新穂高登山指導センタ-
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笠新道入口  ※水場あり
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小池新道入口

全く音のない暗闇の世界。僕は胸ポケットに差し込んでいる携帯ラジオから適当にAM放送を流す。秩父沢で汗ばんだ顔を洗い、その後も黙々と標高稼ぎに精を出す。それにしても先程颯爽と僕らを追い越していったトレラン風男性は一体何者だったのだろう・・。そもそも山で抜かれること自体まずないので驚いたが、彼の行き先も非常に気になるところだ。シシウドヶ原では登山者数名がベンチで休憩していた。昨日のうちにスタ-トしたことはほぼ間違いないだろう。木道が出てきたら、鏡平は近い。完全なる闇夜は、鏡池も槍穂の稜線さえも覆い隠していた。そんな色の無い世界の中、夜空の星だけが綺麗に光り輝いていた。無数に散らばる星群の中に時折流れ星の姿もあったようだが、残念ながら僕は見れていない。
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秩父沢  ※水量豊富、橋あり

鏡平山荘は何かの工事中のようだった。そこから少し登ると、右手が開けた場所に出る。樹林帯を抜け出し風除けがなくなったことで、寒さが直接体に襲いかかるようになってきた。堪らず、ここでカッパの上を羽織る。僕のカッパは登山用のゴアテックスなので、嵩張りはするが、これ以上頼もしい存在はない。稜線に出て、弓折分岐。こんな早い時間帯にこの稜線に出たのはおそらく初めての経験だ。暗闇の雪田を越え、ようやく双六小屋に到着。煩いのでラジオは手前でオフにしており、以降この日はオンにすることはなかった。双六小屋でヘッドライト撤収。コロナ禍の状況ではあるが、登山者の姿はやけに多い。時間的に日の出には間に合ったはずだが、目の前に聳える樅沢岳や槍の稜線に隠れ、この場所でのサンライズは永遠に無理なようだ。
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弓折岳分岐
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双六小屋  ※ヘッドライト撤収

双六岳、三俣蓮華岳の稜線は復路で寄ることにしているので、往路は巻き道ル-トを通る。こちらは水が豊富で、道を外さずして何箇所かで水を得ることが出来る。完全に陽が昇り、新たな一日が始まった。振り返れば槍ヶ岳が穂先を尖らせ、進む先には鷲羽岳と水晶岳が見えている。心地良い草原は、まるで眠りの世界にでも迷い込んでしまったかのような錯覚さえ与えてくれた。少し登り、三俣峠。ここから三俣蓮華岳への登りは復路の行程に入れているが、この登りもきつい印象がある。峠を下り、三俣山荘テント場へ。カラフルなテントが印象的だが、その奥に聳えるのが標高2924mの鷲羽岳。その圧倒的な存在感は群を抜き、まるで麓から見上げる富士山をも彷彿させてくれる。あんな所を登るのか・・。僕を含め、普通の人であればそうネガティブになって当然だろう。
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巻き道ル-ト  ※随所で水が得られる
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待望の朝
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早く気温を上げてくれ
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振り返れば槍ヶ岳
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正面には水晶岳(左)と鷲羽岳(右)
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そして三俣蓮華岳
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三俣峠  ※帰りはここから稜線に上がる
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三俣山荘の背後に鷲羽岳が威圧感を放す
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進路はガスに包まれた

三俣山荘のテント場で沢水を汲み、計1.5㍑の容器を満たしておく。この先は水晶、赤牛を経て、黒部源流に至るまで水場はない。意を決し、鷲羽への登りに取り付く。変化に富んだ岩稜帯であれば、気も紛れスイスイ進めるものだが、この鷲羽の登りは砂地の地盤で面白みに欠け、ただ単に辛いだけ。この登りにロクな思い出はないが、時折脚を止めながらも確実に上へと進む。苦戦する僕と対照的なのが、相方の波。『私、こういうの結構好きかも』、そうニコニコしながら嬉しそうに話す彼女を見て、正直僕はかなり引いた。しかし実際それが、彼女が最強たる所以でもある。稜線の寒さが容赦なく徐々に強まってきた。短パン姿だが、下半身に寒さは感じていない。しかしこの先の長い稜線滞在を考えると、『カッパ下は持参していないが大丈夫だろうか・・』と不安になった。最悪、僕だけ水晶での撤退も頭を過る。
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鷲羽岳(標高2924m)

鷲羽岳を後にし、次に目指すは水晶岳。尾根伝いの登山道、左手の低い位置に少しガスが残っている。そして一瞬、そこにブロッケンが姿を見せた。『出たぞ、ブロッケンだ!』と僕がその場所を指さし彼女に伝えるも、カメラを取り出す頃には既に消えていた。波は始めて見るブロッケン現象に感激したようで、かなり嬉しそう。直ぐに消えてはいたが、何度か同じ場所に繰り返し出ていたので、無事撮影にも成功。ところでこうしてブロッケン現象を見ていると、僕は槍ヶ岳を開山した播隆上人の物語(新田次郎著、槍ヶ岳開山)を思い出す。文政6年(1823年)、当時41歳の播隆上人は笠ヶ岳再興を掲げ、村の信者数人を連れ、笠ヶ岳の山頂に立つ。そこで見たものは七色の虹の光輪の中に見えた人の像であり、播隆はそれを亡き妻の”おはま”だと思った。播隆は自ら殺めてしまったおはまに語りかけるかのように各号を唱え続け、山頂を共にした村人達は、上人様が如来様を呼び寄せたものだと信じ、播隆への尊敬の念は日に日に増していくことになる。・・ブロッケンを眺めながら、僕はそんな話をした。
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ブロッケン現象
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槍ヶ岳と鷲羽岳(右)
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笠ヶ岳(右)
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黒部五郎岳
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薬師岳(左)と水晶岳(右)
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ワリモ北分岐
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槍穂高連峰
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鷲羽岳(左)、ワリモ岳(中)、笠ヶ岳(右奥)

空には快晴が広がり、カッパもいつしか脱いでいる。赤牛に向かうことについて、既に僕は何の迷いもない。水晶小屋で裏銀座と尾根を分ける。本当は裏銀座へも入り込みたいところだが、新穂高発着の日帰りとなると、目指せる先は限られてくる。水晶まではあと一踏ん張り、そして今日の折り返し地点となる赤牛岳もようやく視界に入ってきた。迫りくる水晶の岩稜帯を越え、8時4分、僕らは水晶岳の山頂に立った。新穂高から約7時間の行程であった。
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水晶岳(左)と目指す赤牛岳(右)
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水晶小屋と裏銀座
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迫る水晶
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水晶岳(標高2986m)


つづく・・

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赤牛(0)~序章

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赤牛岳(左)と剱岳  ※画像クリックで拡大


北アルプス最深部に聳える、赤牛岳。赤茶けた山肌と牛が寝そべっているような緩やかな山容は、近傍のどの山からでも容易にそれと特定することが出来る。僕は親しみを込め、赤牛岳のことを10年以上も前から『牛君(うしくん)』と読んでいる。そんな牛君の新穂高からの日帰り山行。敢えて言うほど大した山行ではないが、2年前の水晶以来、牛君往復だけはさっさと終えておきたかった。これが実質今年の初山行となることで若干の不安はあったものの、7月に600㌔走り込んだことが、僕の中に、山に対する慢心を生んでしまった。CT30(標準コ-スタイム30時間)の5割くらいは楽勝だろうと軽い足慣らしのつもりで、食料だけは多めに持ち新穂高を発つ。しかし稜線に出るなり想像を超える寒さに震え、いきなり装備不十分の洗礼を受ける。やがて快晴が広がり、見渡す限りの大山脈に僕らは言葉を失った。ブロッケン現象、岩茸、雷鳥・・。今回の山行で行楽的要素は全て満たされた。しかし睡眠1時間半で挑んだロング山行は、思いもよらぬ展開へとつながっていく・・。
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絶景トレイルと最強女子


つづく・・


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